p.103 神の庭
セトから聞いた梅桜桃伝を参考にルーシャはひとつの答えを導き出す。
「屋敷に入ってすぐにいた蝶を連れてきて」
そう弟子のセトに頼む。梅桜桃伝によれば蝶がそれぞれの木の時間を進め、変化をもたらしたという。ならば、屋敷に入ってすぐの場所にいた多量の蝶たちも、おそらくこの創られた空間の何らかの魔法術を動かす仕掛けな気がする。
「俺が?」
驚いたようにセトはルーシャを見返す。ルーシャのもとで魔法術を学び、多少扱えるようになったとはいえ、まだその技術に不安定さはある。
「うん。もうちょっと、この桃の木にかけてある魔法術を解析してみたいし。なんかあったら助太刀するし」
「んー、シスターがそう言うならやってみるけど・・・」
その赤い瞳が自信なさそうに揺れているが、セトはルーシャの言葉に従い部屋の入口へと引き返す。
行き道と同じく部屋の中だと言うのに、相変わらずの青い空と穏やかな空気が充ちている。流れる川の水は澄みきり、ずっとここにいてしまいたいと思ってしまうほどの長閑さを感じてしまう。
(ほんと、色んな世界があるんだな)
ルーシャと出会い、共に世界を旅してきた中でセトは世界の広さと彩りを感じる。どこに行っても同じ景色はなく、どこに行ってもそれぞれの文化やそれぞれのしきたりや常識がある。同じ世界なのに、場所が変わるだけで何もかもが異なり、まるで異世界に迷い込んだようだと思えることもある。
そして、魔力や魔法術の世界は鮮やかで奥深い。正解などないし、知れば知るほど知らない何かがあることを思い知らされる。魔力はすこぶる便利であり、使い方ひとつでとんでもないことを引き起こすことも出来る。セトの故郷で悪魔の力だと言われていた理由がわかるほど、その扱い方ひとつで容易に人の命を奪うことも出来る。
(それにしても、魔力協会ってすげぇよな)
歩き続け部屋の入口にたどり着いたセトは屋敷の入口へと足を運びながら、フィルナルのことや協会のことを考える。
国籍や学がないセトだが、魔力協会によって戸籍を得られ、一般的な教育を受けることが出来ている。セトひとりが特別なのではなく、世界中のあらゆる人間に必要とあらば国籍に匹敵する戸籍を、学ぶ精神さえあれば一般教育を与えてくれる。
さらに魔力協会には様々な人間から、様々な依頼が押し寄せられている。用人の護衛から、捜し物、誰かへのサプライズなど内容は多岐にわたる。そんな依頼の数々を魔法術師たちは解決していく。ルーシャが旅の魔法術師であり、生計をたてるにあたり依頼の仕事をこなしているのを見ているため、セトは魔力協会の献身的な社会貢献の姿を見てきた。
(俺も早く1人前になりたい。ま、そのためにまずは・・・)
無事に屋敷の入口にたどり着いたセトは目の前で舞う無数の蝶に目をやる。色とりどりの蝶たちはセトの視線など気にせず舞い、美しく穏やかな時が流れる。
ためしにセトは1匹の蝶を手に取ろうとするが・・・。
「あれ?」
すっと、セトの手が蝶をすり抜ける。試しに他の蝶でも同じことを試みるが、どの喋も目にはしっかり見えているのにその実体を手にすることが出来ない。
「なんだ、これ。んー、どうしよっかなー」
自分の手と蝶を交互に見てセトは悩む。目に見えていたため簡単に捕まえられると思っていたが、そう簡単な話ではないようだった。
仕方なくセトは自らの魔力を感じ、神語を構成する。未だに不思議に思う、魔法術を使うためにこうして言語を介するということに。魔法術の発動は知らない時に見た時は突然として起きて、奇跡のようだと思った。
しかし、その道に進み実際を知れば奇跡などではなかった。そこには決められたルールがあり、決められた手順があり、出来ることは限られていた。思っていたよりも決まり事が多く、魔力が万能ではないことを知った。
セトは魔力で神語を描き、屋敷の中に風を引き起こす。小さな竜巻は無数の蝶を捉える。そのままセトは追加の風魔法を発動させる。竜巻ごと蝶を先程の桃の木のある部屋へと運ぶ。
蝶は何の抵抗もせず、あっさりとルーシャの言いつけ通りセトは蝶を桃木の元に連れてくることに成功する。
「ありがと」
ルーシャは思いのほかたくさんの蝶を連れてきたことに驚くが、目的を果たしたセトを労う。セトは竜巻の風魔法を解き、蝶を自由にする。
何をする訳でもなく、蝶たちは自然と桃の木に集まりそれぞれが桃の花に止まる。
「シスター」
桃の花はやがて時間をかけるまもなく身をつける。青い実が柔らかい桃色に変わるのもあっという間だった。
しかし、桃の実がなったところで創られたこの空間にそれ以上の変化が起こる様子はない。
セトはルーシャのほうを伺い見るが、ルーシャは真剣な眼差しで桃の木を、桃の実を見つめている。
ルーシャの目にはこの創られた世界の変化がはっきりと見えている。桃の木に仕掛けられていた魔法術が、蝶の介入によって大きな変化をもたらし1つの魔法術へと変わる。
ルーシャは躊躇うことなく出来た桃の実を2つもぎ取る。ひとつをセトに手渡し、そのままなんの躊躇いもなく桃の実を1口齧る
「・・・」
ルーシャのその行動を見ていたセトは訝しげながらも、同じように桃を口にする。つい先程、実がなったところどというのに完熟したかのような甘さを感じる。
ルーシャに説明を求めようとしたセトだが、その前にその意識を失う。
* * *
「・・・、セト」
名前を呼ばれ目を開ける。
目の前にはルーシャがこちらを覗き込んでおり、セトはハッと起き上がる。
「俺・・・」
「大丈夫、私もさっき起きたとこだし」
ルーシャはそう言い周囲を見渡す。セトも釣られるように辺りを見渡す。
先程までは穏やかな春の心地のする河原にいた。梅と桜と桃の花に囲まれ、桃源郷のような場所だった。
しかし、今目の前に広がる世界は一言で言えば暗い。どんよりと空を覆う曇天は今にも雨が降り出しそうで、太陽からの光を遮断している。漂う空気も重く、なにか瘴気でも混じっていそうだった。
さらに、地面の土は乾燥し大地はひび割れていおり草など生えていない。まさに不毛の地とでも言うのが相応しいほどの荒廃だった。あたりを見渡すが、大きな岩や枯れ果てた木が少しある程度で特にそれ以上のものを見つけられない。
「ここって・・・」
「たぶん、神の庭」
ルーシャは困ったようにそう口にする。
「さっきの屋敷の桃の木、蝶によって神語が変化したんだけど・・・その神語構造の中に転移魔法があって、転移先が神の庭って書いてあったんだけど」
目的地を見つけたルーシャだったが、それは思い描いていた場所とは大きく異なっていた。もっと神々しさや天上の世界とでもいうものかと想像していたが、実際には重苦しく枯れ果てた大地だけが広がっている。
「それに、体内に取り込まないと発動しない転移魔法ってのも初めてだし・・・」
変わらず眉間に皺を寄せながらルーシャは歩き出す。
「とりあえず、何か手がかりないか探そっか」
ルーシャは変わらず困った表情をしながらも、セトとともに足を踏み入れた神の庭の探索を行なうのだった。
─────────
謎の屋敷の桃の木によく分からない魔法術があった。
見たことないやつだったのに、蝶の介入があった途端に魔法術が変わった。あんな変化、初めて見た。
色んな魔法術があったけど、その中に転移魔法があった。
しかも、普通と違って対象者が魔力と神語そのものを体内に取り込まないと発動しないって条件・・・初めて見た。そんなこと出来るんだ。
全体的に知らない魔法術とかばっかり・・・。
セトにとって魔力協会は単なる所属組織ではなく、自分の居場所という気持ちが強い場所です。魔力を否定されてきたセトにとって、戸籍という存在を証明してくれるものを用意してくれ、教育という生きていくために必要なものを受けることができ、何よりも自分という存在を受け入れてくれた場所です。




