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第7話_この手はもう、二度と離さない

 

 

■西暦1515年 たぶん3月前半

 

 

 丸一日が経過した。 

 幸い、秘密の通路は秘密たりえているようで、兵士達がこの通路を探しに来ることは無かった。

 馬鹿なのだろうか。

 

 とはいえ、状況はよくない。

 腹減った。一応食料その他諸々も持ち出していたが、通常の三食分。これでは、一週間と持つまい。

 

 

 

 

 

■西暦1515年 たぶん3月前半

 

 

 寒い。

 今は、三月に入った頃だと思う。多少マシになったとはいえ、ガンガンに寒い。

 隙間風がハンパないのだ。どっかに穴が空いているぞこれ。

 もしかしたら地上に脱出できるかもしれないと、暗闇の中喜々として風の出てくる場所を探して回ったが、地上に出られそうな所はなかった。

 畜生め。

 

 

 

 

 

■西暦1515年 3月10日ぐらい

 

 

 食料を食い尽くすころ、地上で騒ぎが起きていた。

 どうも、戦争とやらが始まったらしい。

 

 戦争というか、なんというか。

 普通に砦攻めされている様子である。

 

 あの悪党!

 自信満々だったくせに、速攻で本拠地攻められてるじゃねぇか!

 よくやったベルク卿の軍勢たちよ。ぐっじょぶ。

 

 

 さてさて、あとは騒ぎに乗じて脱出するだけである。

 ベルク卿の軍勢が勝利してくれるのが一番手っ取り早いかもしれないが、血気盛んな兵士達がどういう行動に出るか不明なので、やはり自分の力で脱出するのが望ましい。

 

 いつだ? いつ脱出する?

 機を逃してはいけない。

 

 

 

 なんてことを思いつつお墓の隙間から様子を伺っていたら、ズズズっと音を立ててお墓が横にずれていった。

 目の前にいるのは、悪党。どうやら、速攻で逃げ出そうとしていたらしい。

 

「きゃあああっ!?」

「うおおおおっ!?」

 

 あっ、なんか女の子っぽい悲鳴を上げてしまった。

 そらそうよ。びっくりもするよ。いきなりのご対面である。

 私の悲鳴に驚いたのか、それとも地下通路に住む幽霊だとでも思ったのか。悪党の方も悲鳴を上げている。

 

「お、お前! こんな所にいたのか。お前のせいで、お前のせいで」

「知るかボケ! なんでもかんでも私のせいにするんじゃないっ」

 

 諸悪の根源を前にすれば、口だって悪くなる。

 脚が震えているし、さんざん力では敵わない事を思い知らされている相手ではあるが、心を奮い立たせないと、今にも崩れ落ちてしまいそうなのだ。

 

 そうだ、これはチャンスだ。

 ここに来たという事は、こいつは扉の鍵を持っている。

 つまり、こいつをどうにかして出し抜けば脱出できて万事解決、ハッピーエンドは間違いなし。

 

 こいつを、どうにかすれば……

 

 

 

「あ、れ?」

 

 どうにも、脚が動かない。

 体力を失っているとはいえ、まったく動かないなんて、おかしいじゃないか?

 

「は、はは。なんだお前、怖いのか? 威勢がいいのは口だけか? 余の躾もなかなかの物のようだ。さぁ、こい」

 

 無遠慮に腕を掴まれ、引き回される。

 ああ、駄目だ。やっぱり体が動かない。

 こいつを目の前にすると、どうにもならない。

 目の前にさえいなければ、体が動くのに。

 

「アルベール様、お供いたします……おや、その娘は?」

「余のペットだ。いじらしくも、余と共に行きたいらしい。ならば、連れて行ってやらねばな」

「余計な荷物を同伴させるのは、賛同いたしかねますが」

「荷物にはならんさ。むしろ、人質として価値がある。お飾りとはいえ、向こうの大将の姉だぞ?」

「は、了解いたしました」

 

 そう言って、数名の兵士達がついてくる。

 少しの間とはいえ、暗い地下を通るからか。兵の一人が、火を灯した。

 どうやらこいつらは、いったん逃げて私を人質に……人質?

 

「……いま、なんて?」

 

 疑問を口にする。

 返答は無い。

 が、確かに言った。向こうの大将の姉だと。

 

 レティシアが、大将?

 ベルク卿ではなく?

 

 

 混乱しているうちに、通路の終わりに到達した。

 あれだけ望んだ扉が。鍵穴をこねくり回し、蹴り飛ばし、周囲の壁を引っ掻きまわしてまで開けようとした扉が、あっさりと開く。

 

 

 久しぶりの太陽の光は、とてもまぶしかった。思わず目をつむる。

 日差しがほんのり温かい。凍り付いた体に、熱が入る。溶けだすまではいかないが、少しだけ元気が出た。

 牢獄から外に出たのだ。考えようによっては、一歩前進したとも言える。

 隙を見て逃げ出す。私にならできるさ、きっと。

 

 

 

 

 

■西暦1515年 3月10日ぐらい 続き

 

 

「くそ、待ち伏せだ!」

「ベルク卿の手の者かっ」

「アルベール!? 敵将がここにいるぞ!」

「申し訳程度に隠してあるとはいえ、こんなあからさまに怪しい扉、囮だと思っていたが……よもや、本当に出てくるとは!」

 

 

 戦場は待ってくれない。

 脱出を再決意した時点で既に私は羽交い絞めにされ、首に刃物を押し付けられていた。

 悪党は「人質がどうなってもいいのか!」と悪党っぽいセリフを叫んでいる。

 どういうことなの。状況の変化が早いよ。

 

「くっ、アリス様が人質になっている」

「アリスさんが!」

「アリス殿!」

 

 こいつら、なんで私の名前知ってるの?

 ……あ、この人たち、教会の近くに詰めている衛兵さんだ。

 週に一度は差し入れを持って行っているのだ。馴染みの顔といえる。

 普段と表情が全然違うし、兜で顔が見えない人もいたが、声でわかる。

 

 

「アリス!」

 

 一際聞きなれた声が近づいてきた。

 トクンと、心臓が高鳴る。

 私が聞きたかった声。会いたかった二人のうちの、片割れ。

 

「ユーリ……?」

 

 ユーリだ。ユーリがいる。

 兵たちの間から慌てて前に出てきたのは、懐かしい顔。

 もう、何年もあっていないかのように感じる。

 少し、やつれたかもしれない。

 

 どうして、ここにいるのか。兵として志願したのか。危険ではないのか。助けにきてくれたのか。

 会えて嬉しい気持ちと、今の自分を見られたくない気持ちがせめぎあう。

 

「近づくな。人質を殺すぞ!」

 

 悪党は、剣を振り回した。

 ユーリは、あと数歩の所で足を止める。

 

 すぐにでも、触れ合いたいのに。

 抱きしめたいのに、それができない。

 

 

 私の怒りが、急激に燃え上がった。

 さっきまで固まって動かなかった体も、今なら動く。

 

 くそっ、手を離せこのクソ野郎が!

 私はユーリの所にいくのだ!

 

 思いっきりもがいて、もがいて、暴れまくる。なんとか噛みついてやろうと、頭を揺すった。

 が、全然びくともしない。

 おのれ、この腐れマッチョめ。マッチョなら健全な精神を宿しておけ。

 

 

 息が上がる。駄目だ、逃げられない。

 このままでは、足手まといだ。足手まといには、なりたくない。

 隙を作れればいいが、そんな都合のいいものは……

 

 

 

 ふと、足元に転がっている物が目に入る。

 太陽の下なので気づかなかった。地下道に入る前に兵士の付けた明かり。槍を持つために放り出したそれが、まだ消えていない。

 そして、私のカバンも足元に転がっている。

 

 私のカバン。

 中身はロープ、食料をくるんでいた布、空瓶と……少量とはいえ、黒色火薬を布筒に詰めたもの。

 つまりは、爆竹である。

 

「……」

 

 こっそり足を動かし、火をカバンの方に近づけた。

 絹がメインなので燃えにくいだろうが、フリル部分もあるし、風通し良さそうだし、少しは燃えてくれるのではなかろうか。

 

 ちらりと悪党の方に目を向ける。

 ユーリ達と言い合うのに忙しく、気づいていないようだ。

 

 カバンを見る。

 表面こそほとんど燃えていないが、どうも中の方は燃えているように感じる。

 かすかに臭いが漂ってくるのだ。中にある布──コットンが燃えているのではないだろうか。

 

 あ、なんか大丈夫そう。

 

 

 パァンと、大きな音が響き渡る。

 ただの爆竹。それがこの場では切り札となる。

 一瞬でいいのだ。不意を付ければ、それでいい。

 私はストンと体を落とし、悪党の拘束を振り払うことに成功した。

 

 わっははは。油断したな、このマヌケがぁ!

 私は脱兎のごとく逃げ出した。

 前世から(つちか)った私の逃げスキルを、舐めるなよ!

 

「ま、まて!?」

 

 悪党が追ってくるが、遅い。

 ほんの数歩で追いつかれる距離だが、遅すぎる。

 なにせ、私の目の前にはユーリがいるのだ。

 ユーリが私を守らないはず、ないではないか?

 

 私とユーリが交錯する。

 直後にユーリが剣を振り切ると、くぐもった悲鳴が聞こえた。

 ユーリは一刀のもとに、悪党の首を切り裂いたのだ。

 

 私を苦しめた悪党の、あっけない最後。

 さすがはユーリである。

 

 続いて、ベルク卿側の衛兵達が雄たけびを上げた。

 剣を取り、槍を取り、一直線に悪党の仲間たちに襲い掛かる。

 親玉が死んだのだ。悪党どもは既に戦意喪失し、我先にと地下通路に殺到して逃げ出した。

 その先に、逃げ道など無いというのに。

 

 

 

 終わった、と。

 そう思った瞬間、体から急に力が抜け落ちた。

 溜息をつく。今まで意識しないようにしていたが、心臓がバクバクとうるさい。

 抑え込んでいた感情が溢れ出す。

 我を忘れんばかりの怒りを発揮したばかりだが、あれでも感情が抑制されていたらしい。

 喜びも、怒りも。そして不安も、一気に噴き出した。

 

「ユーリッ!」

 

 私はユーリの名を呼びながら、彼に抱き着いた。

 今すぐ抱きしめないと、不安で不安でたまらない。

 

 ずっと、会っていなかった気がする。

 長い間、名前を呼んでもらえなかった気がする。

 私は、一日一回。必ず、ユーリの名前を呼んでいたけれど。

 

「ユーリ。ユーリ。ユーリッ!」

 

 タガが外れたように、私は彼の名前を呼び続けた。

 どうにも止まらない。声も、涙も。体の震えも、止まらなかった。

 強がってはいたが、ずっと不安だった。

 もう彼に、会えないのではないかと。

 私はこのまま一生、囚われの身でいるのではないかと。

 不安で不安で、心細くて。心が張り裂けそうで。

 彼に抱きしめてもらわないと、この不安はきっと、拭えない。

 

 触れ合った場所から、ユーリの体温が伝わってくる。

 暖かい。甲冑の冷たさと堅さは無粋だが、ユーリがそばにいるという、それだけで体がぽかぽかしてくる。

 ユーリに触れられるのは、気持ち悪くない。むしろ、いつまでもくっついていたい。

 

「すまない、遅くなった」

「ううん、いいよ。助けに来てくれたから」

 

 ユーリが、私に優しい声を掛けてくる。

 

 話したいことが、いっぱいあった。

 伝えたい思いが、たくさんあった。

 

 けれども、いざ彼を目の前にすると、うまく言葉にできない。

 彼の声に簡単な相槌を返すぐらいしかできないのが、もどかしい。

 

「会いたかった」

「うん」

「心が張り裂けそうだった」

「うん」

「無事で、よかった」

「……うん」

 

 見つめ合う。

 ユーリは私の不安を和らげるため、優しい言葉を口にしようとしている。

 私としては、その優しさに包まれずにはいられない。

 

「愛してる」

 

 彼はそう言って、私の頬に手を添える。

 以前は、拒絶してしまった。

 でも今は、とても嬉しい。

 ユーリといると、恐い気持ちも嫌な気持ちも、何もかも。

 全部、吹き飛んで行ってしまうから。

 

「私も、大好き」

 

 その気持ちだけ、素直に表に出して。

 私は目を閉じて、それを待ち受ける。

 

 唇から伝わる暖かい感触が、私の心を溶かしてくれた。

 最近ずっと、こうなる事を夢見ていたのだ。

 

 夢の中でレティやユーリと一緒に過ごした。

 あの日、あの時。

 私がユーリを拒絶しなければ、ありえたかもしれない未来を夢見た。

 それは本当に夢のように幸せで。

 目が覚めた時は逆に、不安と恐怖で体を震わせた。

 

 けど、もう夢じゃない。

 手をのばせば。少しだけ素直になれば、手に入る。

 

 

 

 ──恋は、あなたの人生を変えてくれる。

 

 

 母の言葉だ。

 その時は半信半疑だったけれど、今ならわかる。

 

 だって、こんなにもドキドキするのだ。

 こんなに、嬉しいのだ。

 人生の一つや二つ、変わって当然ではないか?

 

「ユーリ」

 

 唇を離し、その瞳を見つめて。

 彼の顔を目に焼き付け、彼の感触を肌に感じながら、もう一度彼の名前を口にする。

 

 私は今、笑っていると思う。

 涙を流していると思う。

 ユーリやレティと出会う前の私は、笑い方を知らなかった。泣き方を知らなかった。

 

 でも今は、心から笑うことができるんだ。

 涙を流すことだって、恥ずかしくない。

 この気持ちを知ってもらうことが、恥ずかしいことのはずがない。

 

 

 私たちは顔を寄せ合い、額をこつんと合わせて笑いあった。

 辛いこともあったけれど、こうして笑いあえるなら、大丈夫。

 いつしか、体の震えも止まっていた。

 もう、怖くない。

 もう、不安なんてない。

 

 だって。今、この瞬間。

 私はこんなにも、幸せなんだから。

 

 

 

 

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