第2話_泣いちゃう事だってあるさ、女の子だもの
■西暦1509年9月16日
「アリス。よくやったわ、えらいわ。妹を守るために戦うなんて、アリスも立派なお姉ちゃんだったということね」
私が九歳、レティが三歳になった頃。
レティを虐めようとしていたクソガキがいたので、天誅を喰らわせ嬉々満面の笑みで帰宅した私を待っていたのは、母からのお褒めの言葉だった。
てっきり怒られるかと思っていたのだが。
その、なんだ。
少し、やりすぎてしまった。
タックル寝技に弱いガキ大将、あいつが加勢にきたのがいけない。
あいつが来ると、必然的に取り巻き連中も来る。
そして相対した相手も、仲間を呼ぶ。
人数はあっという間に膨れ上がり、町内のガキ共を二分する大戦争に発展してしまった。
おまけに、敗色濃厚と悟った敵方は、援軍を読んだのである。
半分大人と言っていい年齢に達しても勤労の感謝を知らず、子供の喧嘩に介入してくる大人げない、大人の成分が含まれていないヤンキー。
私がタックルで体勢を崩したところをガキ大将の超必殺技(秘密裏に開発していたらしい)で沈めたが、衛兵に睨まれている彼が騒ぎを起こしたせいで(私に責任はない)、衛兵さんたちが出動してしまった。
おかげで、こっぴどく怒られたのだ。
「そうだ、今日はごちそうにしましょう! ケーキを作るわよ。いいバターを貰ったの」
「わーい!」
「……わーい」
泣きべそが一転、満面の笑みではしゃぐレティの真似をして、喜ぶ振りをしてみた。
あまり、食事をおいしいと思ったことはなかったが。
というより、味わって食べるということをしてこなかった気がする。
率直に言って、興味がなかった。
だが、最近寝たきりに近い母が頑張って作ってくれるというのであれば、喜んで食べるべきだろう。
「……おいしい」
もぐもぐとケーキを租借する。
意外だ。新鮮な発見だ。
ケーキが、こんなにおいしいなんて。
自分でも気が付いていなかったが、闘争により気分が高揚していたのかもしれない。
勝利の美酒というやつだろうか。
「おいしいね、おかあさんの作ったケーキ!」
「……うん、そうだね」
私は母の作ったケーキを、ゆっくりと味わった。
■西暦1510年3月15日
「アリスは、最近楽しそうね」
「……私が?」
レティが寝静まった後。
寝る前に飲み物でも頂こうかと思っていると、珍しく起き上がってきた母が一服していた。
飲み物と、今日とったばかりの苺を食べているようである。
時間が時間だが、食事量が少なすぎると心配していたので、食欲が出てきたのであれば喜ばしい。
体調が、よくなってきているのだろうか。
「昔は何を考えてるか、私にもわからなかったけれど。今はずいぶんとわかりやすくなったわ」
何を考えてるか、わからなかったって。
それを、面と向かって堂々といいやがりますか。
母は、私に対してストレートに過ぎると思う。
「感情を表に出すのは、いい事よ? だって、あなたの好き嫌いがわからないと、私たちもどうすればいいか困るもの。ふふ、アリスはイチゴのケーキが大好きよねぇ」
「……イチゴもケーキも、好き」
私は、差し出されたイチゴをぱくりと口にした。
……寝る前に食事するのは、良くないような気もするが。
まぁ、この母がそんなこと気にするはずもない。
良くも悪くも、能天気なのだ。
能天気なのが良いことだなんて、昔は思いもしなかったけれど。
■西暦1510年12月25日
今日は、お祭りだった。
貧乏暮らしなので贅沢はできなかったが、貧乏でも催し物を見るぐらいはできる。
私はレティを連れて町のあちこちを周り、はしゃいで走り回ろうとするレティをなんとかコントロールしながら、今日という一日を乗り切った。
できれば母も連れて行きたかったが、体調が良くないため、お預けとなった。
元気になったら、ぜひとも三人で一緒にお祭り巡りをしたい。
不良シスター? ここ二年ほどは帰ってきていない。
もう戻ってこないのではないかと思う。
教会に住んでいるのは、私と母、そして妹の三人だけだ。
沢山ならんだお店を見て回って、食事を食べて、劇を見て、仮装パレードを追いかけて。
最後に、露天で髪飾りを買った。
今日という一日の記念に、レティが今日を楽しんだ思い出を残しておくために。これぐらいの贅沢は許されると思う。
レティの分だけ買うつもりだったが「お姉ちゃんと一緒じゃなきゃやだ!」と主張するレティに押し切られて、私の分まで買ってしまった。
お洒落なんて、今までしていなかったけれど。
レティが喜ぶのなら、してもいいかもしれない。
私はベッドに横になり、目をつぶる。
寒さを忘れるほど火照った体が、冷たいシーツに触れたとたん、急速に寒さを主張し始める。
まるで、魔法が切れてしまったかのようだ。
私は布団の中で丸くなった。まだ布団は温まっていないが、疲労で瞼が重い。
私は手の平に息を吹きかけ、目を閉じた。
疲れたが、いい一日だったのではないかと思う。
目を輝かせるレティを目にすると、私も自然と笑みが漏れてくる。
誰かを見て、誰かと一緒に過ごすだけで嬉しくなってくる。
私がそんな生き方をするなんて、想像もしていなかったけれど。
夢うつつで微睡んでいると、なにやらベッドの中でごそごそする感触が。
「……眠れないの?」
「うん!」
レティである。元気のいいことだ。
まだお祭りの熱気が体から抜けていない様子。これでは、興奮して眠れない。
「じゃあ、昔話でもしようか」
レティが喜びの声を上げつつ、布団の中で私に抱き着いてくる。
暖かい。思わず私も、レティをぎゅっと抱きしめ返した。
再び魔法がかかったように、私の体に活力が生まれてくる。
最近はご無沙汰だったが、昔はよく物語を読み聞かせていたものだ。
寝る前になると、せがみに来るのである。
前世では無駄に暇を持て余し、本を乱読していたので、話す物語には事欠かない。
昔話と言いつつ未来のお話なのだが(グリム童話もアンデルセン童話も、三百年以上未来のお話だ)、そこはそれ。幼子に聞かせるだけだし、問題はなかろう。たぶん。
今日も二つほどのお話をして、その後せまりくるレティの「どうして? どうして?」攻撃を回避しつつ、頭を撫でる。
まだ小さいからか、嫌がるそぶりは見せない。今のうちに撫でておこう。
将来、反抗期になって「お姉ちゃん嫌い!」とか言われだす前に……うおお、なんだ。すごく胸が苦しい。
「この後は? この後はどうなったの? なんでここで終わっちゃうの?」
「……王子様もお姫様も、結婚して幸せに暮らしたよ。これ以上語られるのは、恥ずかしかったんじゃないかな。だって、世界中に自分たちの事が広まるんだよ? 私なら、顔から火を噴いて死ぬ」
「ええー、ずっと聞いていたいのになぁー」
どうだろう。
人がただ幸せに暮らしているだけの物語なんて、きっと退屈だ。
物語として語られるのであれば、そこには不幸が付きまとう。
彼らは、これ以上語られるべきではない。
彼らの幸せを願うならば、そっとしておくべきなのではないか。
そんな事を考えてしまうのは、やはり自分の性根がひん曲がっているからだろうか。
私は今、幸せだ。
この幸せが、いつまでも続けばいいのにと思う。
波乱万丈の人生なんていらないし、手に掴める程度の幸せを手に入れられれば、それでいい。
考えないようにしていたが、自分は少々特殊だ。
将来に希望はあまり持っていないし、結婚して子供を産むとか想像もできないし。
もしかすると、人より掴める幸せは、少ないのかもしれない。
「──ま、この子がいれば。それでいいか」
いつの間にか眠りについていたレティを見て、私は頬を緩ませた。
そうだ。
私は、この子を守れるなら。それでいい。
■西暦1511年6月3日
母が死んだ。
衰弱が酷く、晩年の母は、一日のわずかな時間しか意識を保つことができなかった。
私は必死になって治療する手段を探した。
分かっている。医者でもない自分が何をしたって、役に立つはずもない。
しかし、もしかしたら。前世の知識が役に立つ事だって、あるかもしれない。
医学、薬学。
あらゆる手段を使ったが、しかしながら。母を治すことは、できなかった。
まったく。前世の知識なんて、まるで役に立たない。
私は今でも、役立たずだ。
終わりの時を、ただ見ている事しかできない。
「……悲しい顔をしないで。私は幸せだった。可愛い子供たちに囲まれて逝けるなんて」
本当に、そうなのだろうか。
私は母に、幸せを分け与える事ができていたのだろうか。
自信がない。私は母の、本当の子供ではない。
「アリス」
声を掛けられる
辛いだろうに、母は腕を上げて私の頭を撫でた。
「レティシアを、よろしくね。あの子は、アリスにとてもよく懐いているから」
懐かしい感触。
何年ぶりだろうか。母にこうして、頭を撫でられるのは。
「それと……幸せにならないと駄目よ。まずは恋をしましょう。恋は、人生を色鮮やかにしてくれる。あなたの人生も、きっと変えてくれる」
恋なんて、できるだろうか。
母も、恋をしたのだろうか。
私もいつか、恋する事があるのだろうか。
「あなたは、幸せを掴むの。あなたが何を背負っているかは知らない。けれど、幸せにはなっていいはずよ。だから」
約束。
私は母と、約束を交わした。
その日は、雨が降った。
酷い雨。いつまでも、止むことがない。
部屋のベッドで横になってから、私は静かに泣いた。
ああ、もう会えないんだ。
母が私に笑顔を向けてくれることは、もう無い。
一緒にご飯を食べてくれる事もないし、お話を聞いてくれることもないし。
叱りつけてくれる事も、抱きしめてくれることも、無い。
「母、さん」
そう口にする。
母と、口に出して呼んだことはなかった。
口にしたなら、きっと喜んでくれるに違いなかったのに。
自信がなかったからか。勇気がなかったからか。拒絶されるかもしれないと思ったからか。
母が私を拒絶するはずが、無いのに。
もう遅い。
母は、もういない。
だから、母さんと。
そう呼んであげることも、できないのだ。
生まれ変わっても、逃げ続けて。そして後悔しながら生きていく。それが私だ。
本当に、どうしようもない。
「お姉ちゃん、起きてる?」
「……ん、起きてる」
レティが、枕を抱えて私のベッドに潜り込んできた。
私は少し横にずれて、それを迎え入れる。
その日の私たちは、抱き合って眠った。
不安でたまらない気持ちも、誰かがそばに居てくれると言うだけで、ずいぶんとマシになるものだ。
レティは、眠ってしまった。
涙は零していない。
死を理解できていないのか、それとも泣いた後なのだろうか。
レティは、大丈夫だろうか?
明日の朝、母を探して回らないだろうか?
泣き出してしまわないだろうか?
私はレティを、支える事ができるだろうか?
私は、レティを守らないといけない。
母に頼まれたのだ。
親不孝な私の、せめてもの恩返し。
私を育ててくれた母さんの望みは、叶えてあげないと。
私は、レティの頭を優しく撫でた。
「レティ」
可愛い妹。私の代わりにとでも言わんばかりに、表情豊かなレティシア。
思えば、感情表現が苦手な私の教師とも呼べる存在かもしれない。
私は、ずいぶんと人間らしくなれた。
それは、レティが居てくれたからだ。
私は母さんだけでなく、この子にも恩がある。
だから。
「ありがとう」
私は、感謝の気持ちを口に出し。
この子を守ると誓って。
そうして、深い眠りに落ちた。