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異世界王女がやってくる!  作者: 橘麒麟
Ready With a Gun(その力は誰がために)
9/70

藤実京介の口説き文句

藤実京介は目的の駅で新幹線を降りたが、朝早くに出た二人は、今はもう昼時で空腹だった。


ちょっと気まずい空気の中、水野晶子がどうしても現地のお好み焼きを食べたいとぼそりつぶやいたので京介はそれに付き合うことにした。ところで京介は律儀に朝食を取るタイプの人間であったが、今日は取らず、また昼食を普段取らないという人間でもあった。なにか考えていると空腹を感じないのだ。


それで今日は特に腹が減っていなかったが、女性の昼食に付き合うということは慣れっこだった。だから快く承諾した。


日曜日ということで駅ビルの中でもお好み焼き屋は空いていたが、やっぱり京介は軽食店独特のざわついた雰囲気を好きになれずにいた。


二人は食事を待つ間こんな話をした。


京介は受け答えをしながら、晶子くらいの勘違い女になるとこんな雰囲気の場所でも静かな話ができるものだと軽蔑した。しかし京介は電車の中で一人の時間を過ごし、落ち着いていたので丁寧な受け答えをすることができた。

ただ、一つまだ気にかかるとすれば盲目の男が京介に渡した手紙だった。


「あなたにとってパンと自由とどちらが大切ですか。」


それはポケットにしまったまま、座ったりするとズボンの布越しにその固い感触を京介は覚えていたのだが、取り出すにはまだ心の準備ができていないなと思った。取り出すことが怖かった。


「京介さん…怒っていらっしゃいますよね?」


「いえ、すみません。本当に若気の至りだったのです…ただわけもわからず先輩のことが嫌になったのです、僕は先輩には敵わないのですから。嫉妬です。ごめんなさい。」


もちろん京介は自分の魂の「自由」やら、喜びやらというものより生きるための「パン」を選ぶ人間だった。


「え…てっきり私の下世話な考えがあなたの顰蹙を買ったものだと思っておりました。」


「僕にも本当にわからないんですよ。もしかしたらそういう考えもあるかもしれませんが、その答えは今の僕に出ません。だから先輩のように言葉に出せる、ってことをいいと思ったんですよ。」


晶子は京介が演じることがうまいとまでは思っていなかったので、本当の気持ちについて正直に言える彼を不思議に感じた。


通常通り、京介のような優秀な人間は自分の哲学を持っていて、そこに他人が触れたりすると怒る、そう解して自分の中では京介の怒りの理由をわかっていたつもりだったが、素直にほくそ笑む京介を見ては不安になった。

彼女の中では大変な秀才が人に嫉妬することなどないということだったが、そもそも「秀才」の意味を京介に関しては外していた。彼は勉強ができるから、自分の感性と美への憧憬を心に秘めているから、優秀なのではなく人に認められる術を的確に判断し行動に移すことができるから、「天才」だったのだ。


彼の心の中では、あるべき人間の心の中にある矛盾、無数の心の多くが欠落していた。


もちろん京介は無言を突き通そうとしていた晶子の無言のわけを、瞬時に悟った。京介も少しばかり静寂に身を任せたのは、自分がそれを簡単に理解したと悟らせないためである。


「先輩、これを食べ終わったらこの街の美術館へ行きましょう。西洋画家による大作が多く貯蔵されているそうですよ。僕らが目的の藤の町へつかなければならない時間までには、暇があるでしょう。」


「あ…!はい、そうですね。お付き合いいたします。」


もちろん京介は、


「先輩が燃やしたくなるような絵画だってあるかもしれませんよ?」


なんていたずらじみた、子供っぽい言葉はかけなかった。


満足そうにお好み焼きを食べる先輩の傍、京介はお好み焼きを大変まずくねちょねちょしていて嫌だと思いながら食事した。


ーーー


美術館までは徒歩で行ける距離だったのでそうすることにしたが、途中で二人は道中飲むための清涼飲料水を買うため、コンビニに寄った。


大体のコンビニにおいてその棚の位置は決まっているので何も考えず京介は手洗いへ行った晶子をよそに買いに動いたが、目の前に開いたのは京介が努めて見まいとしていた雑誌の棚だった。

京介は二人分の飲料を買ったが、ちょっとした罪悪感で選んだのは普段買うものより少し値の張るものだった。とうとう盲目の人間に飽き足らず、自分はコンビニにまで一本取られたと思った。それにしても商売のうまいコンビニだなと思った。


コンビニからは、ものの5分ほどで美術館に到着した。県立の美術館だったので休日も人は少なく、入場者は二人のみだった。


「これがモネ…ルノワール、ゴッホ、シャガール…向こうが日本絵画ですね。京介さん、どちらのコーナーから入って行きましょうか。順序は私たちが選べるようですよ。」


晶子はしきりに受付でもらったパンフレットを見つめ、有名な画家のうんちくを読むのを楽しんでいるようだった。また、ちょっと彼女は男性と二人きりで美術館に入るって状況にも酔っていたのかもしれない。


「ただ入りたいと思う場所から入ればいいんですよ、先輩。」


「ふふ…京介さんは不思議な方。やっぱり怒っていらっしゃったんでしょう?こんなところへ来たいだなんて。」


「そうかもしれません。でもどうだったっていいじゃないですか、僕は今楽しいと思いますよ。」


「まあお上手!」


しきりに晶子は館内に大きな笑い声を響かせてはいけないと思っていたのか、堪えながら静かに笑っていた。もしかするとギャグや冗談で笑う声とは違って、自分で心から笑うより相手を気遣うような意味で笑っていたのかもしれないが。


とりあえず晶子はモネの絵画を見たいとほのめかしたが、京介が優しく強引にシャガールの方へエスコートした。京介は女性と美術館へ行くことになった時どんな話をするべきか、学ぶことを怠らなかったので。


「京介さんこれは?衰えた死にかけの老婆?」


「素敵ですね。」


「どうしてこんなものが絵になるの?私怖い。こんなに恐ろしい絵があるなんて。」


「僕にも分かりません…ただとある作家の小説から言葉を拝借するならば。

”私は再び母が死んでゆくのを見た。私は母の顔を気高くする死の静かな真剣な仕事を、再び母の涙の上に見た。死は厳しいように見えたが、しかし、道に迷った子供を家に連れ帰る慎重な父親もさながらに、力強くて慈悲深くもあるように思えた。”

です。」


「詳しいのですね…私、恥ずかしいけど誰の言葉だか見当もつきません。」


「ヘルマン・ヘッセですよ。その”郷愁”の中の一節です。ちょうど思い出しました。」


「郷愁?死んでしまうのに?」


「熱の時って先輩はちょっと懐かしい気がしません?」


「ああ!はい!私もそう思います、なにか、すべてのものが愛おしいような、熱に浮かされて…」


「はい、全くその感覚だと思いますよ。だから美しい絵になるんです。」


少し、京介が美術館という雰囲気に助けられて素直に話すことのできた一瞬だった。


そして、実を言うと京介はこの会話において全て何かの受け売りで話しただけで、いったい自分が何の話をしていて、どうしてこの絵が美しいのかということは自分の中では一切消化できていなかった。


「もしかして先輩がなにかものすごいものを燃やしたいという感覚も、こういう意味なのかもしれませんよ…」


美術館にいるにしても大変な小声で、京介はささやいた。ちょっぴり晶子は頬を赤らめて、二人が次の絵画を鑑賞に移るのに若干時間を要した一瞬であった。彼女に囁くため、かがんで話す時、クシャクシャに丸めたポケットの中の小さい手紙がいつも京介のふとももをちくりと刺した。


「パンか自由か」


京介は食事をしていた時より、今美術館の中で一人の女性と会話している今のほうがはるかに素敵だと感じてしまう。それを自分の中ではひどく悔しがった。京介は自分のことを未熟で一貫性のない人間だと思ってしまうのだった。


月曜日の夕暮れ、二人は美術館で各々のことを考えていた。

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