王女様、お姉ちゃんになる
藤実京介が電車に乗った月曜日の朝より、土曜の夜中へ話は遡る。
悠とマーゴは白川家へ帰宅していた。
悠は子供達と、夜遅くに帰宅する両親のために夕飯を作らなければならなかったので台所へ張り付いたままだったので、マーゴは子供達の遊び相手になりつつニュース番組を英語字幕でつけていた。これは彼女が悠にもっと日本のことを知りたいと伝えたら、設定してもらえたものだった。
ところで、ニュース番組をつけていると、外国人だということで白川家の5人の子供達はマーゴのことを頭のいい女の人と思ったのか、質問攻めにした。マーゴは人に質問されることを嫌うタイプの人間ではなかった、鏡の国では人に避けられるだけで質問されるまでに至らなかったので、むしろ嬉しいと感じた。
初め、日本語で自分の考えはうまく伝えることのできないマーゴはどきまぎしていたが、夕飯の支度を終えてやってきた悠の翻訳がついて、会話できるようになった。
「ねえねえ、マーゴお姉ちゃん!どうしてみんな、都会の人は携帯電話を持っていてそれに夢中になるの?」
「それはきっと皆寂しいからですわ。」
悠は子供相手の同時通訳もこなした。
「ふーん。でもみんな家族がいるって言ってたよ!なのに寂しいの?」
「それは家族のことを家族だと思っていないからでしょう。人は皆家族です、しかし外へ出れば、人はどういうことをしていてどういう風に言われている。そういう人になりますの。だから、人をただの人として見ることができないのですわ。それで人を怖がったり、信じなくなったり…」
「難しいよぅ…亜美ね、分かんない!」
この質問を発したのは次女である丁度八つになったばかりの、亜美という女の子だった。他、四人の子供たちは亜美より年下の子供だけである。
質問の合間にマーゴは悠に質問を、ささやき声で入れたりもした。
「悠、悠。どうしてこの子たちは私のことをお姉ちゃんと呼びますの…?」
「あぁ…私がお姉ちゃんだから、私の友達の女の人もお姉ちゃん。そういう風にできてるんだよ日本って…本当はそうじゃなくても、そういう風に見えたらそう!みたいな?」
「まぁ素敵!私も憧れのお姉ちゃんになったのですわ…!」
「あ、憧れてたの…?まあ楽しいけどさ、家族とか…いなかった?」
「いいえ。家族関係は私の国では忌み嫌われるものですわ、そういうふうに、誰かが誰かを定義する。そういうものを嫌っていましたの。国民は誇り高い…プライドが高くて高慢な人たちばかりでしたから。」
「そうなんだ。でもマーゴが改革に失敗したってことは、それで平和な国だったんだよね?」
「人と関わることをやめた私たちはものに頼りました。例えば芸術、自然などに。至って、はい。平和すぎるほどに平和でしたよ。」
芸術が人を厭世的にするというのは、人と関わる以上の価値がそこにあったからかもしれない。
しかし、芸術的な感性があるということは、人の心の一端に触れて仕舞えば激しく湧き上がる何かがその人の中にあるということでもある。
それは多くの偉大な芸術家の中で、怒りとか憎しみとして吐き出されてきた。
オペラ座の怪人が良き例である、一体そんなに感受性が強くて、世の中の人間の醜さをこぞって感じてしまう人々の救済は、どこにあるというのだろうか。
「ねえマーゴお姉ちゃん、何お話ししてるの?」
マーゴは自分が人に姉と呼ばれたことを喜んでいた。
彼女はずっと誰か、自分ではない人間と関わりたいと思っていた。
だから悠と出会えたことも、初めての来日で警官に逮捕されたことも、すべて嬉しいと思った。
「私はーマーゴ!マーゴは、お姉ちゃん!」
「うん!マーゴお姉ちゃん!悠お姉ちゃんと一緒!」
子供たちに対してはところどころ、子供っぽい日本語で話せた。こうして、すっかりマーゴは白川家の一員になっていった。
「ところでうちの親まだ帰ってこないし、マーゴ先にお風呂はいっちゃったら?私たちは時間があればその後でいいよ。私と他の子たちは一緒に入れるし。」
「あら、私も含めてみんな一緒でもよくってよ?」
「へ?なんで?」
悠は不思議そうにマーゴに質問を投げかけた。
「私はてっきり悠は私と一緒にお風呂に入りたくって入りたくってしょうがないものだと思っていましたわ。」
「は…?はぁぁ!?いや、ないから!あるわけないだろ!」
「私、素敵な方の色目に気づかないほど馬鹿な女じゃないわ。」
「ちょっと認める節もある!あるけど子供達の前でそんな話をするなああ!!早く入ってこい!そして帰ってくるな!」
「それでは真夜中…布団の方で…」
「は…?あんたなんで布団の中でなんて知ってんの…?そんな文化ないでしょ?だって人と関わるのが嫌いな国だったんだから…それも布団って古典的で日本的な…」
「悠の部屋にHimitu no Hanazono...」
「24時間!あの百合アニメの雑誌!あ…あぁ…もう家庭崩壊…」
「悠お姉ちゃん、秘密の花園ってなあに?」
マーゴがニヤニヤとしている横で悠は大変慌てた。
「英語でね、オカメ笹って言うのよ。有名な作家さんの小説よ、ものすごく日本的だからマーゴが題名の意味について質問してきたの。はいはい、もうマーゴお姉ちゃんはお風呂に入りますから、私と一緒に大人しくっ。テレビを見ましょうね。」
二人が英語で話すことしかできないというのが、悠を救った。
子供たちは悠の突然の取り乱しぶりを不思議そうに眺めていたが、とにかく悠はマーゴを風呂場の方へ追いやった。
マーゴは恋という感覚について全く無知だったが、昨晩悠の部屋で見つけた雑誌によって「人と一緒にむずむずした感覚を覚えたら恋」ということを覚えたし、悠との関係こそそれだと信じきっていたので悪意はなしに雑誌の受け売りをしていただけだった。
マーゴにとってそういうものはとっても素敵、という感覚があったが現代日本の高校生女子にとっては重大な問題である。マーゴと生活していくにはまだまだ問題がありそうだなと、先を思いやった悠である。
マーゴは人とお風呂に入る、ということを昨晩から楽しんでいたので子供達とも一緒に風呂に入れないのを残念がっている様子だった。もちろん入れなくなった理由が何なのかもよくわかっていない。
全員が風呂に入り終えてからしばらくして両親が帰宅した。悠はもちろん子供たちに「オカメ笹」のことは内緒だと釘をさすのを忘れなかった。