水野晶子、ブラックマーケットへ
結局、晶子と少年の買ってきた赤のワインは「男爵専用」の札を付けられてしまった。少年は晶子の「何万年生きていても体の問題なのです。」という言い分によって禁酒生活を余儀なくされた。つまり、晶子の一生懸命作った西洋料理の傍、ワインを嗜んでいるのは男爵だけとなる。
「ところで皆さん、ブラックマーケットを壊してしまいたいというのは本当なのですか?」
晶子と少年の間にはいざこざがあったが、晶子は特に気にしていない様子だ。パスタをスプーンとフォークでつまみながら、質問する。
ちらっと男爵が少年の方を見やり、少年は静かに頷く。本音の方まで言ってしまったのか、この話はしてもいいのかという男爵なりの配慮だ。
「はい…我々はブラックマーケットと共に生まれ、共に消え行かなければならない者なのですよ。その運命に気がついた我々は、従おうと、思っているのであります。」
依然、脳のお面をつけていた男爵が話す。なんだか、晶子にとって男爵と喋るのは、鏡花とともに繰り広げた戦闘以来で久しぶりに思えるのだった。
「消し去るとは…?具体的には?」
「メフィストフェレス、つまりはブラックマーケットの支配人、夜の神を狩るのです。それだけなのです。ブラックマーケットの開催日は満月の日、つまり世界中、どこかで毎日開催されているのですよ。であるからして、この少年の能力でいつでも、我々はマーケットへ行くことができるのです。少年の能力は転移、転生の指標による転生…」
「マーゴさんとの優先順位は…?」
「マーケットであります。
あすこさえ消えれば。私どもの死などくだらないものです。私がナイフでマーゴ・ジニエステを殺害、自殺。それで新たな生を、異世界への帰還という形で得ることができます。能力さえ消えてしまうのなら、死は問題になりません。輪廻転生の、誓約書があるのと同然になるのですから。」
晶子は理解した、能力者という集団が自らの能力に気づいた時、それはもうこの世の命ではないということ。それは、異世界から現世へ迷い込んだ者なのだ。現世においての死の概念すら、自らの能力を得た、という事実において超越している。
それで、能力を授けるものが神なのだということも納得できる。
「それでは、私は能力者になる必要がないと…?」
晶子にとって、この質問は一番重要だ。能力を得てしまえば、消えなくてはならなくて異世界へ転生する運命を持つ、そういう話の脈絡だったから未だ現世への執着がある晶子は恐怖を覚えている。
単純に。死ななければならないかもしれない。
そこで、少年が口を挟む。
「いや、必要云々じゃない。別に、もう俺らと手を切って知らんぷりするんだったらそれでいい、能力は要らない。けど、ブラックマーケットに入ってそれを消そうと願うなら、自分も消える覚悟が必要なんだよ。概して、動機には運命とその逆が同等の分だけ伴う。世界って、ほら。そういうふうにできてるだろ。
そんなに難しい話じゃない。ただ、当然のことを素直に当然と受け入れたまま、答えてくれていい。
あんたが何もしないなら、何も変わらない。けど、何かを変える意思があるならそのままでいれると思うのはダメだよ。」
少年はおもむろに、何か小さな紙の切れ端に書いて晶子に手渡した、食卓の上。晶子はそれを広げ、読む。「誠に実に爾曹に告げん、一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし。」と。
サッと男爵の飲んでいた赤ワインの瓶を少年は奪い取ると、そのまま飲もうとした。しかし、男爵が少年に飛びかかって阻止すると、綺麗な赤の液体が食卓と三人の衣服の上に無造作に飛び散った。
静かに、三人は驚いた顔をそれぞれしたが何も言わず元に戻る。何もなかったかのようだ、誰にも気づかれないよう少年は倒れた酒瓶を、床の上に片手で立てた。
「私、変わります…変わってみせます。」
「夕べに道を聞かば夜の道に死すことも…なんとやら、初めからなんとやら。だけどな。変わるってことは、あんたいっぺん死ぬってことだよ。生き返った時、どこにいるのか、保証はできない。それでも、変わるのかい?」
「変わります、と言ったんです。」
「それじゃあ行こう!ブラックマーケットへ!三人で。」
少年は高らかに笑うと、食卓から三人は消えていた。これで、水野晶子も晴れてブラックマーケットの内情へ触れることとなっていくのである。
三人が消えた時、少年の立てたワインのボトルはゆっくりと倒れた。




