王女様、それが運命なのだから(Can't help falling in love with this town)
(以下、英語で為された会話も全て日本語で記すとする。)
「これがコンビニ。何か足りないなと思ったらここへ来ればいいよ。」
「コンビニ!コンビニ!」
土曜日の正午。
マーゴは白川に連れられて町の探検に出ていた。
まだ何かを伝えるに当たって英語は抜けなかったものの、マーゴはすでに「コンビニ」などの名詞はうまく日本語のアクセントで発音するに至っていたし、たった今発した言葉のように強調が喜びを表す。静かに言えば恐れや悲しみを表す。そういう日本的な感情表現をする能力も身につけていた。
結局彼女にとって英語も聴覚を用いず短期間で書物から身につけたものだったので、そういう劇的な進歩は造作もないことだった。
すっかり日本を気に入ってしまったマーゴの知識欲はとどまるところを知らなかった。
ところで今がすでに正午であるのは、マーゴがすっかり寝坊してしまったからだ。
鏡の国での真昼間、転生を為したのだが日本では深夜だったので、時差ぼけのようなものがあった。
白川はそんなことはいざ知らず、昨晩はマーゴに日本の家で寝ることから風呂に入ることまでの作法を教えなければなかったし、白川家という8人家族の大世帯の中、全員と一悶着あったのだ。
白川悠はその中で最年長だったのでマーゴを泊める決断は早かったものの、物心のつき始めた弟や妹に事情を説明するのに時間が要った。
しかしマーゴを突然泊めることができたのは、悠の人柄と統一された白川家の雰囲気のおかげである。それは不幸中の幸いといえよう。往々にして田舎町には、人を疑ったり、困っている人を見捨てたりする習慣はないものである。
そこで、さすがにマーゴには転生してきたままの服を着せることはできないので、悠は自分の洋服を彼女に貸した。彼女の風貌も相まって二人とも英語で会話していること以外、普通の高校生の友人同士という見栄えだった。
コンビニへ入るとマーゴは自動ドアやかかっているbgm。入った時の音を不思議に思ったようで、何度も出入りしては音の意味を探っているようだった。
それを悠が丁寧に説明してやめさせた。(実は中と外の空間概念は日本人特有のものであって、例えば神社の鳥居もその文化の顕現である。境界を超えると一度死に、生き返るだとか、そういう生死の境目の感覚を日本人は好むものである。)
悠はコンビニの中になにがあるのか順を追って説明することにした。
「まず、これはお弁当。」
「お弁当?食べ物ですわよね?なんだか美味しそうな匂いがしますわ。」
「日本人は旅が好きだからさ、食べ物はよく容器に入れて持ち歩けるようにしてあるんだよ。私が好きなのはこれ、幕の内の弁当。
幕の内っていうのはその…人が、何かお披露目するときの休憩時間に食べるものだから。日本では舞台裏のことを幕の内って、言うの。鏡の国に幕があるか知らないけれど…つまり、人の見えないところで演者が食べるお弁当。ってわけ。」
「つまりこの国の人々は一つ一つ、世界を区切ることに長けているわけですね。私も自分の国で踊りを披露した時に、幕がありました。観客と隔てられた空間に戻った時、生まれ変わったような気持ちになりましたもの…そこで食事ができるなんて素敵ですね!」
「そうなんだ。結構うちの国とあなたの国は、同じところがあるんだね。どんな踊り?」
「私の創作舞踏でしたの。即興でしたわ、裸で踊りますの。しかしそれはすぐに禁止となってしまいました、あなたの国のような文化を私は自国で作り上げることができませんでしたの。」
ふーんと、いとも簡単そうに悠は聞いていたが、王女様というと華やかな感じだと思っていた彼女にはすごく新鮮な話だった。
世界のことを最も上の立場で見渡す人間には、とんでもない気苦労がのしかかるものなんだなと思っていた。
ところで悠が裸で踊る。ということに驚愕の色を示さなかったのは、ある程度彼女の中に芸術の才覚があったからで、またあまり難しいことを考えなかったからだ。
彼女はマーゴに教えるため、共に昨晩は風呂に入ったし、どうせ彼女の裸体は美しいものだという考えもあった。悠はマーゴの作った舞踏が、自分の好きなロックアーティストがライブパフォーマンスの時、ピアノの上に乗っかったりステージの上を這いつくばったりして死に物狂いなのと同じようなもんだと思った。
それにしても…この驚きのない様には逆に驚きが隠されている。
ああ、それに悠は性の目覚めという絵画を他人に連れて行かれた美術館で目に付けたことがあって、マーゴのような女性の裸体が含む独特の倦怠感や、触れられるのに触れられないような星を見つめるがごとき感覚を好いていた。
性ということを考える前に美しいものは美しいと感じてしまう悠の感性は、ひどく野生的で彼女の性格を根底から支えているものでもあったのだ。また、田舎町の優しさはこれを一概に同性愛だとか異常性癖だとか非難することもなかったので、悠の性質はいまに至る。
田舎町は自由な感性を育むものであるし、「マーゴが求めていたもの」と「悠の趣味」が一致したというのは奇跡であり必然でもある。性については前述したが、美についても時空を超えるものがあるらしい。
(しかし、悠自身は意中の男性がいるものの、それは尊敬の念であると区別し自分は同性愛者であると思っていた。実はちょっぴり変態的な考え方をする少女なのである、白川悠という子は。)
それで悠は思い立った。
「それじゃあ昨日聞いていた歌は?」
「はい、あの歌で私はよくその踊りのことを思い出しました。この国には大変聡明な方がいるようで嬉しいです!あなたのことですよ?」
今度は悠もおおー!という感じで自分の感性が異国の人間に通じたということを喜び、互いに輝いた目を交わしていた。二人はいちにーさん。という風に一緒にして足を踏み鳴らし、たんたんたん。と、幕の内弁当の蓋を叩いて喜びあった。
都会から派遣されてきた、彼女らの住居からは遠い場所にあるコンビニの店員は、これを不思議そうな目で見た。しばらくして悠のほうがこれに気づいたので、気ままに叩いてしまった幕の内弁当を二つ購入して店を出た。
ーーー
二人はその後、山の上にある神社まで行き、その端にあった公園のベンチで幕の内弁当の昼食をとることにした。
「悠、私はこの町がとっても好きです。」
「そう?それは嬉しいな、でも多分、あなたがこの街にきたのも運命だよね。」
「どうして運命?」
「うーん、私バカだからよく分からないんだけど…私もこの街に引っ越してきた時言われたの。
だからこの街ってちょっと不思議で、ここいいると神様が必要なことだけ選んで私たちに渡してくれる。それが起こった時には、そうは思えないんだけどね。
あなたも自分の国では見つからないものを探しに来たんでしょう?」
マーゴは答えが見つからないようで、悠も少し間を置いた。
「旅人でもどこか、旅先のことを知ってから旅をするものだよ。でもそれを知らないあなたは、純粋にこの街に呼ばれたんだね。まあ、これも子供の時に無理矢理この町に来た私が、同じ子供に言われたことなんだけどね。そいつはその、それも読んだ本の受け売りだって言ってたよ。」
「私にもよく分かりますわ。なんだかよく分からないけれど、その感覚は知っていますの。」
マーゴは体の中で、悠の言葉から伝わってくる感覚の奥底を知っていると考えた。
鏡の国で何度か、自分のことがわからないと感じた時は、決まって「本当は全ての考えなど自分のものではないのではないか?」と考えたし、それを否定する理性と若さが彼女の中にあったけれど、本当のところはそうなのだと知っていた。
「私、怖いですわ。」
「うん、私も怖い。」
若さや、社会の中で生きていかなければならない考えと、本当のことを求める二人の心は無言のまま、夕日が差すままに同じ道をたどった。
二人は運命やお互いの感性の共通点を見出していくことを、不思議に、しかし自然に恐れたのである。
突然真夜中に走り出したがる寂しい悠の心と、嘘をつき続ける国民を卑下し改革を求めたマーゴの厳しい心は似通っていたのかもしれない。
それを、丘の上に立つブランコでそっと吹く風に二人が感じ終えたとき、帰り道を歩き始めた。藤の町に鳴る、子供のためのお寺の鐘と、音楽を聴く中、二人は歩きながらなぜか溢れそうになる涙をこらえた。
今は土曜の夕刻。