この古都のこと
古都を赤い雲のような、気体が覆い尽くした。先まで見えていた月や、星々はもう見えない。その景色はまるで、荒々しい油絵のようだ。まるで夜ではない。古都は砂漠の中で朝を迎えてしまったように、明るくなっていく。
もう朝かと思って人が窓から顔を出し始める。
「あれはさすがに消せない…?よな、あんた。それとも大きいのも小さいのも関係ない?」
街を覆い尽くす実体のない能力。しかも気体。どういった影響を人に及ぼすのかは分からないが、そんなものを消すことがローラにできるのだろうか。さすがにこれはお手上げかもしれない。
「そうね、私は死なないと思うけど。いや、でも単純に気体とかだったら死ぬかも…結構なピンチだと思うわよ、死んだらごめんなさいね。」
ローラにもこの世界で目的がある、だからそっけない言葉を返すのは何か策があるからだと信じたかった。
「で、なにこれ?別に街の人を殺したりはしないんでしょ、いい商売口なんだし。」
「そうよ、そんなことしないわ。殺すのはあなたとそっちの、彼だけ。私、ちょっぴり短気でよく分からないって言われるけど…そんなバカじゃないはずなの。」
「あのね、それをバカって普通呼ぶのよ。」
ローラはあきれ顔だ、アルルカンは静かに笑っている。なぜだかとても楽しそうだ、もう京介たちを確実に殺せると思っているのかもしれない。
その時、辺りに充満した赤い気体が京介の体を包み込む。と同時に京介はその流れをかわした。京介がいた場所に真っ白な空間ができる。
「あのさあ、俺考えたくないんだけどさ。あれってもしかして何もない状態ってやつ?視認できるからあるのかもしれないけど…あるけどない、みたいなゼロ的ななにかなの?」
京介のつぶやきを聞いたローラはすぐに、アルルカンに向かって発砲した。しかし銃弾も赤い気体が空中で包み込んだと思うと、すぐに消えた。
「みたいね。でも発動に予備動作があるから、回避は容易だけど。当てられたらもしかすると、私の能力も発動しないかも。」
「発動しないわ。あなたのそれ。
よく理解できたわね、すごいすごい… 何かがあるからあなたの能力は発動するけれど、何もなければ発動しないのよ。私はちゃあんと知ってたわ、あなたの能力が受け身なこと。」
「褒めてくれてありがとう、でもあなたもすごいと思うよ。勝てないのはよーく分かったけど、私たちがあなたに構う必要はない、ってわけ。」
ローラは京介の手を取ると走り出した。
「またこのパターン…?俺、あんたと何回走ったっけ。」
「しょうがないっしょ。あんたなら直接あいつを殺せるかもだけど、もうその能力限界だよ。初めは無闇に使わない方がいいよ。」
すぐに、目の前の通り一帯を行く手を阻むように赤い気体が覆う。簡単には逃がしてくれないようだ。しかし今度は京介がローラの手を引き、きちんと気体の流れをかいくぐって逃げていく。
「だから使わない方がいいって…」
「とりあえず俺にあんな変態と殴り合って勝つほどの勇気はないけど、今は死ぬほど逃げたい。多分、通りを全て覆い尽くしたり、範囲を大きくすれば絶対に捉え切れる標的なのに、そうしないんだから理由やら限界がある。何かを代償にしてるとか。」
網目状に張り巡らされた気体の間を、うまく二人で抜けていった。
「ちなみに、あいつは自分で作り出した空間に入れないだろうから。結構使い勝手悪いよね、当たれば決定打なんだろうが。」
元いた通りを突き当たって、角を曲がって少し行くと攻撃はやんだ。意外とあっけなく逃げ切れたものだ。追ってくる気配もない。二人は路地裏の、少し空けられた空間で落ち着いた。
「あれ、お前の知り合いなのかよ…」
京介が息を切らしながら質問を投げかける。突然攻撃された身としては、アルルカンという女の正体を知らずにはいられない。能力者なのだから、なにか厄介ごとがついて回っていることは確かだし、何かと知り合いのような会話が聞けたので、こういう質問になる。
「そうね、でも香水作りのためには何も厭わない変態よ。今は同じ、ある人間と協力関係にあるんだけど。それで仲間とはいかないし…私を殺しちゃった方が都合のいい部分もあるかも。お金の話とか、お金の話とか。」
「殺されかけた身としてはそこの内部事情をできるだけ聞けないと、納得できないんだが?」
確かに厄介なできごとに出くわしたが、アルヘンティーナとの約束を思い出すと、実はいい体験をしたかもしれないと思う。これで、少し突っ込んだ質問をしても不自然でない。
「んー、そうね。キョースケにはほんのちょびっとだけ、知る権利があるね。私が今日会ってきたのはいわゆる、この街のリーダー。アルルカンはそいつの専属、ヒットマンみたいな立場かな。微妙な協力関係にあるみたいだけど、それがどういうのかとかは私もよく知らない。
で、私もちょっとリーダーの方と関係があるから、同業者、はあながち間違いじゃない。
でもキョースケが狙われたのはただ体臭目的だと思うよ。あの女は外人とか旅人に目がないの、殺して匂いを瓶に詰めて保管したがる。歪んだ、愛情。かな。」
京介が先ほどアルヘンティーナと話をして、そのリーダーを殺す心づもりでいることがもう伝達され、狙われたというのは考えにくい。しかし、能力を得てすぐに同一人物に狙われていたことを考えると計画的な動機があったとも考えられる。
その場合、アルヘンティーナが元々狙われていて一緒に地下に潜り込んだところを見られた。またはある種、能力者狩りのようなもの。
恐らく、アルルカンという女は殺し屋でもあるというからには、アルヘンティーナのような対抗勢力を排除する役まで担っているのだろうから。
ともあれ、歪んだ愛情なんぞで生死に関わる問題を片付けられてしまうのは理不尽だ。
「あんたは本気でそっち側の人間なのか?リーダーって言うからには、変なこともやってたりするんだろ。この街で変なことが行われてるなんて、信じたくないけど。俺ってほら、疑い深いから。それにあんたがそういう変なことにまた、ニューヨークでそうだったみたいに関わるってのは、なんか嫌だな。」
これは京介の正直な気持ちでもあった。確かにローラは無茶苦茶な人間であったけれど、悪い人間ではないという認識でいたので。
「心配してくれるのは、ありがたいよ。さっきの戦いで私が死ぬかもしれない、ってのも分かっちゃったわけだし。でも大丈夫、妹を見つけるまで死ねない。
それに、妹の排除。ってのもそうだけど、変なこと、する世界に一旦入るとしがらみってのが濃いのよ。でも足を洗うためにこの街に来たの、すぐ、身元潔白になって日本に行けるよ。殺人はやったことないしね。」
京介には分からない、ごちゃごちゃした問題があった。分からないものに立ち向かっていくというのも、なかなか無謀な話を自分は考えているなと思った。多分、リーダーを殺せばいい、そういう話ではきっとない。この街に根付いたものは、取り除くのに多くの手順と時間が要る。
それに、ローラの話からもし本当に自分の考えを実現するのなら、今はローラとの衝突を避けられない。それも分かった。これでまず初めの計画がたつ、ローラに対する能力の持ち主が必要だ、きっとこの街にもっといるはずの能力者。
それを探し出すことから始めるべきだろう。
アルルカンがそれに値するのだが…まさか自分の体液を周期的に与えてやるから協力してくれ、なんて言えまい。計画された襲撃だったのなら、そんな中学生の恋愛事情みたいな理由でうまくいくはずはないだろう。それに自分の依頼主を殺すかもしれない、なんて言えない。
京介の方が殺されて終わりだ。
ただ、自分の持てるものは全て利用しなければ。例えそれが体液になっても、だ。
ところで体液を与えるってどうするのだろう、京介は悩んだ。毎朝ランニングをして汗を瓶詰めにするとか、そういえば自分の国で人の匂いが嗅ぎたいがために衣類を盗んで犯罪者、みたいなことがあったと思い出す。実はそれを商売にできるのだから、アルルカンってすごいのかもしれない。
色々と考える間、ローラは四角くて大きなゴミ箱の上に腰掛け、足をぶらぶらさせていた。ある程度時間が経ってからホテル前へ戻ると、アルルカンはもういなかった。なんとまあ気まぐれな人間なのだろう、それとも能力の限界に達したのか。
今は、空にはもうきちんと星や月が出ていた。




