京介を狙うもの。ローラ・ジニエステの同業者。すなわちアルルカン、香水調合師。
京介は包囲されていた。
「いやあ、だからさ…」
京介の心情はわけのない独り言をつぶやくくらいになっている、それくらいだ、現代人のくだらない独り言のような。それを言ってしまうことは京介自身強く戒めていたけれど、言ってしまった。
本当に何もなく目的の宿へ辿り着けると思っていた。今は夜の九時四十五分。
先ほど、坑道に入る前にいた道路へ戻ったところ、大きな穴を確認した。それでも考えていてはしょうがないと思い、アルヘンティーナとの計画を果たすために宿へ戻ろうと思った。矢先、なぜか黒い影のようなものが彼を取り囲んでいる。
もしかすると、命を狙われていたのはアルヘンティーナではなく京介の方だったかもしれない。そういう考えが頭をよぎった。
自分の能力がどういうものかも分からない、そういう時期に戦闘に巻き込まれるのはゴメンだ。と、思ったけれど、そうしなければ自分の能力、はたまた自分の存在がなんなのか、知るためにはこういうトラブルも必要だったかもしれない。
とにもかくにも、今自分が先頭の渦中にいることは確かだ。戦ってみなければ。
黒い影の、もやもやとしたものが京介に飛びかかった。
しかし、面白いまでに京介はそれをかわし一撃を与えることができる、あたかも音感を必要とするゲームをやっているようだ。黒い、もやのかかった影の数々は京介に吹き飛ばされ、消えていった。
京介は一度吐いた。
「っ…!これが能力の弊害…なんだよな。」
納得していた。
京介にはその時々、どうすればいいのかがつぶさに感じられる。
京介を包囲していた影が全て消え去った時、彼は我に帰る。いや、我に帰ると言ってよかったすらわからない。そんなふうに我に帰ったのである。
彼自身、自分が無意識のうちに三十体ほどの対象を瞬時に排除したのに驚いていた。彼は理解した、自分の能力Gigue(優しさの輪郭)は速さの問題。
例えば光速より高速で動くことができたのならタイムトリップが可能というように、光速以上まで研ぎ澄まされる感覚のこと。
それを理解したところで紫色の服に身をまとった女が夜の中から、京介の方へ出てきた。
「あらぁ…!いやいや、あらぁ…ううん、ええと、どうしていいのかしら、どうして言ったらいいのかしら。
あなたから、いい香りがする。これ、遠い国の匂いね、でもこっちの匂いにも慣れているような。メキシコの日の光の匂い、街の醜い人の匂い、神聖なものの匂い、そして時間を超えている!そんな匂いね。あれ、でも悩みのような…いいえ、しかしあれですわ、あれですわ!社会への憎しみの匂い、それは青春の匂い!
いいわぁ、あなたって…
熟れたての果実に詰められた、
アルプスの丘に吹く風、海風になびくウィスキーの奥の奥の香り、低俗な匂いが全くしないわ。家族とか、家庭とか。あなた、若いわね?
例えば真っ青なカプセルの中にあなたの体を入れて、匂いにして、私の最高傑作の香水の中にその体液を一滴!いいわあ!」
「いや、いや、とか言うけど…俺も。いや、わけがわからない。つか気持ち悪いぞ。
あんた誰?街に大穴空けたのもあんたか?」
大人っぽい雰囲気の、 セミロングの縮れた髪型をした女はなぜか興奮しているようだ。しかしよくも遠い国から来たとか、匂いで当てられたものだ。何か大変な香水の調合師とか、そういうものかもしれない。
「お初にお目にかかります、私、カタリナ・ドゥ・アルルカンでございます…興奮のあまり無礼を働いてしまいましたが…
どうかしら?あなたの体…私、高値で買うわ。病気の妹とかいたりしない?うまい棒…あなた日本人でしょう?五百万本くらいで買ってあげる。
あなたが私に殺される前に、交渉成立の方があなたにとっていいわ。私があなたをここで抹殺するだけってのもありなの。」
「いやいや、色々おかしいよ。俺はあんたを退ける方にかけたいね。」
女はキッと目を見開いて、懐から銃を取り出すと京介に向かって撃った。京介はそれをちょっと動いただけでかわす。
女は驚いたようだ。
「あなた…能力者?ただの体術だけじゃない?ふふう、ますますいい香り…だけど、厄介そう。」
「いい?あのね、あんたが銃を撃とうって考えた時から俺にはどこを向かってどういふうに銃を撃つか分かるんだよ。だからあんたがゆーっくりとね、僕にデコピンするのをかわせるとしたら全部かわせるんだ。最小限の動作で。アンダスタン?」
生死のやり取りの際には、感覚が思考より先行する。思考する動作があったとしても、それはどういう行動をとるか考えるだけであって、実際に動くときは感覚の問題だ。だから京介には、相手がどういう動きをするか見えた。
「でも忘れないで、私も能力者だから。それにあなた慣れてないでしょ?持久戦だったら私の方に分がありそうじゃない。」
京介は若干優越感に浸っていたが、その言葉で思った。その通りだと。自分の体の限界もあるだろうし、どこまで能力が持続するのかもわからない。いっぺん吐いた体としては、持久戦は避けたいものだ。
よし、逃げよう。そうすることに彼はした。
後ろのものまで感知できるかは分からない、しかし持久戦となってしまうのなら逃げるのが得策だろう。それに今の時間、ホテルまでたどり着けるとしたら例の女がいるかも知れない。その期待に京介は掛ける。
女がもう一度、背を向けた京介に向かって発砲する。彼はそれを避けることができた。
「っ…!後ろ向きでもなのね!でも逃さない!」
黒い影の群れが京介の行く手を阻む。
今度は攻撃を避けるだけでよかった。もし攻撃し、撃破すればどれだけの相手が増えるかもわからない。黒い影、発生の限界が能力にあればと京介は考えた。
京介が宿の前まで来ると、人にぶつかった。それはやはり、ローラ・ジニエステ、その人だ。
「どしたの?そんな急いで。」
京介は女の声を聞いてつかの間の安寧を得ることができた。しかし、後ろから黒い影の大群が押し寄せてきた。ざっと百体くらいはいるだろうか。
「うわっ!なにあれ!」
女も驚いたみたいだ。
「いやあ、ちょっとさ、変態で俺のファンがいてさ…追われてるんだ。」
影の大群が女と京介の方へ飛びかかる。しかしその影は全て消えた。女の能力だ。
「あらあらジニエステさん…私の仕事を邪魔するつもり?同業者のよしみで見逃してくれたり…しない?」
アルルカンと自称した女も夜の闇の中から顔を出す。
「ダメダメ、キョースケをそんないじめちゃ。そんな過激な考えじゃダメだよ。」
疲れ切った京介の傍、ローラとアルルカンの戦闘が始まった。




