王女様、会話する(Love Sensuality Devotion)
警官はもうマーゴについて危険はないと考え、交番についてからは彼女の手首に手錠がかけられていることはなかった。
交番は非常に小さく、部屋一つで薄暗い。
警官の男はいったい目の前の女性がコーヒーを好むのかという疑問を抱きながらも、話すまでの間を作るため無言で淹れた。彼は突然昔聞いたことのある歌を思い出して、角砂糖を三つ入れてやった。
一方マーゴの方も相手に敵意はなく、話してもどうせ通じないということを同時に理解したので無言の時間は長く流れた。ただイエスとノーの仕草は首を縦へ横へ振ることを知っていたので、スマートフォンに書かれた文字を読んで仕草で答えた。
マーゴの目の前にコーヒーが置かれると、警官は文字を打ち込みはじめた。
「迷子?」
縦にふる。
「家は分かる?」
横にふる。
いくらか中学生、など伝わらない言葉もあったが、なんとか帰る場所がなくて、自分がどこにいるのかわからない。ということまで理解された。
そういえばマーゴはコーヒーを気に入ったようで、初めは首をかしげていたが容器の形状から飲むものと解したらしく少しずつ吟味しながらすすり続きた。
彼女は味よりそれが脳に与える効果と、温かいものを飲むという感覚を喜んだ。味は「不味いなあ」と感じていた。
質問攻めの後は誰かにさっと、警官は電話をかけた。
「手持ち無沙汰だから何か英語の音楽をかけるよ。」
と、そしてマーゴに伝えた。
「みんな歌い方が違うからなあ…どんなのだったら楽しめるんだろう。」
と、独り言を言いながら事務室の机の中を漁り始めた警官である。
どうやら音楽の好きな男であるらしく、デスクのタンスの中にはごっそりcdが詰まっていた。マーゴも一緒に首をつっこむと、自分で面白そうだなと思える題名のものを見つけたらしく、子供が「これ、これ。」というような感じで警官に手渡した。
”L.S.D Love Sensuality Devotion"(薬物の名を冠する「愛への官能的帰依」)
である。とりあえず、取り出したcdのカバーアートはマーゴが死に際に見た自分の顔と似ていた。彼女は自分で持ち得る直感的な興味とは不思議だな、と思った。
「よく見つけたなあ…こんなの持ってたって僕は知らなかったよ。歌詞はそんなにないし、なんだか気持ちが悪いし。きっと田代さんのだな、君もあの人も趣味悪いの。間違って僕のところに入ったんだいつか。」
しぶしぶとそれをかけ始める警官である。
マーゴはすぐにそのサウンドの虜になった。
なぜか得意げな顔をしながらコーヒーを飲み、聞き入っている彼女を警官は不思議そうに見ていた。彼は退屈そうに頬杖をついて貧乏ゆすりをしている。時はしばらく流れる。
18の楽曲が収録されたcdも、半ばに差し掛かったところ。
「あら、平松さん。外国人の女の子?その子?とっても可愛いわね。LSDじゃない。その子が選んだのね、外国人ってやっぱりいい趣味ねえ。」
「LSDじゃない。いい趣味ねえ。
って、婆さんそれ警官としていいのかよ!しかもその後の行もアウトだ!」
「僕はしぶしぶ聞いてるんですよ…白川さんは今度は何をしたの…」
「この娘は今日は無免よ。これで今月3度目ね、のんきに大声で歌いながら二輪飛ばしてたわ。来る途中で見つけたの。でも嬉しいわ、男の私を婆さんなんて呼んでくれるのはこの子くらい。老いの部分は要らないけど。」
風通しのために開け放っていた入り口から、一人の男勝りな口調で喋る少女と、別の筋肉質で女言葉を話す男性警官が入ってきた。
「でも私英語使えないわよ?」
このおかまの警官は趣味の悪い田代さんと呼ばれた人間だろう。
平松と呼ばれた警官はそれを聞いて少ししょんぼりし、マーゴはずっと皆の会話を怪訝そうな顔で見ていた。
白川という少女は拘束されるでもなく、とりあえず悪いことをしたのは事実なので交番には顔を出さなければならないな。見つかってしまったものはしょうがない。と、なんだか妙に大人びた感じだ。
「なに?外国人観光客の迷子さん?この時期になんて珍しいじゃん。おーい、やっほー。ヘイ!」
少女はちょっぴりマーゴの方へ歩み寄って、腰を屈めると目の前で手を振った。
”Hi...?What's up with you?"(「よっす。どしたの?」)
少女は立ったり座ったりを繰り返し、なにか儀式的なものを済ませると綺麗なイントネーションで話し始めた。
マーゴは大変驚いた様子だ。自分は蚊帳の外と、落ち着いてコーヒーと音楽を楽しんでいたマーゴはコーヒーをこぼした。
「って感じで私通訳できるんだけど、どうする?」
白川は田代へ向かってニヤリと笑った。
「そういえばあなたの意中の人、帰国子女だったわね。」
「うるさい!で、片付けたら帰してくれる?」
「いいわ、よろしく。」
田代という警官の元へ屈んだ姿勢のまま首だけ向けていた白川は、マーゴの方へ向き直った。
"Where are you from?Name?Mine's Yuu Shirakawa"(「どこから来たの?名前は?私白川悠。」)
"Margo Ginniest. Nice to meet you Yuu. May not believe me but I'm a princess, from the kingdom of mirror."(「あなたみたいな人に会えて嬉しい!信じてもらえるかどうかわからないけれど、私はマーゴ・ジニエステ。鏡の国の王女よ。」)
マーゴは異国へ来たのだからどうせ皆変な名前なのだろうと思って少女の悠という名前に驚かなかった。逆に悠の方も鏡の国などと言われても驚かなかった。
"Have a house? I can let you stay in my house for a while."(「そうなんだー。帰るとこある?うち泊まってく?」)
マーゴは喜んで首をしきりに、縦に振った。
白川はすぐにマーゴの言っていることを理解し、勝手に話を進めた。
「この人マーゴって名前で鏡の国の王女様なんだって。あとうち泊まるって。」
白川は難しいことは考えるとよくないと思ったし、考えてもわからないことはうまく判別して考えない類の人間だったので、誰と話すでもこんな調子でいる少女だった。
「はぁぁぁ!?鏡の国ってなんですか!そんな不審者を家に入れてもいいんですか!」
田代は苦笑いを浮かべていたが、平松の方がこれに飛びついた。
「うちなんて兄弟多いから一人くらい増えたって変わんないよ。それに困ってるみたいだし、悪い人に見えないし。平松さんが泊めてあげるんならいいけどさ。それはなんか嫌だ。当分私が面倒みるよ。その、鏡の国にだってかえんなきゃいけないんだろうし。」
「いいじゃない、私や平松さんが泊めるより女の子同士の方がいいわ。」
「あ、今婆さん自分が男だってすごく遠回しに認めた。」
藤の夜は明け始めていた、土曜日が始まる。
こうしてマーゴは白川悠という少女の居候となり、現代日本での暮らしを始めるのである。
イメージをEnigmaによるLove Sensuality Devotionのアルバムとそのジャケット絵より。作中、マーゴが気に入っていたのはその内のGravity of Love(愛の引力)になります。