京介のGigue(真夏の雪景色)と少女アルヘンティーナの物語 『第一楽章』
目的地に着いてからはバスで五時間ほど移動して、とある町にたどり着いた。今は時差の関係もあって夕方だ。
「んで、聞いてなかったけど。ここどこだよ…」
「古都よ、古都。私はここの人間に用があるの。三日もかからないからすぐ一緒にあなたの故郷に帰れるわよ。」
「はいはい、それで古都って?こんなに夢の国みたいな街が?
名前とかないの?古都ー、なんとかなんとかって。」
「ないわ。名無しの街なんて珍しいでしょ?言ってしまえば、名前がないのが名前ね、他にそんな街ないんだから。」
古都と呼ぶには花々しすぎる街並みだった。カラフルな建物が並び、盆地になっているせいか、入口となっている場所からは飛び出た教会のてっぺんやら、美術館らしきものまで見える。また、街のところどこらからラテン系の音楽が聞こえてくる。クリスマスはすぎたと聞いたのだが、街はクリスマスカラーのデコレーションでいっぱいで街中で歌われている音楽もそのノリだ。
「ところで、夢の国って言ったけどこのちょっと、陰鬱な風は?いいスパイスになってるけど…なんか暗くないか?」
「あら、よく気づいたわね。さすがジャパニーズボーイ。
ここは標高も高くて涼しいし、風も乾いてるけど、この下元々鉱山なのよ。だから地下には坑道が張り巡らされてる。ほとんど今は道路になってるけどね。
それが街の陰鬱な空気を吸い込んでは、吐き出すの。昔話があるわ、ここには悪魔が住むって。
わっ!」
京介は突然女に脅かされた。
「な、なんだよ…」
女は面白がっている。
「おー、可愛いじゃない。気を抜いてると悪魔に心を抜かれちゃうわよ?
ここは芸術と文化、宗教の街。歩いてりゃ分かるわ、どうしてここがこんなに夢の国みたいか。ちょっと私の故郷に似てる。」
京介はそろそろ、目の前の女の複雑さに気づき始めている。アメリカから出てきてから、彼女は着替えていた、少し派手な花柄のワンピースだ。それもそのはず、初めて京介と会った時のような格好をしていたら明らかに不審者だ。その辺りの節操はあるらしい。
そんなふうに、女は色々なものを持っている。
彼女は激情と節操の塊だ。
「それで、あんたはどうする?私はこれからすぐ、用事があるけど。郊外の方で。
散歩でもしとく?落ち合う場所は…ここね、住所書いとくから人に聞いて十時に来て。ちなみにぼったくりはないから、安心していいよ。大丈夫、街の人が案内してくれるし、なんだかんだ一緒にいれば楽しいよ。ところであんた音楽できる?絵を描くとか、なんかそういう才能。」
女は京介に手書きのメモと金を渡した。
「やってみるしかないだろ、何もわかんないんだ、自分になにができるかとか。」
「そういう態度いいね、じゃ、頑張って。」
女は京介に手を振りながら別れを告げると、降りたバスに乗り直す。
京介は知らない街で、また一人きりにさせられたわけだ。今度の街は安心だと信頼できる人間の太鼓判があったので前よりか安心だったが、どうするべきか分からない。こういう場合は歩く、とにかく。それがニューヨークで女と出会った時からの教訓だった。
多分、街が人の集合体である以上それにも意志があって、人を迎え入れたりしてくれる。分からないことがあれば街から教わればいい。
ところで京介は英語が分かるけれど、それって通じるんだろうか。日本語は確実に通じないだろうし…
ーーー
しかし、案の定途方にくれた。周りの人々は京介の知らない言語で話したし、すみませんとか話しかけることもできない。全く、あの女は自分にまた面倒なことを課したものだ。
色とりどりの店や家が淡々と過ぎていくだけだったし、なんだか周りはみな集団でいて、京介の方を怪訝そうに見つめていた。
もうやけくそだ、言語や特に本音なんて母国語同士の会話でだって通じないものだ。
京介は突然、路上で立ち止まって丁度、なぜか知っていた(というよりこの国に来て思い出したような)歌を歌ってみた。
なんだかカラオケで、かけてみたはいいものの歌えない時に流れる、あの特有の虚しさみたいだ…
それでもなんとか、京介は歌ってみた。これしかない。
すると、ウクレレを抱えた小っちゃい女の子が駆け寄ってきた。その歌のメロディーを拙いながらも弾いてくれている。手が小さいので、途切れ途切れに、でも京介はそれが自分の求めていた音だと分かった。
(これ?お兄ちゃんが歌ってるの、これなんだよね?)
(そう…!それそれ!君上手だなあ!)
京介は歌いながら、女の子の頭を撫でて微笑んだ。
周りにあった人々もこれに参加する。女の子が参加したことで、人の波が押し寄せた。小さな女の子は天使。これって万国共通のアイデアなんだろうか。それにしてもまさか、異国で自分を救ってくれる人徳者が幼女になろうとは。
ウクレレの奏者が追加され、マラカスやタンバリン、カスタネットまで持った人が現れる。果てにはトランペット奏者まで加わっていた。
この街の人々は、よくもここまで多くの人が歌って踊って、できるものだ。
京介に話しかけたい人は、今や輪になった人の群れの中央へ出てきて、ソロ奏者の役回りを受ける。それに京介が声のトーンを変えたりして一生懸命答えた。時々声がかすれたり、音を外したりすることがある。
伝えたいことと音楽の調律の狭間で悩まされたけれど、自分の言いたいことをひたすら吐き出しても周りの人がカバーしてくれた。
(おいあんた!どっからきたんだい?陽気な人だねえ。)
(いや俺普通は暗いから…知らん。知らんよ、どっかからだ!どっかから来た!)
(傑作だぁ!!)
大人たちは半ば酔っ払っているようだ、しきりに京介の体に抱きついたり、頭を叩いたりしてくる。
どうして自分はこんな場所でこんなことをしているんだろうと、若干今までの自分に皮肉をかけるみたいに思ってみたりもした。
「なんかこの光景…見たことあるな。そうだ、なんかの動画サイトで見た。ドッキリだ。なんか歌って踊っちゃう、みたいな。」
多くの人々が合唱し、演奏する中京介は独り言まで適宜発せられるようになった。
次のソロパート、幾度も同じ歌詞が繰り返される中で京介は疑問を投げかける。なんとか、初め自分を誘ってくれたウクレレの少女を召喚することに成功した。
(ねえ君、あそこで座ってる女の子は?)
(え?あれはアルヘンティーナよ!来ればいいのにね、でもあの子来ないの。だからみんなあのこきらーい。)
「おいで!君も一緒に踊ろう!」
京介はその、アルヘンティーナと呼ばれた女の子に日本語で、音楽に乗せて言ってみた。
しかしその時、微かにニューヨークの街で感じたさっきのようなものを感じる。この街にあっては異様だ、何か危ない。
そう悟った京介は女の子のウクレレをふんだくると、その弦を一気に指で引き裂いた。指から血が出た。
街の中に不協和音が流れる。
ーーー
喧騒。流れる。
京介の周りには土偶のような小人の群れがいた。みな、どの街に行っても同じなように、京介の方を怪訝そうに見つめている。しかし彼らが他の街と違ったのは、奇妙にケラケラと笑っているところだった。
周りには日本の屋台のような店が見え隠れしている。薄い透明で店はすべてできていた。
街の中で聞いていた音楽とは違って、今はどこからか電子ピアノや長い金管楽器のような音がしている。
「アラベベベベベベ、アラレレ?べべべべべキャ。」
そんな音で、奇妙に笑う人々が京介の横を通り過ぎていった。だいたい、煩いほどの人混みが過ぎ去ると、京介の目の前で白い狐がお辞儀をした。
「今日はあ、綺麗な満月ですな、旦那はん。」
「なんだお前?」
「いえいえいえいえいえ、別になんでもありませんよ。旦那はんと一緒でさあ。記憶もなんもありゃしませんや。」
「ここは?」
「お、いい質問ですなあ。ここは天下のブラックマーケット!なんでも欲しいもん売ってますぜ、欲しいもんがたんまり…人が両の足で立った時、すなわち人の罪が成り立った時!からある、闇夜の商業地区ですわ…旦那はんは招待されたんや、ここへ。
おっと、あっしはめふ。めふって呼んでください。名前、メフィストフェレスって言うんですわあ。」
確かに空を見上げると、満月が広がっていた。しかしそれが一つではなく、緑色で、二つであることからなんとなくブラックマーケットという場所の位置付けが分かった気がする。多分、この場所に自分の記憶喪失の鍵もある。
なんだか、京介の中の感覚はすごく研ぎ澄まされていた。
「なあ、俺記憶がないんだ。めふさんは知ってる?俺の記憶のありか。」
「記憶?ああ、そうでしたか。旦那はん、素質じゃなくて招待状、お墨付きで来た人なんか。どうりで、接触するのに苦労しましたわあ。
旦那はんがこないなとこへ来たのは、人のせいですわ。それもこのマーケットの常連さんの。Mile Stone(記憶の要石)って、うちの製品ですわ。能力な。ま、詳しいことは言えんけど。」
「めふさんはじゃあ、Point Blank(空白)も知ってるのか?」
「ん?そんなもん知りませんわ。どっか勘違いとちゃいます?」
どうやら、京介を助けてくれた女の能力は知らないらしい。ますますこの場所について混乱する、しかし京介を今の場所へ連れてきたのは、少なからずこの場所のようだ。それで、恐らく女の能力もこの場所と関係がある。
京介の考え方は、今はほぼ直感と呼んでよかった。
「それで、俺はここで何をすればいい?なんのためにここへ来たんだ?」
「旦那さんは飲み込みが早くて助かりますわあ。頭のいいお方なんでしょね。
望んでくださいな、欲しいものを。」
「ああ、それはね…」
「Gigue!」
めふは京介の求めているものを、クリスマスに何が欲しいか子供のことを分かっている母親のような気持ちで察した。
黄金のチェロが京介の胸の中へ消えていく。
ーーー
ハッと京介は気がついた、まだ前と同じようなままだ。何も変わっていない。
京介はこれで新しいのを買って、とでも言うように女の子には金を渡す。人々はその不協和音を聞いて異常を察し、逃げ出した。
すっかり夕闇に包まれ、金色の街灯の灯った街路に京介とアルヘンティーナというちょこんと座り込んだ少女だけが残った。鉄の鎖でできた柵を隔てて、二人は向き合う。
「お前…日本語、分かるのか?
それとも。お互いに言語があるのかな?」
「っ…!」
「おい、待てよ!ちょっと待てって!」
もう人に道を尋ねたりできないな、と思いながら。
地下道へ走り去ったボロボロのアルヘンティーナを京介を追って行った。
目の前に青白い坑道の明かりが広がる。




