藤実京介はまた異国へ
結局、京介は昨晩は犯罪者にならずに済んだ。自分の変な服装のせいで、門前払を食らったのだ。
昨晩初めに入ったバーは女の方の知人がやっているというのでよかったが、そうでなければうまくいくはずもなかった。
狭いアパートの一室。女はベッドで、京介はカーペットの上で眠った。
起き上がって、やはりまだ自分はニューヨークにいるままだと悟り、朝としては初めての匂いを嗅いだ。銅の、錆びたストーブが動いている音を聞く。それに、台所の方からは油っこいけれど美味しそうな匂いがしていた。
「あ、起きたー?」
眠たい目をこすったり、背伸びをしたりして京介は起き上がる。レースのカーテンから差し込む朝の陽が眩しい。
換気でもするために窓を少し開けているのだろうか、米国特有のカラッとした、気持ちのいい風が感じられる。冷たい。やはり冬だ。
「ああ、起きたよ。起きたさ。お前は妙に早いな…」
京介は台所の方へ足を進めた。
うまい具合に女は調理器具を使っている。朝ごはんはスクランブルエッグとベーコンになるらしい。
「まっ、習慣だからさ。どれくらい遅く寝てもね。
ほら、あんたの着るもの買ってきたよ。とりあえず冬物。まあこれから南国へ行くんだけどさ。暑かったら向こうで買ってあげるから。」
「もう、今日出るのか?」
「そそ。もっと観光したかった?」
「そういうわけじゃない。」
京介は台所を出て着替えることにした。時計を見ると朝の九時だった。京介の起床時間としては遅い、夜更かしが時差ぼけのいい薬になったものの、まだ気持ち悪さはぬぐえない。まだ自分はアメリカに来てそう経っていないのだろう、三日以上はないはずだとそれで考えた。
やはり時計など、見るとそんなものを見て時間を確かめるのがくだらなく思えた。自分は今の時間に、ここにいてはならないのだろうから。とんだ話もあったものだ、自分はちょっとした未来人なのである。
自分は一体日本のどこから、どういう理由でやってきたのだろう。友人は?家族は?かろうじて、自分を助けてくれた女の妹のことを一瞬思い出したけれど、人違いだったかもしれない。すごく似ている人で、名前も似ていただけなのかも。
そんなことを考えて、返してもらった携帯も充電することにした。落ち着いてまた見てみれば、今度は何か見つかるかもしれない。
コンセントを見つけて差し込もうとする時、台所から女が料理を終えて出てきた。
「あ、あんたそれ。」
「あ?なんだよ急に。」
「変圧器。」
「は?」
「もうその携帯使えないよ。」
迂闊だった、海外では変圧器を使用しないと日本の電子機器は壊れる。京介は生まれて初めてスマートフォンに買い替えときゃよかったと思った。なぜ自分はスマートフォンの普及した昨今、ガラパゴスの民だったのだろう。
もしかして「ガラケー使ってる俺かっこいい」とか思っていたのだろうか。
「ま、落ち込まないほうがいいよ。あってもなくても変わんないって。
それにその携帯に入ってたメール、全部未来のものだった。だからあんたが仮に未来から来てたとして、その時のあんたを知ってる人はいないよ。家族の番号は入ってなかったし。」
京介はちょっぴり落ち込んだ。女と少しの間旅に出ることは決めていたのだが、自分が何者か分からないまま過ごすのには苦労していた。誰かから聞ければなと思っていたのである。しかし、その希望はいともあっけなく潰えた。
それにしても高校生でガラパゴスの民、連絡先もごく少数とはよほどなにかこじらせていた人間らしい。
「あ。あのさ、でももしかして未来の…こっちへやって来た時になればなにかあるんじゃないか。例えば捜索願とか。」
「まああと五、六ヶ月?ってとこ?でもねえ、あんたがもう一人いるとか、そういう可能性も否めないでしょ。現に連絡も問題も起こってないんだから。あとは自分の存在が一つ消えてから、死んだとかでこっちに来てるとか?もう身内にも忘れられてるかも。」
「それもそうだな…って怖いなそれ。」
とりあえず腹の減っていた京介は女の作ってくれた料理に口をつけた。美味しいと感じた、自分は結構脂っこいものが好きなのかもしれない。
温かいものを食べていると、ますます冬の風が心地いい。窓はもう閉められていたけれど、隙間風がよくした。ボロアパートだ。京介は温かいコーヒーをこれほど美味しく飲んだことはないと思う、女が淹れてくれていた。
「アメリカの冬っていいな。」
「なにそれ変なの。日本のこと覚えてないくせに。
でも確かに日本よりアメリカの方が風はいい。電車内がゴミの匂いばっかりなんてことはないし、陰鬱なこともそうそうないよ。悲しいのもスッキリしてる。私は日本も嫌いじゃないけどね。」
「行ったことあるのか?そういやお前はどっから来たんだ?」
「うんうん、ここに来る前は向こうに少し居座ってたよ。沖縄にいたの。そこで少し商売してね、こっち来た。
その時のコネの関係で今度はメキシコなんだ、旅行感覚のすぐ済む用事だけどね。
私は異世界だって言ったじゃん。」
「あんた一体どんな商売してたんだよ…ロクなもんじゃないんだろうけど。いいよもう、なにも聞かない。」
二人は朝食を食べ終えると、女の予約してあった空港までのタクシーに乗った。
車内で暖房がかかっているのに、少し窓を開けたがる京介のことを女が止めた。




