水野晶子の決断、童話「GREEN DAY」
「だからさぁ…私はさぁ!好きなの、好きで好きでしょうがないの…」
話は一旦藤の町の日常に戻る。みゆき、悠と盲目の男は食事を終えて歩いていた。もう真夜中だったし、いつ職質をかけられたってしょうがない。
酔っ払ったように話しているのは悠だ。盲目の男におぶられ、盲目の男はみゆきに手を引かれている。
「悠ちゃんって雰囲気酔いするよね…居酒屋入ったの良くなかったのかなあ。」
「そうかもしれないね…でもいつもこうだから。悠は変な時に酔うんだよ。
猫みたいだよね、どこか違う場所へ行くと調子が狂うって、ね。」
盲目の男は優しく微笑んでいた。みゆきは少しふくれっ面でいる。
「そういえばみゆき、今日は君の家に泊まってもいいかい?」
「あ、うん。いいよー。でもいいの?悠ちゃんとこで面倒みたりしてあげなくて?」
「でも行きたいんだよな…そうだ、悠も連れてこう。」
もちろん、はたから見れば思春期の男女の会話としてはおかしいものがあった。しかしこれが自然に通るということは、一定以上の信頼関係が成り立っていたことでもあるし、田舎町ではそういうものが成立しやすい。
しかし、それで片付けてしまうのもいささか不自然だ。
(私、君が女の子からモテるのよく分かる。
寂しい時、素直に女の子を必要としてくれる。
それにあなたは本当に寂しい人だから。
昔のこととか、よく知らないけど。旅をして何を見に行くのかも、分からないけど。)
みゆきはこう思っていた。
ふと、みゆきは懐かしいような、死の香りを盲目の男から感じることがあった。それをまだ絵にはできないでいる。
「ええぇ…?なに?みゆきの家行くのぉ!?私も一緒じゃなきゃ嫌ぁ!初夏の過ち…初夏の過ち…」
「いや大丈夫だから、悠ちゃん…」
悠以外の二人は、微笑み交じりに悠の口から発せられる戯言の数々に対処していた。
本当に盲目の男を好きだったのは悠だったかもしれないけれど、それ以上に知っているのはみゆきの方だ。
海のさざ波の音とともに、夏にしては涼しげな風が時折吹いた。それが潮の香りを運んでくる、その香りは綺麗だった。みゆきはそれを、ちょっと悠の話にやりきれなくなりそうな時吸い込んで、すんすんと鼻を鳴らすと落ち着いた。
「そういえばマーゴちゃんは?」
「えぇ…?あぁ。そうだ、私は自分の家に帰らななくちゃあ。」
悠はこれで、結局みゆきの家には行くことなく、自分の家で降ろされることとなった。悠も大体酔いが覚めたみたいで、家に着く頃にはみゆきと盲目の男のことは気にしないまでになっていた。
存外に、笑顔で二人を見送った。
マーゴはもう自分の寝床でぐっすりと寝ていたし、事情を説明したり、起こしたりすることは悠にもなかった。
どうやら悠がいなくても、マーゴは白川家でうまくやったらしい。
ーーー
そこから二人はみゆきの家へと向かっていった。
「あ。水野さん!」
歩いている時、みゆきは一人で夜道を歩く晶子を見つけた。それは潮風に乗って嗅ぎ慣れない香水の匂いが鼻に入ったからだ、夜道でも見つけられた。
しかし晶子はみゆきたちに反応しなかった。どんどんと人気のない方へ進んでいく。
「あの…寄り道しちゃってもいいですか?」
「サンタマリアノヴェッラだね…この香水。面白いものだね、奥の方で土臭い匂いがする。好みなのかな?木の実とか、檜みたいなの。
いいよ、その人を追うんでしょ?僕も誘われてる。」
何か異変が起こったということを悟った盲目の男は、静かに頷いた。みゆきはゆっくりと男の手を引っ張り、晶子の後をつけていく。
やがて、町外れの廃病院に出た。晶子がその中へ入っていく。
みゆきは男の手を握っている手と違う手で、二度男の手を叩いた。これは悠と一緒に決めた、
「ちょっと危ないけれど付き合ってください。」
という旨の合図だ。歩いて盲目の男を連れ行く時には、共通の合図ができていた。男の方もこれを理解していたし、変な場所に連れてこられたということももとより承知の上だった。
錆びた鉄の匂いとか、古びた薬剤の匂いがする。廃墟の匂いは独特だ。
もちろんみゆきも、一人でこういう場所に入れるほど勇気のある人ではなかった。盲目の男の嗅覚や聴覚に頼る部分はある。
晶子に続いて、二人は廃病院の中へ入っていった。
すぐに晶子を追って三階まで階段を上ると、話し声が聞こえる。二人の男性と晶子の声だ。
「ねえみゆき…死体の匂いがする。」
「大丈夫、そんなものはないから。多分…あったとしてもそんなに危ない場所なら。知り合いが入ってくのを見過ごせないよ。」
盲目の男は、三人の人間が話し合っているすぐそばの、昨日鏡花が個室で仕留めた犬の匂いを察知していた。
ーーー
「晶子さん…来てくれたんですね…!」
昨日の食堂と同じ場所で話し合っているのはイッテシマッタ男爵と少年、水野晶子だ。
「はい…私は来ましたよ、さあ、京介さんはどこですか?私があなたたちに協力するのは彼の解放が条件です。」
自分がどうして必要にされているか、十分に理解していない晶子には交渉することへ多大な不安があった。
「あぁ…あのさあ、悪いんだけどさ、俺たちはあいつがどこへ行ったか知らないんだよ。あ、でも協力してくれるってんならきっと見つかるぜ、そういうことだ。」
続けて少年が晶子へ話す顔のまま男爵に囁く。
(やっぱあいつ飛ばしといてよかったな。この女があいつにご執心だってんなら、いい話になる。知らなかったけど。)
晶子はその傍ら、話を続けた。
「飛ばした?見つかる?」
「あのさあ、本当にどっか行っちまったんだ。すまないけど、今すぐその男をここに連れてくるってわけにはいかない。
でもな、あの男は見つかる。見たところ、あいつにもブラックマーケットの素質があった、だから見つかるんだ。あんたもマーゴ・ジニエステを消す能力が持てればわかるよ、そういう考え方に自然となるんだ。それは約束する。」
(これでいいんだよな男爵?本当に見つかるよな?)
(私もそう思いますよ!いやあ、なんだかどこかで見た気がするんです、彼のこと…だから見つかります。我々が真面目に生きる限り。
というより野暮ですねえ、見つけたい人間が見つからないわけないじゃないですか、この世界で。)
ささやき声で、真顔のまま男爵と少年は話しかけあっていた。彼らは本当に仲がいいようだ。
「ブラックマーケットってなんなんですか…?今日は時間もあります。お話しください、私が納得できるように。」
「うっせえなあ!お前が知りたきゃ自分で知れるように動けよ!あんた個人の不安は全部自分で解決できるだろ…惚れた男の問題だろうが。って俺は優しい気持ちで言うぜ、本当にそうだからな。
それに別に、ブラックマーケットはお前を束縛したりしない、俺たちもな。そんな面倒なこと好きじゃないんだ。特にお頭が。
いいか、納得できないなら見せてやる!ばーかばーか、目が腐ってんだお前は!」
少年は、一つの絵本を両肩にかける形のバッグから出して、晶子に投げて渡した。うまく晶子もそれを受け取る。
少年は男爵に抑えられて、地団駄を踏んでいた。どうやらひどく怒っているようだ。
(あなたは頭がいいですけど…自分の人格とか否定された時は、怒りますよねえ。)
(そりゃそうだ男爵、俺の人格は俺の創作活動の全てが詰まってできてるからな。それ以外の何物でもないんだから、自分の性格や考えを疑われたら自分の創作物を書き直すことにするね。)
(あ!そゆことですか!早熟の天才ですねえ…現代に迷い込んだ詩人の魂ですねえ…)
「これは…」
晶子は渡された絵本を読み進めた。
ー人魚姫ー
下半身が魚の女の子があたかも宇宙の真ん中にぽつんと、屹立したポリゴンのような正方形に座っている。
花飾りをした女の子は自分の髪先をしきりになぞり、退屈そうだ。
彼女の部屋の中にはオレンジ色の、シャボン玉みたいなランプや虹色の砂時計が立っている。宇宙の中で暗いはずなのに、無数の光が寂しく彼女を取り囲んでいることから、海の中であるということがうかがえた。
彼女の髪の毛の影も魚の影のようだ、そこから未来が見え隠れしている。今にも、何に変わって消えてしまうかわからない。
しかし絶望じみたものは感じさせないことに絵本作家の技量が見られる。
下の方、海底であろうところには女性の髪の毛と見まごうほどに乱雑な波の形が柔らかいタッチで描かれている。
クレヨンで描かれたものだろうが、全ての描写があたかも水彩画のように儚く、しかしはっきりとした輪郭を持って迫ってきた。
ーーー
ふと、晶子はその絵を見ながら、現実に則って人魚姫があぶくになってしまうことを思えば、すぐにモーツァルトのピアノソナタが浮かんできた。11番である。
ゆっくりと提示される主題はだんだんと激しさを増していく、それでいて希望に満ち、悲しさなど微塵も感じさせない。
晶子は渡された絵本にいたく感動させられた。こんな状況の中で、不意をつかれた感じだ。
「どうだ?晶子さんよ。」
深く絵本の世界へ入り込んでいた晶子は我に帰った。
「すごい…あなたが描かれたんですか?そんなにお若いのに…」
「若さの秘訣があるんだよ、童話作家のプライドとしてね。」
「それで、私はどうすれば…」
「いいか、ちょっと聞けよ、今長話するのは野暮ったいけどな。俺もあんたに少し話がしてみたい。
ブラックマーケットは、色んな感情を代償に成り立ってるって、横の男爵から聞いてるかもしれないけど、そんなダサいもんじゃない。美しいものを求める心があればいいんだよ、そういう人間が招待されてきたし、別にそれで人が殺せるとか、面倒ごとが起きるとかいうことじゃない。
要はだ、空気を吸い込むように、自然へ入れば気持ちがいいように、心臓が止まらないように、当たり前のことなんだ。
どこで何を見て、ってそのあとはお前が決めればいい。俺は童話作家だし、横の男爵はジャズピアニストだし、自由な場所だよこっちは。あんたが何をしたいかってことは絶対止めない。誓うよ。」
少年は頭を下げた、続いて男爵も。どうやら、邪険に扱ったり束縛したりはしないという一生懸命の表明らしい。しかし彼らは理解していた、誰かに助けを乞う時は自分がどれだけものを持っていても頭を下げなければならないことを。
晶子は絵本を読んでどれほどどれほど偉大な人間が前に立っているか分かっていたし、それが頭を下げることのできる人間だということに優しさを感じた。
明らかに、人魚姫に独自の解釈を入れて書き上げられた人間が目の前にいた。とても優しい声をしていると思ったし、嫌な人間には決して思えなかった。
それに、さっき自分に向かって京介の問題について叱った時も、自分は初めての状況に出会ったと感じていたのだ。
誰かを私情抜きで、徹底的に叱ってくれる。そこまでの人間に出会えたのが晶子は初めてだった。
「これ、とっても良かったです…お返ししますね…」
晶子は彼らに歩み寄って絵本を返すと、彼らの方は笑顔で彼女を迎え入れた。三人は闇の中へ消えた。
ーーー
「あ…」
みゆきは唖然としている。
「なにがあったの?匂いが三つ、消えたけど…それに面白い会話だったね、聞き捨てならないかもしれない。」
「あれ!Green Dayの作者さんですよ!」
みゆきは少し間を置いて、興奮し始めた。
「若干十二歳で天才的な絵本作家!私、あの人に憧れて絵を志し始めたんです!うわぁ…」
「あの…抱きつくのやめてくれないかな。」
「いえいえ!こうやって誰かと一緒になりたい気持ちを喚起させてくれる作家、それが彼なんです!
うわぁ、サインとかもらいに行けばよかったかな…お話ししてみたかったなあ…ちなみに私はGreen dayの続編、Green Girlも大好きですよ!
そう、スラム街の少女が魔法使いになる話で…
でも空が飛べないんです、それでも頑張って頑張って、人の愛を手に入れて。それでもある日虚しさを感じる、ここから続編。
彼女はやっていられなくなってチェロを手に入れる、町から無一文で飛び出す!ここでお金を全て燃やすシーンがいいんです。それで路頭に迷っていた時、郊外の田舎町でボロボロのチェロを大きな木下で弾く。そうすると町中の子供達が聞きにくるんです。彼女は気付く、この世の幸せは人に認められることでもなく、人に愛されることでもなく、すごい力を手に入れることでもなく…人と一緒に歌うことなんだって!
その時、彼女にはお迎えが来るんです…王子様はいつか、星になったよだかでした。実はよだかの娘が彼女だったんです、彼女は両親もなく一つの星から生まれた星の王女さま。子供達は別れをおしむけれど、最後のセリフが!
私は希望を持ち続ける人々の母であり続けます…いつか絶対、愛を知った時に空より迎え来る者だから!って!
うぅーー!感動を抑えきれません!」
「それは盛大なストーリーだね…とりあえず抱きつくのを。」
思いの丈を吐き出してみゆきは少し落ち着きを取り戻したようだ、彼女は盲目の男から離れた。
「あ、ごめんなさい…」
「いいよいいよ、僕も興奮するし。でもすごい絵本作家さんだったんだね、でもなんでそんな人が…?」
「それもそうですね。なんででしょう?というかどんな話されてたんでしたっけ?」
二人はどうして廃病院に来たのか忘れていた。
とりあえず約束通り、みゆきの家へ帰ることとする。しかしもう夜明けが近かった。




