王女様、捕まる
”Where in the world am I in..." (「一体、私は死んだっていうのにどこへ飛ばされたのかしら。」)
鏡の国では全てが石でできていたものなのだが、あたり一面木でできているものばかりだ。
マーゴの知らない…
匂い。海風、木造建築、線香、湯、日本料理。
もの。ぽつりぽつりと灯る田舎町特有の間で置かれた街灯、屋敷、コンビニ。
彼女はすぐにそれで自分がどこか違う国に飛ばされたか、処刑の直前に頭の中を駆け巡った無数の思い出が夢のように顕現しているのかのどちらかだと考えた。
とにもかくにも自分が、自分の全く知らない世界の上に「立っている」という実感だけがあった。それで、もちろん鏡の国の言葉というのは現代でいう古代文字を音にしたようなものであるけれど、異国に来たのだから自分でも意味すらおぼつかないままの、古い書物で感覚的に学んだ言語を使ってみたのだ。
ために、彼女自身は現代でそれが一定の人間に通じようものなどとは考えてもみなかった。なんだか違う国へ来てしまったな、という感覚だけが彼女に英語を使うことを許した。
さらに、少ししてマーゴは夢の中で言葉を吐いたり聞いたりした覚えがなかったので、おそらくこれは現実だろうと考えるに至った。
マーゴは体の隅から少しずつ、力を入れてみることから始めた。
手を握る、その場で歩く、跳んでみる。大きく深呼吸をして、初めて生きているのだなと知った。
その時地面一面に散りばめられた花びらがあることに気づいた。町には微かな家から漏れ出す生活感と、少ない街灯の明かりしかなかったものだが、花びらはマーゴの知らない色だった。
彼女は植物などというものが、緑色以外にあるということを知らなかった。
それは咲いて、木の枝を離れて、地面の上に落ちているのだと知り、嫌味なまでに自分の境遇と似ていたので綺麗だと感じた。
彼女は知らないものを美しいと思えることを、ひたすらに嬉しいと感じた。桜の花が散ったものである。
この世界にはどこかで散って初めて誰かに感動を与えるものがあり、死んでいるのにも関わらず色を失わず、誰にでも認識せらるるものがあるのだと頭上にあった桜の木を見上げ考えた挙句、今度は自分も生きているのだと頭で理解した。
ここで初めてマーゴは、現代日本で生きることとなったのである。
「そこの君。未成年だね?今の時間分かってる?もう11時だよ、こんな時間に出歩いてるのは感心しないな。」
と、その時自転車に乗ったパトロール中の警官である。マーゴは突然未知の言語で話しかけられたものだから少し驚いた。
これはなんと真面目な警官であろうか、今時深夜の見回りなどする人がいようか。実はそう警官自身が頭の片隅で思っていた。
「…?I came from somewhere else, I don't know where I am, who I should be, what kind of person you are, and... Where to go back.」(「あなたが何を言っているかもここがどこかも、とにかく何もかも分からないわ。とりあえず帰る家が欲しいところね。」)
「もしかして外国の観光客の方?でも俺英語は話せないしなあ…とはいえ髪の毛黒いし中国かそこいらだよな、うん。」
いかにも自分の職業に燃えている年頃、という若い警官は紙とペンを取り出し、漢字を書いてマーゴに渡した。
彼はマーゴが中国からの観光客だと推測したらしい。
そこには
「あなたは中国の方ですか?もし読めるのであれば紙に書いてお返事ください。何かお困りですか?」
というふうなことが書いてあったのだが、マーゴにとって漢字もまた未知の言語だった。
彼女は黒い髪をして、背丈は低く、妙に西洋風で「王女様のコスプレ」といった感じの服装でいたので警官が戸惑うのも無理はない。
初め、彼はマーゴのことを地元の中学生が若気の至りでコスプレをして夜の街を歩き、悪いことをしているように見えたのだった。当然コスプレに悪くないイメージのあるはずもなく、なにか不純なものを感じて今に至る。
"What's this?"(「これはなにかしら?」)
首を傾げたり、うーんという声を出しながら話すマーゴに、警官はますます戸惑うばかりだ。
ところで、マーゴがこうして英語を使っていることにはただ「言葉にしたい」という欲求だけがあったのではない。
なんだか彼女が英語を読んだ時に感じた風情と、似たものがあると感じたので通じるかもしれないと思っていたのだ。特に彼女は警官が彼のスマートフォンを手にした時、その感覚を強くした。
もちろん警官の男はマーゴと話し始めてすぐに音声翻訳機を起動していたのだが、マーゴにとっては音で聴き学んだ言語ではないためそのイントネーションは独特で、先ほどの"What is this?"は「ワンタンスープですか?」と翻訳される始末だ。
結局途方にくれてしまった警官は、携帯に「同行ください」という旨を翻訳機で英語にし、マーゴに見せた。その前に彼はそれを、自分の声で発することもしたのだがてんで通じる様子がない。
「How does this work? Is it a light? You don't use an ink?"(「ねえこれって光で書かれてるの?それとも中にインクがあってボタンと対応した文字を自動で中で書いているの?」)
といった質問をマーゴは弾丸のように発することとなったが、警官はむっつり黙ったまま交番へマーゴを連れて行くばかりだ。
彼はマーゴの発見についてなんだか大変なことなのだろう、と思ったので彼女に手錠をかけていたのだが、鏡の国に捕縛という文化も概念もない。それで彼女は捕まる前と同じ調子でいた。
質問をしても無駄なのだということを悟ったマーゴは、軽い散歩のような気分で交番までの道を歩いた。
二人の間で交わされたものというと、目を輝かせて散歩を楽しむマーゴのことを、警官はちょっぴり素敵な女の子だなと思っていたことである。一体全体、どうして性という概念は時空を超えて伝わるのだろうか。彼女の顔立ちは現代風に「ものすごく可愛い」と称されるような顔立ちであった。
夜の田舎町、「藤」の真夜中にへんてこでとことん無知な関係が一つ生まれた。
マーゴはこうしてこの町のいろいろな人々と関係を育んでいくことになる。