表面張力
マーゴとみゆきが落ち着いてもう帰ろうとしていた時、保健室の扉が開いた。
「あれ?ここもまた職員室じゃないのか。あ。
あの、明日ここの講堂で弁論をする者なんですがね、職員室ってどこでしょう?どうしてもその、こういう田舎の町の学校ってのに慣れてないものでしてね。どこになにがあるのかさっぱりなんですよ。お嬢様方、案内してもらえますか?」
マーゴ・ジニエステと藤実京介の目が合った。
二人はなんだか、詩的な感情を持った。
その時マーゴは、
(なんて難しい、気難しい、寂しげな目をした青年でしょう。都会の方ってこんな人なんですね、なんだか馬が合わさなそうですわ。
でもどうして私までこんなに寂しい…この方はこんなに綺麗な言葉を使っていらっしゃるのに、何か激しいものを心の奥に隠されている方ですわ。恐らく、ものすごく熱い怒り。
一体なにに?私の勘違い?そして悲しみに支えられた繊細な心に磨かれた鋭い誇りの形…)
その時京介は、
(ちっ、面倒な女に声をかけちまったな。なんだか俺の付き添いの阿呆みたくお高くとまってる気がするよ、どこのどいつだが知らんがきっとプライドが高くて、いろいろと知識をひけらかしたいタイプの人間だろうな。
ん?でもちょっと待てよ、こいつ本当に日本人か?留学生か何かか知らん。背も高いし。そういえばでも、この町ってなんだか匂うな。今だって頭がいたいよ、だから彼女は思った通りの人間で、僕がちょっと違うと勘違いしてるだけかもしれない。でもなんだろう、この人から感じる何か熱い感触は。体調でも悪いのか?熱だな、あぁ、体調不良に過ぎないね。)
別にこういう風な思考回路をつぶさにお互い、巡ったわけではないがこういう感じの印象をお互いは受けた。
「あの、藤実京介さんですか?」
会話をまず始めたのはみゆきの方だった。みゆきは先生から明日の弁論イベントのことをマーゴよりかは詳しく知っていたので、今保健室に入ってきた男の名前は知っていた。
「はい。藤実です。あなたは?」
「あ…!田代やよいというものです。こちらはえーっと、(鏡の国の王女と言いそうになるのをみゆきは抑えた)マーゴ・ジニエステさん。今はこの学校に留学生として席を置いてるんです。」
「お二方は保健室にいるということは、体調でも悪いのですか?いいですよ、僕のことなどはお気遣いなさらずに…その、留学生のマーゴさんは体調が芳しくないようです。早く自宅に帰ってしまった方がよろしい。」
「いいえ、私は平気ですわ。案内しましょう、職員室まで?」
(へえ、こんな話し方をする人もいるもんだ。留学生だからって、そういう言葉を使うと日本人には変な目をされるんだよ。よし、そこまでは分かってないな?)
京介は少し、外国の人間がここまで上手に日本語を話すということが気に食わなかったが、日本の文化まで理解して日本人にどういうふうに言葉が聞こえるのか、そういうことをマーゴは分かっていないとして優越感に浸った。
「大変流暢に日本語を話されるんですね。僕は驚きました。」
「いえ、これは先ほど身につけたばかりなのですわ。もしあなたを不快にさせるような言葉が含まれていたとしたら…御免あそばせ。ところどころ堪忍して下されば幸いですわ、どこかの国の王子様のような人。」
「王子様?はは、それは僕が皇族か何かのように見えたってことですか?まあ、疑問は数あれど棚に置きましょう。どうぞ、無知な僕のことをご案内ください。」
京介は皮肉のつもりで西洋風にお辞儀をした。
京介はちょっと自分の考えの矛盾を自覚した、病人には早めに帰ってもらうのがいいと思っているはずなのに、どこかで目の前にいるマーゴという少女に校内の案内をしてほしいという気持ちがある。
ところで、
そばにいたみゆきはなんだか、マーゴと京介の間に脆い鉄線のようなものが渡っているという感覚を覚え、その会話に言葉を添えることができないでいた。
ここで自分の言葉を発することは野暮だろうと思った。
しかしみゆきも、言葉を添えられないことだけで終わる馬鹿ではなかった。
その、鉄線の感覚をよく捉え、自分の絵にできないかと考えていた。「真っ白な画用紙に一つの鉄線」、もしそれに適度な光沢を与えて、指でそれを弾き音を出そうものなら指の方が弾け飛んで血を出してしまうような鉄線。
例えば優れた日本刀のような妖気をまとった鉄線を描くことができたらいいなと考え始めていた。
みゆきはこの二人の掛け合いと、お互いの雰囲気に何か美術的なものを感じ取っている。
それを区切るように、マーゴは京介との会話を続けた。
「もちろん、喜んでご案内しますわ。」
マーゴにはみゆきとの戦闘中、見て取った地図の像が頭の中にあったのでそう言うことができた。
「みゆきさん、私が迷ったときのために付き添いでいてくださる?介護のためにもあなたの時間を取ってしまったけれど…」
「は、はい…!」
マーゴは自分の介護のためにみゆきの時間を取ってしまったことに罪悪感を感じていた。
「それはありがたい、でも職員室の場所だけでいいですよ。まあ、探検することも楽しいですから。」
ーーー
それでみゆきとマーゴは京介に職員室を紹介した。
みゆきはそれで家へ帰ったが、マーゴはちょっぴり京介という人間に変な興味があったので職員室の前で待っていた。やがて京介は出てきた。
「マーゴさん、あなたまだいたんですか?それもこんなところに?」
「あなたと話がしたかったんですわ。」
「はは、一体あなたのような高貴な人間が、僕のような俗物とどんな話を?」
マーゴにはそのへりくだった態度が気に入らなかったが、そこを責めることは面倒なことだと思ったのでしなかった。
悠に心配をかけないため、夕飯までにはマーゴも白川家へ帰らねばならない。
マーゴは言ってやった。勇気を振り絞って。
勇気とは自分の心を明け透けにすることと、相手の心がそれに反射して防護壁を捨て去った自分を傷つけるかもしれないという恐ろしさを乗り越えることだ。それでも突発的に、マーゴはそれを乗り越えることに成功した。
「あなた、本当はそういう人ではないでしょう?気持ち悪いですわ、私にはよくわかってよ。本当は人を傷つけたい、それで人の中に入り込みたい。ノーベル平和賞でも狙えるような気持ちで人と接したいと思っているあなたの心、私にはよくわかりますわ。」
京介はさすがにここまで突発的で、驚くに値する、人の言葉とは呼べないような言葉に立ち止まった。
「ノーベル平和賞?一体あなたはどうしてそんなことを持ち出すんですか?」
「あなたが恐ろしいほど優しい人だと思うからよ。」
「僕が人を傷つけたいって?」
「はい。」
「そうですね、あなたみたいな人の心はずたずたにしてボロボロにできれば嬉しいです。来てくださいね、明日の弁論大会。そして質疑してください、僕は保証しますよ、あなたの考えを根元から破壊してあなたがぼろぼろの体で歩くっていうことをね。僕はそういうふうに答えます。ところであなたはどんな人ですか?僕にはただの留学生だと思えない。」
「私は鏡の国の王女、マーゴ・ジニエステ。」
「はは、冗談のうまい人だ。いいですよ、王女様。私が現実へとエスコートしましょう。」
京介はマーゴのことをただ、夢見がちな少女の類と思った。それで少しまた、皮肉った。
「その馬鹿げた殻を、私は明日壊してみせますわ。」
そういったマーゴの姿を背にして京介は歩いた。少し京介がマーゴから距離を置いたところで、水野晶子が京介に走り寄った。
京介はマーゴとの一連の会話の後、思った。
(できるならやってみろ。僕は自分のことを見せないから今まで生きてこれたんだ。)
京介の心は揺れていた。
マーゴは京介の背中を静かに見守った。




