マーゴ・ジニエステは転生する
遠くの方で教会の鐘が鳴ったような気がする。ここに一人、もうすぐに罪人として死ぬ人間がいるというのに変な話だ。
マーゴ・ジニエステは考えた。
例えば赤子の頃のこと。
夕日が白いレースのカーテンを通して差し、自分は母親の胸に抱かれている。
今度は同じ部屋にかけてあった薄汚れた聖像の前で母親が泣き崩れている、しきりに彼女はぶつぶつと呪文のような言葉を唱えているのだ。
幼いマーゴは木製の椅子の上だった。
ーーー
全く思い出すことのなかった風景が、今は鮮明に、自分の思い出であるという事実だけ持って蘇るのだ。
なんだかそんな回想にに嫌気がさして、マーゴは自室でありったけの果物を潰し、自分の顔になすりつけている。
綺麗であらねばならないと思った。
鏡の国に鏡はない、よって自分の顔を自分で知るものはいない。
ただ、とりわけてマーゴは葡萄を好んだし、それは美味しいものだから身につけるとしたら自分も美しくなるのだと思うばかりだった。
彼女は部屋を出れば断頭台へと連れられていく。国家転覆を図った王女の同胞は時を同じくして歩き始め、一連のことはその処刑を始めとし、マーゴの処刑に終わる。
「ジニエステ様、そろそろおやめ下さい。それは国一番の葡萄、農民の皆が悲しまれます…心のお優しかったジニエステ様、いつどこで気が違ってしまったのですか…!」
「婆や、私がお前の持ってきたくれた短刀で自害せず、こうして果実に己の顔を染めているのは私の首がはねられ掲げられた時、私の顔は蒼白でなく赤くあるのが美しいと思うからだ。人々は人のことばかり見て自分のことを見ることがない、私は王国初の鏡になろうと思うのだよ。」
「ああ…!なんて恐ろしい!ジニエステ様、ジニエステ様…」
マーゴの側にいるただ一人の老婆は幼少の頃から今まで、彼女の面倒を見てくれていた人間だった。
今は亡き国王である父とその妃である母はいつでも多忙を極め、彼女に顔をみせることすら珍しかったが、それはマーゴの家庭に限った話ではなくこの国の文化だ。
しかしマーゴは人と会うことの少ない文化を否定し続けてきた、直感で恐ろしいということや忌み嫌われるものが最も美しさに近いと考えた。それで自分は美しいと誰にでも呼ばれてはきたものの、それが逆であると認識された時こそ良いという観念がマーゴの天才である所以だったけれど、
「この子はなんて頭がいいんでしょう。」
と言われても、何か別のことについて言われている感覚を覚えた。
また、それを感じていてもマーゴにとって鏡のない世界でそれが何かわかるはずもなく、それが彼女の未熟さともなっていた。
とにかく、マーゴは未熟だからこそ今は不思議と湧き上がる諸々の思い出を除けば、冷静だった。
彼女は自分の死に際の行いで世界が変わると信じていたのだから。
すると、自分の中で覚えのない思い出の回想が止まった時、急に周りから歓声を聞き取った。
もう彼女以外の処刑は終わり、もう死ぬのだという実感が彼女を襲った時、周りの世界を初めて認識したのだった。マーゴは生まれて初めて自分の顔への誹謗を聞くと同時に、それが「罪人の顔」だからなのか、「ぬりたくった果実」のせいなのか分からないと知った。
そして自分の首が硬石の上に横たえられ、剣の空を切る音が聞こえた一瞬に初めて自分を見た。
暗がりの中で仮面じみた人の顔を見た時、それが自分の顔なのだと悟ったのはそこに葡萄の赤がところどころ、ほんのちょこんとだけついていたからだ。
人は境界線を越えたり、それで死の香りを感じるたびに一つずつ欠片の集まっていくが如く完成するものである。
マーゴの精神は自らの肉体が死するより前に、自分の精神が息絶えたことを悟った。彼女は社会的に死んだのである。
それだけ「精神の速さ」じみたものが生まれながらに才として備わっていたのだからマーゴの肉体は死ななかったし、鏡の国の人々が視認できる域を消え、現代の日本へやってくることとなる。
一体、人は死んだと言われた時に死ぬのか、動かなくなれば死ぬのか、死んだと自分でわかったとして死ぬのか、ついぞわかった試しはないが、マーゴが大変頑固な王女様であることは事実である。さぁ、これで、
王女様が現代日本にやってくる。