プロローグ――出逢い――
夏の朝日が照りつける。
雲の切れ間を縫って森に降り注ぐ眩しい光。
多くの木々が喜びと共に目覚めていく。
競い合って葉を伸ばし太陽の恵みを受け止めた。
日を浴びて緑溢れる森の中は木漏れ日が降り注ぐ。
少し薄暗い静寂の世界にも変化が訪れる。
耳を澄ましてみればただ静寂なだけでない事に気づくだろう。
聞こえてくるのは命の音。
風の奏でる葉の音と起きたばかりの小鳥の囀り。
朝露が溜まり地面に落ちる。
木々が奏でるのは大地から吸い上げる水の音色か。
小さな動物が木々を走り、木の実を集めている。
目覚めた森を抜けて更に大地へと光は広がっていく。
草原の草は緑の匂いをさせながら小高い丘の向こうまで広がっている。
山脈から吹き降ろす風が森の木々を揺らす。
一陣の風が流れていく様子を草が描く。
風と共に走り抜ける鹿が小川を渡る。
流れる水が煌きをあげていた。
岩を避けて上流へと登る魚が鹿に驚き飛び跳ねる。
夏の日差しを受けて、数多の息吹が大いなる自然に賛歌を捧げているようだ。
豊かな自然が回りを取り囲む王国。
森には実がなる木々も獣も豊かで、山から流れてくる川には魚の恵みがあり。
広がる畑からは毎年麦や豆が収穫できる。
一人の青年が馬に乗り小高い丘から己の住む土地を眺めていた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
険しい山脈が東西に聳え天然の要害となって敵の侵入を防ぎ、守らなければ為らないのは北の森と南の大海のみ。立地に優れ国土に優れた土地を持つ故に、その王国は二千年の歴史を誇っている。
大陸で一番古い王家としても有名なこのリンドヴェル王国は先君の治世で大きく国土を増やした。
その名君と呼ばれた先王カール三世、カール・ツェーザレ・ヴァイス・ドラッヘが亡くなってから15年の月日が過ぎ、その二千年の栄華にかげりが見えている。
大地も民も変わらない。
だが名君と謳われた先王が齢八十二歳という大往生を遂げるまでに拡大されたリンドヴェル王国の領地。
それを維持するだけで精一杯なのが今の王国の現状だった。
名君の息子がまた名君であるとは限らない。
それが現王ヨハン二世の評価、
五十歳という高齢で即位した王は遊興に耽った。
まず、父の治世で得たものを全て後宮へとつぎ込んだのである。
それまでの鬱憤を晴らすかの如く……
それなりに理由もあった。
王位継承権が認められるのは男子のみ、にも拘らず彼は世継ぎを授かっていなかった。
後継者を作る事もまた王の仕事である。世継ぎが居ない事で臣下である貴族達から軽く見られてしまう。それは当然の事だ、王女しか子が居なければ最悪の場合は現在の血筋が途絶える、完全に途絶えさせない為には分家から養子を迎える事態になりかねない。
そうなれば必然として宮庭の権力争いが激しくなる。
王としても活躍が出来なかったばかりか、血筋まで絶やす事など耐え切れなかった。
故に後宮を設立したのは致し方無く、その目的も達成されたのだから、貴族同士の争いを加速しなかった面などを見れば悪い事でも無いかもしれない。
そのまま政務を怠らなければという一文がつくのだが。
このような経緯で誕生したのが、後宮の更に厳重な離宮で育てられている第一王子にして王太子、ヴォルフラム・アーベル・ヴァイス・ドラッヘという少年だった。
そのヴォルフラムが生まれてから13年の月日が経っている現在。
丘の上から王城の方角を見ながら思いを馳せる青年こそが彼だった。
青年が眼差しを向ける自国に対して何を思い、考えているのか、それを知るものは誰もいなかった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
この国が未だに国の体制を維持出来ているのには理由がある。
先ず最初の不安は突然の発表からだった。
7年前、国王が病魔に倒れたという一報が国を駆け巡る。
王城から正式に『後宮にて病気療養』と発表されて貴族を筆頭に国民は不安に陥った。
暗君であると言われようが彼が正式な現国王であれば当然だろう。
そして正式発表にはこう追記されていた。
『国王代理として次期王太子ヴォルフラムが政務を行う』
国の行く末を不安に思う者が大半だった。多くの者がそう思ったのも仕方が無い。
たった齢6歳の王太子が国王代理として国政を執ったのだから。
だが先にも述べたように、未だに国は体制を維持し続けている。
先代から仕え続ける宰相達の努力だと多くの者は考えていた。その様に考えたのは貴族や国民だけでなく、他国も同様であった。暗君に代わっても侮りがたし、ましてや子供であろうとも……と。
だが真相は国民や他国が知る物と大きく異なる。
そう、誰も思いもよらないだろう体制で国は命脈を繋いでいた……
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
物語の始まりは約11年前まで遡る。
当時2歳のヴォルフラムの元へ一人の人物が訪れる。王太子として大事にされている彼が暮らしている離宮は後宮の一部であり警備体制も普通ではない。そのような場所を訪れる事が可能な人物は国王か後宮で働く事が許された女官のみ、不審者など許す体制は本来取られている筈がない。
訪れたのは不思議な人物だった。背丈は少年の様なのだが・・・
先ず性別が不明だった、そして年齢も不詳である、瑞々しい肌で皺が無い、なのに髪は全て銀髪で眉毛も長く、そして立派な銀色の鬚があった。その鬚がなければ女性と思ったかも知れ無い程に整った顔。
『不思議な』としか言い表せない容姿に加えて、着ている服はローブ姿、後宮の女官では在り得ない。
そして何故か威厳としか言い表せない雰囲気を2歳になったヴォルフラムに感じさせる存在感があった。
父親以外の男性も滅多に見ないヴォルフラムは最初に困惑をしたが、直ぐにその人物を受け入れた。
幼心には警戒心が無かった事が大きい。
ヴォルフラムの持つ他人という知識からすれば『同じ人なんて居ない』と言う程度、知っている人など数える程しかいないという年齢と環境だが、皺のある年寄りから艶やかな若い女性、化粧臭い人も居れば、優しい匂いの人もいる、体型も千差万別で十人十色じゃないかという程度。
まだ常識が刷り込まれていなかった事も幸いしたのだろうが、それだけでは無かったようで、何故かその人物は信用できるとヴォルフラムは安心を覚えたのである。
「王子よ……驚かぬのか」
「?」
「この場に我が来た事にだ」
「ん?」
「この見た目とかなのだが」
「……皆と違うけど、いいひと」
その人物の問いに対して『何に驚くんだろう? もしかして驚かせたかったのかな』と思って、御免ねといった感じで首を傾げながら、感じた事をそのまま口に出して答えたヴォルフラム。
幼い故に感受性が高かったのだろう。
自分の本質を見極めた一言を受けてローブの人物は笑った。
「フフフ、これならばまだ何とかなるやもしれぬな、我の事はヴェルと呼んでくれ王子よ」
「ヴぇ、ベルとお遊びできる?」
聡明と言えどまだ2歳、基準が遊び相手かそうでないかだった。
大事にされすぎて未だに友達がいなかった。
絵本の中ならみんな友達と遊んでいるのに……
ヴォルフラムの今一番欲しかったものは友達だった。
「最初はそれも良いな、ウム、これからこのヴェルが時折お相手しよう」
「ほんと、たのしみ! これで友達だね、ぼくはボルフラムよろしくね、ベ、ヴぇル」
「ククク、無理せずともよいさ、ヴェといいにくければベルでいいぞ」
「駄目だよ、友達だもの! べ、ヴ、ヴェ ヴェル、ほらこれで大丈夫!」
弾けるような笑顔を見せるヴォルフラム、自分の名前もヴォと発音できてないのが可笑しかったのか解らないが、見つめるヴェルの眼差しは最初よりも数段慈愛に満ちていた。
こうして部外者が入り込めない筈のもっとも安全な離宮の一室でヴォルフラムとヴェルは出逢った。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
王宮で不思議な話がある。
記憶にも残らないその話は後宮の女官に広まっていた。離宮で王子を見失うという噂話。
と言っても居なくなるのではない、ご飯の時間には必ずいるし、勉学の時間にもいるのである。
しかし、時折探すと居ないというのだ。
この話を聞いた老宰相マクシミリアンは頭を抱えた。
王太子の居場所が掴めないなど在ってはならない事だった。先代から仕えている重臣であり、この4年程苦労の絶えない彼にとっての新たな悩みである。先代にも苦労し、更に暗君を何とか支えてきたのだが……
さらに今度は王太子と問題がやってくる。
彼が頭を抱えたくなるのも致し方がない。彼は女官長を呼び出し徹底的に護衛と監視をするように申し付けた。
女官長であるアーデルハイトも同様に頭を抱える。
まだ3歳の王子を見失う筈がないのに、気がついたら女官は取り残されて王子が居なくなるのである。宰相からの呼びだしの後も常に侍女や乳母が付いているにも関わらず消えるように見失う。
そして何時の間にか戻っているのだ。
見れば洋服が汚れていたりする事もあるのだが、一体何処で遊んでいるのかが把握できない。数回は自分の目で確かめようと赴いたのだが、同様に居なくなる。大人数をもってして取り囲めばまた違うのだろうが、3人以上の侍女がつけば王子から拒否されてしまった。それも致し方ないと遠目から監視しても消えてしまう。
部屋から忽然と消えるなど在り得ないと思いたいのに居なくなる、帰ってくるのは庭からや玄関だったりと不規則だった。
教えて欲しいとお願いしても「なーいしょ」と可愛く言われてしまう。
こうして王子VS侍女達女官の『隠れん坊』とも『鬼ごっご』とも言える対決が始まった。一方的に女官側が仕掛け、ヴォルフの一人勝ちが永遠と続いただけの虚しい結果が残った。
「無理です」これが後宮女官長の結論だった。
その報告を聞いた宰相は悩みよりも興味を持つ事になる。
困り者の先代、そして暗君といわれる現王、その息子はどうなのだと。
問題の当の本人であるヴォルフラムが何をしていたか、ヴェルと遊んでいただけだった、但しという言葉が必要な遊びだったが……
女官がヴォルフラムを見失うのはヴェルの仕業だった。最初の頃は人払いの結界で、それが段々とやり取りがヒートアップすると転移の魔法まで使っての勝負になっていた。勝ち目がある筈がない。認識の阻害まで行われていたのだから。普通の女官が魔術を使えても治癒や少しの生活魔法といった物。
護衛の女官もいたのだが、そのレベルではヴェルの魔術を理解する事など出来る筈もなかった。
転移や認識を阻害する魔法を理解できるとすれば宮庭魔導師レベルでも怪しいと云った所。所謂賢者や大魔導師と言われる魔法を極めた者でないと無理な話の次元だった。
ヴェルとヴォルフラムは王宮を飛び出して森で遊び、川で泳ぎ、魚を釣って食べたりと自然の中にいた。
その遊びを通じてヴェルは少しずつ魔法や武術についてヴォルフラムに教え込みながら鍛えていく。本や物語や学問なども王宮で学んでいるように幻術をかけてヴェルが教えていた。
つまり後宮の離宮で消えるように居なくなるヴォルフラムが既に幻だったりするのだ。
ヴォルフラムが5歳の誕生日を迎える頃にはヴェルが魔法を使わずとも、彼自身が魔法を使い王宮を抜け出す事が可能になっていた。遊び場は相変わらず森だったが学問を習う場所は変化する。
それは街中であったり村であったりする事が増えていたりと。
時にヴェルの自宅に招かれる事もあったが、そこは不思議な空間だった。
ヴェルの自宅は王城の真下。
その空間は光があふれ、壁からは滝が流れ落ち、水晶が煌いている。大理石でできた机で本を読み勉強をするヴォルフラムだったが、疑問に思っていない。ここはヴェルの家だからそれぐらいは当然なんだと思っている。
かくも常識の無い状態で植えつけられる非常識があるのだと宰相辺りが知れば思っただろう。
ヴォルフラムが6歳になる少し前。
村の暮らしなどを見て疑問に思ったヴォルフラムがヴェルに尋ねた。
「ここニックの家だよね、この家にも父親がいないのはどうして?」
自分も父はいるが滅多に合わない。もしかしたらそうなのかと聞いたのだ。
だがそうではなかった。
「この家の父親は戦死だな、先王の戦で死んだらしい」
「お爺様のせいなんだね」
以前聞いた話をヴォルフラムは思い出す。
祖父は国を広げる為だけに兵を沢山死なせたらしいと。
「そうだな、メイの家は出稼ぎだろう、恐らく税を納めるために町へいってる」
「……僕の家のせいなんだね?」
「そうともいえるし、違うともいえるな」
どういう事とヴォルフラムは思う、まるで謎解きのようだ。
税を決めているのは直轄領ではないかぎりその領主が決める。
だが国王が決めた上納はしなくてはならない。
その分の税が多ければ必然、領地の税金も上げざるを得ない。
「うーん、やっぱり僕の家のせいだね」
「そう思うのか?」
「うん、色々教えてもらったけど、父上の後宮のせいだよ」
「まあ、それは大きいかもしれんな」
ヴォルフラムは思った、何故父上は後宮に入り浸り贅沢をし国民を苦しめるのだろうと。
どうして祖父は必要のなかった戦まで仕掛けて国を広げたのだろうと……
「ねえ、ヴェル」
「どうした」
「この国は泣いているよ……」
「国が泣くか、うむ言い得て妙だな」
この子を選んだのは間違いではなかった。
そうヴォルフラムをみながらヴェルは頷きながら答えた。
「教えて欲しい、僕も沢山考える、だから教えて欲しいんだ、友達達が笑えるように」
「良かろう、ただ教えを請うだけでなく自らも考えるならば我が導こうぞ」
背丈も6歳になるかならないかのヴォルフラムと変わらないヴェルはその不思議な容貌にも関わらず鷹揚に返答する、姿は小さくともその振る舞いは賢人とは斯くやといったもの。顎に手をやり自慢のひげを触りながら優しい目つきでヴォルフラムへと手を伸ばした。
ヴォルフラムもまた手を伸ばし、二人は此処に誓い合った。
「「皆の笑顔を取り戻そう」」
初回分なので多目です……