さよなら、愛した人
「もういいよ」
後ろから聴こえてくる小さな声。
あいつだ。
もういいよ?
意味がわからない。
俺、こいつになにかしたっけ?
……俺はあいつが大好きだ。
でも、これは恋愛感情ではない。
わかってる。
でもわかりたくない。
あいつはいつもそうだ。
自分の気持ちを押し殺して、他人の気持ちを優先する。
「私なんか」
なんて、口癖のように言う。
「私なんか、なんて言うな。お前はお前でいていいんだ」
そう言えばあいつは酷く複雑な顔をした。
悲しそうな、うれしそうな不思議な顔。
「ありがと」
あいつは小さく呟いた。
あの日から俺らは仲良くなったんだ。
あいつはそう思ってないかもしれないけど俺はそう思ってる。
あの日から何年たったんだろ。
ある日、君との帰り道。
その日はお互い部活が無かった。
「貴方って優しいよね。残酷なくらい」
唐突に君が話し出す。
俯いていて表情はわからない。
「お前より優しくねーよ?」
こいつは、自分より他人を優先する。
欲を押し殺して、諦めて。
嫌な顔一つせず引き受ける。
だから、沢山の人から頼りにされている。
なのに、こいつは「私なんていなくても良いのにね」とか言いやがるんだ。
こいつがいなくなったら、皆、悲しいのに。
それに俺だって……
「私なんかより、貴方のほうが優しいよ?」
あいつは、そう言って笑う。
笑顔は歪んでいた。
自分で自分のこと貶して悲しくなってんのか?
馬鹿だなぁ。
「“私なんか”なんて言うな。何回言えばわかる?」
すると、あいつは
「ありがと、……やっぱり優しいよ」
そう言って、笑った。
なにかが、可笑しい。
「どうした?なにかあったの?」
あいつは少し戸惑っているように見えた。
でも、直ぐに口を開いて
「なにもないよ」
そう言ってまた笑った。
辛そうに。
なぁ、俺、何かした?
聞きたかった。
けど、怖かった。
だから
「……そっか」
なんて、言った。
ヘタレだな、俺。
思わず笑ってしまった。
あいつの表情を見てみる。
寂しそうな顔をしていた。
抱き締めてやりたい、けど、それは出来ない。
……こいつ、やっぱりなんか変だ。
多分、だけどなにかあったんだろう。
聞きたい。独りで悩んで欲しくない。
でも、俺が干渉しても良いのかな?
そんなことを頭のなかでぐるぐる考えていたら、あいつはいきなり歩くのをやめた。
そして、俺に背を向けた。
なにする気だ?
刹那、あいつは走り出した。
状況が上手く呑み込めない。
何が起きた?
今、何が起きてるんだ?
わからない。
わからないまま、俺はあいつの名前を叫んだ。
絶対聞こえてるハズなのにあいつは振り向かなかった。
様子が可笑しいと気付いたときに
「なにかあっただろ?」
って、強く聞くんだった。
わかってたハズだ、あいつは自分から悩みを話そうとしないことなんて。
あいつは独りで悩んで、溜め込んで、いつも自己嫌悪するんだ。
あいつは、あいつは……
わかってたハズなのに俺、なにも出来てない。
よろよろしならがあいつを追いかける。
足が思うように動かない。
本当に辛いのは俺じゃなくてあいつなんだぞ!
あいつは誰よりも強い。
頼まれれば嫌な顔しないで引き受けるし、相談されればまるで自分のことのように一緒に悩む。
部活の練習だってサボらないし、手を抜いたりもしない。
けど、誰よりも弱い。
あいつは本当は寂しがり屋だし泣き虫だ。
誰にも見せないだけで、本当は……
俺は自分の頬を思いっきり叩いた。
そして走った。
あいつは陸上部だけど“女子”だ。
“男子”の俺が全力で走れば追い付くハズだ。
しばらく走っていると、公園で踞っているあいつを見つけた。
「どう、した?」
全力で走ったから息切れしていた。
あいつは俺に気付いて逃げようとした。
だから、俺はあいつの腕を強く掴んだ。
すると、あいつは少し戸惑って苦笑した。
俺はあいつを真っ直ぐに見つめた。
あいつは、微笑んで、俺に抱きついた。
一瞬思考が止まった。
何が起きてる?
「大好き。だから、もうやめてよ」
あいつの声。
少しずつ状況を理解する。
ん?
「もうやめてよ」って言ったか?
俺、あいつになにかしたっけ?
心当たりがない。
返す言葉も見つからず呆然としているとあいつは俺をトンっと突き放した。
そして
「愛していました」
と、笑った。今まで見たことないくらい綺麗な笑顔で。
なんで綺麗に笑うんだよ。
俺はただただ呆然とあいつを見ていることしかできなかった。
しばらくして
「俺も、お前のこと愛してる」
そう告げた。
「ありがと」
違う。この愛は愛じゃない。
なんて、言えば良いんだ?
なんでこの感情に合う言葉が見つからないんだ?
自分の語彙力の無さが腹立たしい。
“愛”とは違う。
けど俺はお前を守りたい。
お前のそばにいたい。
親から愛されていないお前を愛したい。
お前の偽った笑顔をみたくない。
それだけなんだよ。
でも、これは、“愛”じゃない。
うるさい、うるさい!
わかってる、わかってるんだ。
俺が歪んでいる愛を向けてることも、それがあいつを苦しませてることも、全部全部わかってる。
でも、でも。
それでも良いって思いたかったんだよ。
あいつはゆっくり口を開いた
「でも、貴方の愛は愛じゃないよ」
気付かれてたんだな。
ごめんな、苦しませちゃって。
「気付いてるよ」
俺は気まずそうに笑った。
そして
「でも、それでも、俺はお前の傍にいたい」
縋るように、お前に言う。
傍にいないと駄目なのはどうやら俺だったみたいだな。
今までごめんな?
そしてありがとう。
さよなら愛した人。