弐章 創覇大学の騒乱 その3
勇輔に立ちはだかった女、美由紀。その能力は……
西九号棟に到着した勇輔とミミカは、先行する山田と啓壱朗を追いかけた。
道中は気絶した学生たちが転がり、先行チームの暴れぶりを物語っている。
「……ひっ!」
そんな折、眼鏡をかけてチェック柄の服を着た冴えない男を発見。勇輔は詰問する。
「お前は学長派か?」
「ちっ……違ふゥ! 僕らはただ脅されていただけなんだァ! 許してェ!」
勇輔はメガネ男の首根っこを掴んでさらに尋問。
「返答次第では見逃してやる。学長はどこだ?」
「ひいッ! や、山田先生と屋上にヒィ!!」
「……意外とフェアなおっさんだな」
そう言って勇輔はメガネ君をポイッと投げ捨てた。遁走する男。
「呆れた。うちの学生って、あんな弱い連中ばっかなの?」
「教員が強すぎて、普段から萎縮しているんだろう」
ミミカにそう言うと、勇輔は少し考え事をして、それから指令。
「お前は屋上に行け。俺はここで追っ手を食い止める。すぐに合流するからな」
「うん、わかった!」
長髪を揺らし、元気な声で駆けていくミミカ。勇輔はキッと背後を振り返る。
「……さすがね。後ろから一撃で仕留めようと思っていたのに」
「後背の守りを固めるのは常識的なことだ。特に敵地ではな」
付近の講義室から、美麗な結い髪の女がドアを開けて現れる。
成年を控えた若い女性であるが、勇輔は即座に強者の予感を感じ取った。
「礼儀として名乗りましょう。私は鬼塚美由紀。秀政様の忠実な部下よ」
右頬から首筋にかけ、刺青のような模様が浮き出ている美由紀。
奇抜なファッションのようにも見えるが、血統によるものだった。
「あなたの最後の相手になるわ。君はここで死ぬ。秀政様の邪魔はさせない」
「戦う前に一つ言っておく。俺は女をいたぶる趣味はない。可能なら失せろ」
勇輔が言うと、美由紀は可笑しそうに含み笑いをする。
「くすくす……みな、私にそう言うのよ。最初はね」
美しく美麗な容姿に、胸と太腿を強調する大人のフォーマルスーツを着た美由紀。
麗しくお勤めをする彼女には、多くの男性が惚れる。彼女の能力を知るまでは。
「男って可哀想な人種だわ」
「!?」
勇輔は一瞬たじろぐ。目を猫のように針目とし、瞳を緑色にする美由紀。
頭頂から人間にない一角を生やし、犬歯を鋭く伸ばして牙とし、両手の爪をジャキッと鋭利に伸ばして凶器へと変えたッ!
「死ね!!」
美由紀は人外の速度で飛び掛かり、両手の長爪で勇輔を引き裂かんと凄まじい一撃を振るう。
(思念力を体細胞に込めて活性化させる、『身体強化』の能力者か。確かに厄介、だが……)
勇輔は美由紀の攻撃を、流水のように滑らかな挙動で回避する。
大振り過ぎる攻撃の合間を縫って胸部を蹴りつけた。吹き飛ばされる美由紀。
「うあっ!! うっ……くっ……!」
「止めておけ。体がいくら強くなろうとも、そんな単調な攻撃では……」
勇輔は言いかけたが、すぐに止めた。
腕と脚の筋肉が激しく膨張し、服の袖が弾け飛ぶ。爪牙と角はさらに禍々しく発達するッ!
「秀政……さマは……私が……守ルッ!」
しわがれた声で話すと、美由紀はさらなる猛獣のごとき敏捷で襲い掛かった。
(く……まだ、体を強化できるのか……!)
鋭利で豪烈な腕撃を辛うじて避けつつ思う勇輔。
背後の白壁に美由紀の腕が突き刺さり、ドゴボァと破壊ッ。
腕を振るう度に、付近の折り畳み机やゼミのパンフレットが巻き込まれて吹き飛んでいく。
「仕方ない……!」
手加減している様子はなさそうだと考えた勇輔、懐から串焼き用の金串を四本取り出す。
思念力を込めて美由紀に投擲。四肢に金串が刺さり、血をブシァッと噴き出して倒れたッ。
「ぐああアあっ……!!」
「悪く思うな。傷つけたくなかったが、お前が強いのが悪……」
勇輔はまたも言いかけた。美由紀がぎらっと睨んでくる。
顔面の筋肉が絞られて美貌が醜悪に歪み、胸部と腹部の筋繊維が異常かつ高密度に発達し、着ていた衣類の大半を破り去る。生物の常識を超える肉体が一瞬にして形成されていくッ!
刺さっていた金串は、まるでそれが当然のようにぽろりと抜け落ちた。
「殺ス……! 殺ス……! 貴様ハ私ガ殺ス……!!」
もはや元が女性とは分からぬほど異形の怪物と化したそれを見て、勇輔は冷や汗を流した。
(ついに本気ということか……!)
「ガアァッ!!」
理性の欠片もない叫びと共に、魔獣は身を鋭く跳ねさせて襲来する。
あまりの速度に勇輔は避けきれず、服と肌を爪で切り裂かれ、血の霧を噴いた。
「うぁ……! くそ、食らえ!」
手近な掲示板の近くにあった画鋲入れを手に取り、思念を込めて投げる。
怪物に散弾のごとく画鋲が突き刺さるが、全く効かぬ様子で、勇輔を巨腕で殴り飛ばしたッ。
「ぐあっ……!!」
吹き飛ばされたが辛うじてガードが間に合った。否……防御しなければ死んでいた!
いったん距離を取り、近くのドアを殴ってガラスを壊し、その破片を手に取る。
(化け物め……! もう手段は選べない……!!)
魔物の打撃で目眩を起こしつつ、ガラスの破片に全力で思念を込める勇輔。
「グアァッ!!」
魔獣は止めを刺さんとばかりに吼えて勇輔に突貫する。
だが、突進を前方宙返りで回避した勇輔。化物の脇腹にガラスを深く刺突するッ!
「ゴワアァァッ!?」
その一撃は筋肉を突き破って腹膜にまで達した。常人でも確実に戦闘不能になる重傷。
異形の者は膝を折って腹部を押さえ、激しく失血しながら崩れ落ちた。
「いい加減にしろ! 俺は人殺しは好まん! これ以上続けると本当にころ……」
かつて加えたこともないような深手を与えて、怒りを露わにする勇輔だった、が。
「ニ……ゲテ……」
「……何?」
「ノウ……リョク……ノ……セイギョ……ガ……デキ……ナ……」
ぶるぶると身体を震わせる、美由紀だった生物。
辛うじて理性が残されていたが、それが消えようとしている。もはや後戻りはできない。
「ダ……メ……」
彼女は東北の農村の生まれで、生来から村人に『祟り』として迫害された。
理由は体の『鬼化』であり、興奮したり攻撃を受けると、その症状はさらに悪化した。
美由紀は創覇大学の研究室に流れ着き、ある細胞が原因で肉体が変性することを突き止める。
ON細胞と名づけたそれをマウスに投与すると、実験体は外部からの刺激や思念力で身体的変性を起こすようになり、研究の末、数段階の変化が起こることを確認した。
頭部から骨が伸長して角が生え、爪や牙の伸長が確認できるのがON─1と呼ばれる形態。
ON─2では腕と脚の異常な膨張、そして爪牙のさらなる肥大化が認められる。
ON─3では全身の筋肉が異常膨張する。そしてON─4ではッ!
「ギャアアアアアアアアアアアアアシャアアアアアアッッッッッ!!」
バギバギバギバギメギメギメギメギィッと凄まじい異音を身体から響かせ、化け物は多段に膨れた筋肉と赤褐色に色づいた皮膚を獲得し、傷ついた脇腹を修復ッ!
爪は八段に分かれて角は三本になり、牙は数十センチに達し、人間の特徴であった二足歩行すら捨て去って四足歩行の獣と化したッ!!
「なっ……」
勇輔は人型であることすら捨てたそれを見て絶句した。だが絶句する余裕すら無かった。
生物なのかすら怪しい獣は勇輔に体当たりし、巨体ごと地面に叩き込んで胸部を圧迫ッ!
「がっ……は……っ!!」
勇輔はあまりの衝撃で肺を圧縮され、激しく吐血した。
だが血を口から噴いて獣の目を潰し、ひるんだ隙にどうにか脱出、背を向けて逃走を始めた。
(だめだ、強すぎる……! 何か道具をッ!)
息を荒らげて逃げ回り、武器の調達に走る。ほどなくして赤いプレートが目に入った。
白く丸い文字で『消火器』と書かれていた。勇輔はすぐに手に取った。
「これだ……!」
理性のない猛き魔獣が勇輔を噛み殺さんとばかりに追ってくる。
安全ピンを抜き、ボトルを握り、噴射口を獣に向け、思念力を込めてトリガーを引くッ!
「ガ……ッ!? ギョアアアアアアッ!! ガバッ!? ガバアアアアアッ!?」
消火剤の凄まじい白爆煙が獣を覆う。呼吸器に煙が入り、獣は腹を上に向けて絶倒する。
人外の魔獣と言えども、呼吸なしには活動に必要な酸素を得られず、戦闘不能となる。
「はぁ……はぁ……今だ。もう殺すしかない……!」
勇輔は肩で息をしながら消火器のタンクに思念力を込める。獣の頭を潰す、と決めた。
倒れている獣の禍々しい頭蓋に鉄塊を叩き込む。何度も何度も。激しく噴き上がる血しぶき。
だが、数回殴ったところで、獣は右腕でタンクを掴み、攻撃を阻止してしまう。
「……!? くそ、気がついたの……か……?」
勇輔はその時、鬼塚美由紀という女性の、本当の恐怖を知ったッ。
「……ギギ……ギ……」
獣はメキッゴキッバギッゴギッッとさらに異音を立て、体を異常に膨張させて立ち上がる。
否、もう獣ではない。バケモノは再び二足歩行へと転じた。
その醜悪で恐怖の権化たる容貌を見て、勇輔は……学生寮に帰りたくなった。
「お……に……?」
ON─5。ON細胞が死の淵に追い詰められた際に発生する最後の変性形態。
二歩歩行に戻り、いかなる傷をも修復し、鋼の肉体で攻撃を無効化する。
骨格から変性を来たし、肉体は元の生物の数十倍の体積に膨れ上がる。
生存に呼吸や酸素は必要なく、どんな環境でも生きられる生物へと進化。即ち、無敵ッ!
「嘘……だろ……?」
欠点のない完全なる究極生物。それが『鬼』だったッッ!!
蟻の這い出る隙間もないほど道を塞ぐ、圧倒的な巨鬼を見て、勇輔は絶句。
「そんな……こんな奴、こんな化物、一体どうしろ……と……」
こんな状況にも関わらず勇輔は考える。『桃太郎』は、どうやって『鬼』を退治したのか?
千切れてボロ切れとなった美由紀の服が、伝説の鬼の衣のようにも見える。
もはや決闘ではないと思った。ここからは恐らく、ただの虐殺にしかならないと悟った。
「く、来るな……」
普段、冷静沈着で感情を表に出さない勇輔が、子供のように恐怖に震える。
「ギ……ギッ、ギギ……」
鬼はすぐに襲い掛からず、一歩ずつ勇輔に歩を進める。なぶり殺すという意思表示のように。
歩くだけで床に大きなヒビを入れていく凶鬼。廊下の行き止まりに勇輔を追い詰める。
そして付近にあった、鉄製の大きなロッカーを無造作に掴む。鬼が金棒を手にするように。
「や、やめ……。ぐわあああっ!!」
巨鬼はロッカーを大振りして、その凄まじい豪力で、全力で勇輔を殴りつけたッ。
思念力でガードし、辛うじて死は免れたが……『鬼』の力はあまりにも圧倒的すぎた。
壁に叩きつけられて意識を半分失い、頭から流血して抵抗する力を失う。
(負け……か……。この……女、いやバケモノ……強いんだ……な……)
鬼は鋭い爪を擁する巨腕で、ぐったりした勇輔を掴み上げる。
大きく口を開けて、捕食するとばかりに牙から唾液を垂れ流す。
「エ……サ……」
本当に食べるつもりだった。鬼にとって人間とは『餌』でしかない。
「いい……ぜ……。食えよ……。俺は旨いぞ……」
勇輔はニィッと笑って、死ぬときくらいはと皮肉を言う。
「グ……ァ……!?」
だが、鬼は腕から勇輔を落とす。そして自らの胸を押さえて断末魔。
「ギャ……ギシャアアアアアアアアアアアッ!? グワアアアアアーッ!!」
勇輔は目を丸くした。何が起こったのかと口を半開きにして呆然。
鬼は自ら苦痛に顔を歪め、巨体を地に倒し、悲鳴とともにビクッビクッと全身を痙攣させて、身体を急速にしぼませる。そして元の姿、細身で美しい美由紀の姿に戻った。
ON─5の末路。生物の限界を超えた変性の結果、身体が負担に耐えられず、百パーセントの確率で衰弱死する……。
「これ……は?」
あっけない結末に驚く。鬼は自ら滅んだ。
勇輔は傷ついた身体を引きずって、ふらりと美由紀に駆け寄る。
ぼろ布がわずかに残るだけの裸体は、ON細胞が作り出す異常な毛細血管に半身を冒されていた。刺青のように見えたのはそれだった。
「は……っ……は……うっ……。う……っ……」
小さく消え去りそうな息をして、美由紀は最期の時を迎えつつある。
心機能が極度に低下し、脈拍は落ちて体温が低下。身体が氷のように冷たくなっていく……。
「……こうなることが分かっていて、俺を倒そうとした……のか?」
勇輔は美由紀の細腕を手に取る。脈がほとんどない。指を握る力もない。これでは死ぬ。
「さ……だめよ……。おに……は……いつ……か……しぬの……」
「お前は……。自分の病的な身体に振り回されたのか……?」
わずかに残る服の切れ端から、勇輔は死に行く彼女の記憶、そして境遇を感じとる。
おびただしい数のマウス実験を経て、美由紀はいくつかの結論に達した。
ある段階から死ぬまで元に戻れなくなること。ON細胞は子にも全て遺伝されること……。
「俺は触った物体の記憶を知ることができる。だから言うが、お前は秀政に利用されただけだ。鬼の病の治療法を見つける、という甘言に乗せられてな……」
「そ……う……よ……」
美由紀は虚ろな瞳で勇輔を見つめる。
自らの鬼の能力を封印して、普通の幸せな女性として暮らすことが彼女の望みだった。
しかし、理性で鬼化を抑制しても、生まれゆく子供が鬼となることは避けられない。
それは女性としての美由紀を完全に否定する事実だった。
「り……よう……されて……もいいの……。おん……が…えし……がした……かっ……た……」
研究室で絶望する日々。そんな美由紀を支えたのは秀政だった。
ON細胞の研究資金を供出して、美由紀の鬼の力を隅々まで研究させた。
大学を我が物にした暁には、必ずお前を救ってやる、とまで約束した。
それは嘘にも聞こえたが、言葉だけで十分だった。命を賭けて戦うと決心していた。
「くだらんな。ただの自殺じゃないか。子供が鬼になるから何だと言うんだ? 鬼にならないようにきちんと教育すればいいだけの話じゃないか。死ぬ必要なんてない……」
勇輔が合理的に述べると、美由紀は最後の力で、少しだけ笑む。
「やさし……い……のね……。こ……んな……わた……し……に…………」
美由紀の心臓が、鼓動を停止する。するりと落ちる細腕。
「……」
勇輔は最期を看取って静かに押し黙った。鬼塚美由紀、享年十九歳。
「哀れな女だ。覚えたくもない能力のせいで、人生が破滅したのだな……」
そう言って勇輔は、美由紀の冷たくなった胸に掌を押し当てる。
人に思念力を込めたことはなかったが、彼はできると確信していた。
思念力を込めて停止した心臓に干渉して、無理やりに鼓動させる指令を送る。
「うっ!? がは……っ! はぁ……はぁっ……!」
勇輔は自らの能力を用いて美由紀を蘇生させた。呼吸を取り戻して、苦しそうに喘ぐ美由紀。
さらに思念力を込めて鬼化によって失われた体力を補助してやり、容態は概ね安定した。
「はぁ、はぁ……ううっ……」
「……ふう、手のかかる女だ。俺には余裕がないのだぞ……」
傷だらけの体ですくりと立ち上がり、勇輔はその場を後にした。