序章 ある思念能力者の過去
武田勇輔の過去。自らの能力を悪戯に用いた結果、彼は…
【序章 ある思念能力者の過去】
魔法や超能力といった存在は、古くから人類に信じられてきた。
それらは古来から口伝や文献、あるいは宗教や伝説という形で世に残され、存在しないはずの異能力に憧れる人類の、妄想の権化と考えられている。
ところが、それらは空想では無かった。
「おかーさーん!」
夕日がほのかに差し込む裕福な邸宅。
武田家に生まれた勇輔は、六歳の無邪気な笑顔で母親の元へ駆けていく。
「ゆうちゃん! ああもう、靴下が半分脱げてるじゃない!」
眼鏡をかけ、厳しく口元を結んだ勇輔の母親が言う。
「来月から私立の名門小学校に通うんだから、ちゃんと履きなさい。ゆうちゃんは本を読んでみんな覚えられるんだから、しつけもちゃんとできるよね?」
「うん!」
勇輔は笑顔で応じて、幼児には難しい靴下をしっかり履き直してみせた。
「そう、ちゃんとできたわね。いい子だからお部屋で本を読みなさい」
そう言って母親は、息子を完璧に整理整頓された自室に戻す。
勇輔はおもちゃの一つもない部屋で、大量の辞書や教科書に囲まれて暮らしていた。
「ふわー。もうこのほんあきちゃった……」
勇輔はいつものように物理の専門書を手に取る。すると、本を持つ手が青白い光に包まれる。
数多の知識と公式と記号の羅列が、全て正確に脳髄に刷り込まれる。
「あいんしゅたいんのとくしゅそうたいせいりろん……」
とても幼児には理解できるはずのない、非常に困難な学問。
だが彼は、本を手に取るだけで、その内容の全てを知ることができる。
これが勇輔の『思念力』。その一つの形だった。
「おもしろくないや。おみずであそぼーっと」
特殊相対性理論に飽きて、母親が用意した水入りのコップを手に取る勇輔。
再び青白い光が手から放たれて、コップの水に吸い込まれた。
「きゃっきゃっ!」
勇輔はコップから水を取り出す。手のひらに真球状に固められた水が形成される。
それが面白くて、満面の笑みを浮かべる勇輔。彼はおもちゃを手に入れた。
「ぼーるだ! ぼーるだ!」
思念力とは、人間が持っているイメージの力である。
いわば超能力であり、例えば勇輔は物体に思念力を通して、その物を操作したり、書かれている内容や残された記憶を知ることができる。
「ぽんぽーん!」
ゴムまりのように弾性を与えた水を、ボールのようにお手玉して遊ぶ勇輔。
そうやってしばらく遊んでいると、ドアの外から母親の声が聞こえた。
「ゆうちゃん、ごはんができたわよ。こっちへ来なさい」
「はーい!」
勇輔は水球を綺麗にコップに戻し、思念力を解いて元の液体に戻す。
この『物体操作能力』を持っていることは、親にも知られていない、彼の秘密だった。
「ちょっと洗濯してくるから、ゆうちゃんはいい子で夕ご飯を食べててね」
勇輔が食卓に来ると、母親はそう言って脱衣場に入っていく。
もくもくとご飯を食べるのだが、いかんせん料理が下手な母で、美味しくない。
(まいにち、べんきょうばかりでつまんないなあ。……そうだ!)
勇輔は悪戯を思いついた。台所に走り、ガス台に手を添えて思念力を込める。
(だいどころさん、おっきくもえてね!)
炎が強く出るイメージをガス台に込めた。母を驚かせる、それだけのために。
勇輔はドキドキワクワクしながら席に戻り、母親が戻るのを待つ。
「ゆうちゃん、ちゃんといい子にしてた?」
二十分ほどして、洗濯を終えた母親が戻ってくる。
「うん、ちゃんとまってたよ」
「そう、偉い子ね。ゆうちゃんはきっと世界で一番頭のいい子なのよ」
教育ママの母が、誇らしげに親バカな台詞を言う。
勇輔は神童と言われていた。将来は東大や京大、ハーバードやケンブリッジに行くだろう、と周囲からおだてられていて、母親はそのことが誇りだった。
「おかーさんのぶんのごはんは?」
「ちゃんと食べるわよ」
そう言って、台所にハンバーグを取りに行く母親。
少し冷めていたので、温め直そうとガス台のスイッチを回す。
その時、悲劇は起こった。
思念力を込められたガスは、着火した瞬間に化学的燃焼反応が通常の数百倍に達し、台所を大爆発で吹き飛ばした。そして瞬く間に火災が広がった。
「……え? うわーーっ!!」
勇輔は爆風で吹き飛ばされたが、爆心が遠く離れていたため軽傷で済んだ。
だが、起き上がった勇輔の眼前には、おぞましい光景が広がっていた。
「お……か……おかあさ……」
母親はガス爆発を至近距離で受け、全身が砕け散って即死した。
ごろりと転がる半砕された母親の首。それだけが勇輔の眼前にあった。
事態はさらに深刻だった。思念力を得て猛威と化した台所の火災は、轟々と燃えて立ち昇り、天井を経て壁面を覆い、一瞬にして居間を火に包む。
灼熱に燃え盛る炎。押し迫る黒煙。失われる視界。
「う……わ……! うわああああああっ!!」
勇輔は、母を殺したことを悟った。どうにか逃げようと炎と煙の中を夢中で走った。
黒煙を吸って咳き込みながら、自宅から辛うじて脱出する勇輔。
だが、他の家族は家に残されていた。誰も家から出てこない。
「ううっ……げほっ、げほっ……!」
「どうした!? 火事か!?」
近隣の住民が大挙して駆けつける。そして大惨事を目の当たりにする。
「おかあさんが、おとうさんが……いもうと……じいちゃん、ばあちゃんがっ!!」
勇輔は泣き叫びながら助けを求める。体が震えて罪悪感が押し寄せる。
「分かった、すぐに消防を……」
近所のおじさんがそう言った瞬間、さらに爆発的に火災が増悪し、勇輔の家は凄まじい大火に包まれ、ほどなくして柱ごと全て倒壊した。
「う……わあああああああああッ!!」
勇輔の家族は全員死んだ。
その現実に耐えられず、彼は隣人の手を振り切り、どこか遠くへと走り去っていった……。