4. 帰れぬ現実
巨大な本棚に圧倒されながらも、頭痛が和らいできた頭で詠太は現状を整理する。
「まいったなぁ」
この世界には魔法が存在したのだろうか。その可能性はゼロでは無い。
ふと、本棚に視線を向けると、大量の魔法書や雑多な本に混じって歴史書があった。
「僕が知らなかっただけで、魔法は実在した可能性は確かにある。でも……」
パラパラとページをめくって気づく。戦争の中で魔法が使われていたことが書かれている。しかも、銃が使われるような時代でだ。
近現代の戦争で魔法が使われていたとしたら、普通に考えれば教科書ぐらいには載るはずだ。そうでなくても、噂ぐらいはあるはずだ。しかし、そんなことは無かった。
「僕がいた世界とは、別の世界に来たと考えるのが妥当か。もしくは、僕の記憶が改竄されたか」
記憶の改竄があったとしたら恐ろしいけど、やりたい事に変わりない。僕は家、家族のもとに帰りたいだけだ。
仮にここが異世界ならば、僕がこの状況を一人で切り抜けて元の世界に戻るのは絶望的だ。現状、召喚者である法月美和にお願いして元の世界に帰してもらうしか方法が無い。
色々疑問はあるが、大人しく法月美和のお世話になることにした。自分より年下にしか見えないけど……
気を取り直して、ドアをノックして調子が良くなってきたことを伝える。
――コンコン
美和が扉を開けて、僕の様子を伺う。
「もう大丈夫? それじゃあ、こっちの部屋に来てくれないかな」
美和は手招きして、リビングルームに僕を導く。
招かれるままにソファーに座ると、クッションが腰を柔らかく包み込む。
大きな窓からは燦々(さんさん)と太陽の光が差し込み、ちょうどソファーを照らしていて、温かく心地よい。
美和が隣りに座って、地図を机の上に広げる。
「そういえば、私の名前は話したけど、君の名前は聞いていなかったわね」
「確かに。名前は理崎詠太だよ。よろしくね、美和さん」
「よろしくね、詠太」
いきなり名前を呼び捨てで呼ばれて、ちょっと気恥ずかしくなる。
「さてと、もう一度聞くけど、やっぱり私と一緒に暮らしてくれない?」
「僕にも、両親がいるし、まだまだ勉強したいことが沢山あるから」
「そっか~ そう簡単に都合がよい人を召喚出来るわけじゃないよね」
少し肩をすくめるが、表情が暗いわけではない。僕を帰すことに抵抗を感じているわけでは無さそうだ。
「召喚魔法は今回が始めてだったの?」
「そうだよ。この手の魔法は結構運要素があるからね。あわよくば私と一緒に暮らしたいって人を召喚できたらって思ってたんだ」
「それなら、最初からそういう意思を持っている人を召喚できないの?」
「やったことないから分からないけど、難しいと思うわよ。今回の『相性が良さそうな』という条件だけでも、魔力量的にはギリギリだったら。多分、イケメンとか外面的で分かりやすい条件ですら、指定していたら召喚に失敗していたと思う」
「召喚失敗ってもしかして、体の一部が召喚されたりって事は無いよね?」
ゲームや小説の中での転移が関わる魔法は、失敗すると体がバラバラになったり、出現場所が不定になったりする。そんな召喚魔法を、まさか不特定多数の人に使っているわけでは……
「流石にそれは無いわよ。失敗したらなにも起こらないだけ。ただ、術者は倒れたりするけどね」
どうやら、杞憂だったらしい。流石に大きな事故は起こらないようだ。術者が倒れるというのはありがちだし。
「それなら、良かった。それで、どうやって僕を家まで連れて行ってくれるの?」
「簡単よ。私がお金を出してあげるから、公共交通機関とか色々使えば問題なく帰れるでしょ? 私も付き添うし、魔法を使ってもいいわ」
「もし他の世界に行く必要があっても魔法なら大丈夫?」
「他の世界? そんなお伽話みたいな事、流石に魔法でも出来ないわよ。魔法使いもそこまで――」
「え!? ちょっとまって! 他の世界に行けないの?」
落ち着け、落ち着け。どうやら、魔法でも世界を超えられないということだ。しかし、状況的に見てここが異世界の可能性が高い。召喚魔法で何か普通じゃなことが起こっていたのだろうか。
僕の様子から冗談ではないと判断したのだろうか。しかし美和さんは、事情が飲み込めず、怪訝な顔を浮かべる。
「ここって僕からしたら異世界かもしれないんだ」
「…………どうして、そう思うの?」
慎重に確かめるかのように、美和さんは僕に尋ねる。
荒ぶる気持ちを抑えるために、深呼吸をする。大丈夫だ、まだ決まったわけじゃない。
僕はゆっくりと口を開き、自分の世界のことを告げる。
「僕の世界では、魔法は実在しないんだ。概念として存在はするけど、実在はしない。空想、フィクションでしかないんだ」
「だから、魔法が実在している私達の世界は、異世界という訳ね。でも、あなたが今まで存在を知らなかっただけかもしれない。それほど魔法使いや魔術師が多く存在するわけではないわ」
「確かに、そうかもしれません。でも、僕達の世界では近現代に魔法の存在は社会的にも認められていません。しかし、この世界では認められているように感じます。勝手にで申し訳ないのですが、歴史書を読ませてもらったので……」
「愚問だったわね、確かに私達の世界ではほとんどの人が魔法の存在を認めているわ。でも、あなたの住んでいた家を確認してから結論づけても遅くはないわ」
そして、僕が実家の住所を教え、二人で地図を見て確信する。
実家があったはずの場所はただの畑になっていた。近くに家はあるが、恐らく僕の両親が住んでいるということは無いだろう。いや、仮に住んでいたとしたら、僕は二人存在する可能性が高い。その場合は、混乱を避けるためにも訪れない方が良いだろう。そこは、もう僕が望んでいた場所ではない。
気づけば口がカラカラになっていた。手足は汗でぐっしょりと濡れている。
でも、もし送還魔法みたいなものがあったら帰れるかもしれない。
息をゆっくり吐き出してから、縋るように尋ねる。
「美和さん。僕は帰れるんですか?」
「……ごめんなさい。無理だと思う」
「……そう、ですか」
体の力が一気に抜けたような気がした。
「今まで私達は異世界という物を観測したことは無いし、勿論その手段もないわ。転移魔法はあるけど、術者がはっきり場所を把握する方法がなければ、その場所に転移できないの」
美和さんが、理由を説明してくれたけど殆ど耳に入ってこなかった。そんな気はしていた、帰れないのではないかと。でも、それが事実として胸に突き刺さって、心に染み渡ると同時に今まで堪えてきた涙が溢れてきた。
帰れない、これから親孝行しようと思っていたのにそれが果たせない。もう二度と会うことは出来ない。悔しさと悲しさと、後悔が渦巻き自分でも何で泣いているのかわからなくなる。それでも涙は止まらず、顎を伝いソファーを濡らす。
「ごめんなさい……」
僕の背中を優しくさする手。でも、その手も震えていた。
「ごめんなさい……」
美和さんの懺悔の声、嗚咽。
「美和さんは悪くないんです……事故だったんです……」
そう、美和さんは悪くなかった。そもそも、魔法は世界を超えられるものではなかった。でも、美和さんは原因を作ったことを懺悔する。そんな理不尽に、怒り、やるせなさを感じまた涙が溢れる。
空は赤らみ、窓から差し込むオレンジ色の光線は、悲しみに暮れる二人を影の世界に映し出していた。