26. 危険な戦い
ちょっとグロ要素あります。ご注意ください。
「私の魔法で暫くは大丈夫だから、魔獣を確認して!」
「了解、美和さん」
直後に激しく家が揺れ、窓ガラスが割れる音が響く。とっさの事だったからか、壁は魔法で強化されているが窓ガラスは強化されない様だ。
僕は二酸化ケイ素の結晶構造を保持するイメージを以て窓ガラスの強化を行う。もっとも純粋な科学魔法使いがである僕がこのようなアバウトな方法で窓ガラスを本来引き出せる最高強度まで強化する事など不可能だ。それでもガラスの脆性から来る、あの独特の嫌な音は鳴りを潜めた。
破損の危険が無くなった窓ガラス越しに外の様子を窺う。狼が繰り返し壁に向かって体当たりして、突破を図ろうとしている。
「狼が一匹、壁に向かって体当たりしてきている。あの大きさでこの衝撃だと確実に魔獣だと思う」
「分かったわ。排除を試みて」
「加熱・加圧魔法でやってみる」
僕は狼の姿を捉えながら、大量の空気を断熱容器で包み込み急速に圧縮するイメージをする。一瞬、魔法の兆候が狼の周りに現れるがすぐに霧散してしまう。
『あれは結界を使っているみたいだね』
唐突にシルフの声が頭に響く。
『対策は?』
『結界範囲はそれほど広くないから、基点を結界の外に置いての攻撃が有効じゃないかな』
「美和さん、狼は結界を使っているみたいだ。他の魔法も試してみるけどどれぐらい持ちそう?」
「私は問題ないわ。家の他の部分にも強化を施している最中よ」
「分かった。別魔法での攻撃、開始するよ」
本来一つの壁を強化するだけでもかなり大変なのだが、美和さんはそれを家全体に対して行っている。これ以上の負担を掛けないためにも、素早く魔獣を排除しなければならない。
魔獣の真横の離れた地点で、空気中の分子が目には見えない断熱容器で包み込まれ一瞬で圧縮される。球状に圧縮された空気は光を放ち、狼が異変に気づいてそちらを見る。その間にも断熱容器の半球部が棒状に伸びて、その矛先は狼に向けられる。断熱容器はプラズマ化した気体を弾丸として打ち出さんとするプラズマ砲、いや荷電粒子砲と化していた。
刹那、荷電粒子砲の砲口先端部が消失し、行き先を得た大量の荷電粒子が一斉に狼に牙を剥く。粒子群は光速と殆ど変わらぬ速度で進み、それを後押しするかのように光速に迫る勢いで断熱容器が潰れて行く。
大量の荷電粒子と衝突し、通常ではあり得ないようなエネルギーを与えられた空気中の分子は即座に電離、プラズマと化し荷電粒子砲の光跡となる。
エネルギーを失う事なく狼に達する事が出来た荷電粒子は嬉々と狼の表皮を焼き、そのエネルギーを余す事無く破壊に使う。
狼の毛皮は完全に消失し、皮下組織も焼き爛れ、所々筋肉や骨が露出していた。射線の周囲には強烈なオゾン臭が立ちこめ、僅かにタンパク質が焦げた臭いもある。
殆ど全身を瞬時に焼かれた狼は力なく崩れ落ちる。苦悶の叫びが微かに響くが、すぐにその声もなくなる。
僕はその様子をすべて目の当たりにし、そして嘔吐した。膝を屈し肩を激しく上下させる。狼が焼かれ倒れるまでが脳内にフラッシュバックする。
ここまでするつもりは無かったのだ。空気を圧縮してそれを押し出して、軽いダメージを与えるぐらいのつもりだった。だが、この魔法は初めてだったし、とっさの事だったから事前のシミュレートも十分でなかった。だから操作をどのぐらいの速度でやるのかを考えていなかったし、どれほどのエネルギーを圧縮空気に加えるのかも抜け落ちていた。結果、過大なエネルギーを与え、空気砲が荷電粒子砲となって想定以上の攻撃となってしまった。
美和さんが、僕の様子を見咎め近づいてくる。
「詠太君、大丈夫?」
僕は小さく首を横に振る。暫く何も考えたくなかったし、出来る気もしなかった。
「狼は倒したよ……ごめん、ちょっと一人にさせて」
頭にもたげる不安と恐怖と、罪悪感を必死に押さえ込もうとする。
あの魔獣を殺した事は大した問題では無い。多少苦しめる結果になってしまったが、言ってしまえばただそれだけだ。
だけど僕は、自分の手の中にある力の大きさと危険さ、それを全く認識していなかった。僕は異世界で魔法を得て、その利便性と己の才能に喜んでいた。だが、実際の手続き構築魔法は術者がその使用方法を誤ればとんでもない災いを引き起こす、そうパンドラの箱だったのだ。
僕はそんな事に気づかないまま、力を使っていたのだ。僕にこの力を振るう資格なんてあるのだろうか。
壁に手をつきながら、重い足を動かして寝室へと向かう。
「詠太君……」
詠太を気に掛ける声だけがキッチンに静かに響いた。
詠太君が必要以上に空気にエネルギーを与えてしまいました。
というか、詠太君よくこんなにエネルギーを使って大丈夫でしたね。
仮に 10 GeV (だいたい1966年の加速器で出せるとされるエネルギーです)まで加速した荷電粒子が 1 アボガドロ数 あったとすると、 9.635*10^14 J ものエネルギーなので、広島に投下されたリトルボーイの15倍と同等の威力がある事になります。
もっとも、今回はそこまでエネルギーを与えていない&たくさん粒子を使っていませんが……
荷電粒子砲って実現するの大変そうですね。