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20. 何をする?

 自宅に帰ってから、暫く経ったある日のこと。

 一時期仕事に就こうと粋がっていた僕だったが、大切なことを失念していた。僕は異世界から突然来た関係で、この世界の日本に戸籍や住民票を持っていないのだ。戸籍がなければ住民票も作れない(少なくともすぐ近くの役所ではそう言われた)し、アパートを借りることも出来ない。会社にも住民票を提出する必要があるから普通の就職も難しい。僕は完全に不貞腐れて美和さんの家でニート的な生活をしていた。と言っても生活のために必要なこと――料理、洗濯、買い物等――は僕が担当しているので、ニートといえるのかはよく分からない。むしろ主夫と言ったところか。

 美和さんは魔法学会――日本で一番権威がある魔法関係の学会と言われている――から貰っている仕事をこなして稼いでいるらしい。学会が実験に必要な人材などを斡旋してくれるそうなのだ。美和さんはかなり魔力が大きいと見做されているので、仕事も沢山あるとのこと。曰く、結構良い額が貰えるらしい。

 だいぶ寒くなり紅葉し始めた木々を横目に眺めながら、寝室の椅子に座りながら僕は物理の勉強をしている。日はまだ高く、窓から入ってくる光がちょうどよく机を照らしていた。


「詠太くん、今日は物理の勉強?」


 そう言うと、僕の隣に椅子を引っ張ってきて座る美和さん。


「そうだけど、美和さんも作業するには、この机じゃ狭いんじゃないかな?」

「気にしなくていいの! 私は見ているだけだから」

「それならいいんだけどね」


 美和さんは微笑みながら、僕が本を読んだり計算する様子を眺めていた。果たして美和さんはこんなことをしていて楽しいのだろうか?


「美和さん、勉強している僕を見てるだけじゃ退屈じゃない?」


 どうしても気になって僕は手を止めて美和さんに尋ねてしまう。


「どうかしら。私も久しぶりに日中に家に居たから、詠太くんの様子が気になってね。別に私のことは気にしなくていいわよ。飽きたら勝手にどこか行くと思うから」


 美和さんはここ数日、研究の協力のために出張していたのだ。相も変わらず実験場はかなりの田舎にあるらしい。街の近くには結界があって、まともに実験ができないという問題があるからだろう。


「了解」


 僕は続きの計算をするために、罫線が入っていないシンプルな計算用紙に目を落として答える。今は量子力学の波動関数をゴリゴリと計算している。そこそこ式が長く、工夫をしないと直ぐに文字だらけで何をしているのか分からなくなってしまう。

 僕は計算したり、本を読んだりといったことを暫く続ける。本の理解もだいぶ進んできた。

 そんな折、突然美和さんがガタリと音を立てて勢い良く立ち上がる。


「すっかり忘れていたわ、詠太くん。貴方、まだ飛行魔法とそれに関連した論文を書いていなかったでしょ?」

「えっ? まぁ、そう言われればそうだね。僕もすっかり忘れてた」


 家に戻ってきてから、美和さんが一日中機嫌が悪かったのですっかり頭から抜けていた。


「そうすれば詠太くんも魔法学会に認知されて、もしかしたら仕事が来るようになるかもしれないじゃない!」

「えっ? ぽっと出の僕みたいな人にも学会が仕事をくれるの?」

「基本的に学会はそれなりに魔法に造詣が深く、かつ沢山魔力がある人に仕事をくれるのよ。そうじゃなくても、詠太くんは高い感応力があるから、それを使えばかなりの仕事が貰えるはずよ」


 聞けば、魔力が沢山あると大規模な実験にも参加できるので仕事が廻ってくる可能性が高いらしい。魔法の造詣が深い必要があるのは、実験の概要を理解するために必要だからだろう。一応、僕は美和さんに魔法使いとしての教養レベルの知識は教えてもらっている。それで足りるとは思わないが、実験前に勉強すれば十分ということらしい。さらに、特殊な実験では感応力の高い人が必須になることも多いらしいので、それも高ポイントになるのだそうだ。

 注意したいのは、普通の論文が掲載されただけで仕事が来るようになるわけではない。これは魔法学会特有の習慣だということだ。もっとも、どのジャーナルでも論文が掲載されるとその後に査読のお願いが来ることもあるらしい。僕は論文を投稿したことがないから詳しいことは知らないけれども。


「それじゃあ、コネクションを持つという意味でも論文を書くのは悪くないかもしれないね」


 すっかり諦めていた仕事を掴むという目標が、現実的な物になってきた。


「と言っても、僕は論文なんて書いたことがないからなぁ……」

「まずは、過去の論文を見ると雰囲気が分かるわよ。AMM のジャーナル誌に掲載出来るのが一番いいんだけどね」

「AMMって?」

「Association for Modern Magic の略ね。日本語にすると現代魔法学会といったところかしら?」

「それが、世界でもっとも権威ある魔法関係の団体という事になるのかな?」

「そういうことね。でも、ここに論文を投稿しても仕事が来るわけじゃないのよ。ただ詠太くんの発見内容から言ったら AMM にも掲載される可能性が高いわ」

「名声をとるのか、仕事を取るかみたいな選択肢だね」

「もっともリジェクトされたらもう片方にも投稿することになると思うわ」


 そうすると、どちらの学会に最初に投稿してみるかという選択になるわけだ。


「それなら、僕は仕事を取って魔法学会の方で取り敢えず投稿してみるよ」

「じゃあ、私が参加していた実験に関係する論文で、しかも結構基礎的な内容が書いてある物が丁度あったから、幾つか置いて行くわね。英語だけど頑張って」


 そう言って、美和さんが大量に置いてある紙の山の中から無造作に紙束を何枚か取り出すと、僕の目の前に積んでいく。それらを全て合わせると僕の使っていた本の厚さは軽く超えていた。


「ほへ」


 その厚さに思わず僕は気の抜けた声を出してしまう。その間にも次々と紙束の厚さは増えていく。


「あとは、辞書とかはそこら辺にあるのを自由に使っていいし、分からないことがあったら私に聞いて頂戴」


 全ての紙を積み終えると、「私はコーヒーを飲んでるわね」と言いスタスタとリビングへ言ってしまう美和さん。僕は目の前にある、振り回すだけで人を撲殺出来そうな雰囲気を醸し出している紙束を見て頭を抱える。


「しょうがない、気合入れてやりますか」


 暫く惚けいていたが、意を決して紙束の一枚を手に取る詠太だった。

研究室のあるあるです。理系、工学系ならば似たり寄ったりな経験したことがある人もいるのでは?

文系の事情はよく分かりませんが、どうなんでしょうか。

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