2. 帰省と日常そして終焉
「ただいまー」
僕の声が、一軒家の中に響く。
大学の長期休暇ということで、久しぶりに実家に帰ってきたのだ。
空は茜色に染まり、家の周りの畑では穂波がさざめいている。晩夏の美しい夕焼けが、麦を美しく照らしだしていた。
「お帰り、詠太。連絡があったら、迎えに行ってやったのに」
顔をほころばせながら居間から出てくる親父。温厚で世話焼き、でも礼儀には厳しい。ちょっと古風だが、色々な人に好かれる尊敬できる父親だ。
「ただいま、親父。流石に迎えをお願いするのは、申し訳ないからね」
「かわいい息子の為なら、迎えなんて苦じゃないさ。むしろ頼って欲しいくらいだ」
そう言って、僕の背中をポンポンと叩く。
実家で一緒に過ごしていた時は、あんまり意識していなかったけど、一人暮らしをするようになって、今では親父がどれだけ僕のことを大切に思っているかが分かる。見えないところで手を焼いてくれていたのが、一人暮らしをするようになってよく分かるようになった。
だから、親父の好意を受け取って、
「ありがとう」
と素直に言うことが出来る。
「そういえば、母さんは今家に居ないの?」
「ああ、母ちゃんは夕飯のために買い物に出かけているところだ。直ぐに帰ってくると思う」
久しぶりに、母さんの手料理が食べられると思うと、居間に向かう足取りも軽くなる。
い草の良い香りが、実家に帰って来た事を実感させてくれる。
「そっか。何を作ってくれるんだろう」
母さんは元気ハツラツで、料理が趣味な元気ママというのがしっくりくる。周りへの気配りも出来て、落ち込んだ時にはさり気なく励ましてくれるし、文句を一言も漏らさずに、仕事と家事をこなしている。
「お前も、少しは母さんを手伝えよ」
「わかってるよ」
はにかみながら答える。もちろん、手伝うに決まってる。一人暮らしで、すべての家事を一人でこなすのは結構大変だということを知っている。
居間でお茶を淹れて、親父と大学の勉強はどうだとか、畑の様子はどうだとか他愛もない話を交わす。
「大学でも元気にしていたようで良かったよ」
「やっぱり、高校とは勝手が違うことが多いから苦労してることも多いけどね。楽しくやっているよ」
しばらく話していると、母さんが帰ってきたので、野菜の下ごしらえなどをして、晩御飯の準備を手伝う。
「ありがとう、詠太。手伝ってくれて」
「気にしないで。ほんの少し前まで、沢山迷惑かけてたんだから」
「迷惑なんて言わないで。親が子どもの面倒を見るのは当然よ。でも、自分から手伝ってくれるなんて……詠太も成長したのね」
今日のメインのおかずは、僕の好物の一つ、肉じゃがだ。両親と久しぶりに一緒に料理をして、テーブルを囲って家族と食事をとる。本当に他愛も無いことだけど、久しぶりの帰省だった僕にとっては最高の幸せだった。
将来的には良い仕事について、両親に楽をさせてあげたいなあと漠然に思う。この温かい空間を作り上げ、維持してくれた両親への感謝の気持ちを伝えるためにも。
お風呂からあがって、部屋に戻るとゴロンとベッドに横になる。天井に貼り付けられた白い壁紙を眺めながら、今日一日を振り返る。
朝早く起きて、新幹線や電車、バスを乗り継ぎながら帰ってきた実家は、何も変わっていなかった。
田畑が広がるのどかな風景の中に、ポツポツと見える家。温かく迎えてくれた両親。畳の香り、母さんの肉じゃが。
都会のスピード感では考えられない。本当に何も変わっていない。
でも、これが自分の居場所なんだと強く信じることが出来る。変わらない故の安心感。それがここにはあった。
そこで、はたと気づく。壁紙の色がうっすらと紫がかっていることに。
一体なんだろうと思った矢先、天井が鮮やかな紫に染まる。
いきなり色づいた天井に驚き、体を咄嗟に起こし周りを見やると、自分を中心に円と多角形とミミズのような文字で構成された、紫色の魔法陣が浮かび上がっていた。
「えっ……」
突然の異変に、意味のない音しか発する事が出来ない。
窓から吹き込む冷たい風が背中を撫でる。
瞬きをする合間にも、魔法陣の発する紫色の光はより強烈になっていく。
あまりの眩しさに、目の前が真っ白になったように感じた。
――ああ、もしかして死んじゃうのかな
という漠然とした考えが、連続した記憶の最後だった。