エレファント形恐怖にお悩み
次回の診療日を予約してから、小林一郎は高井戸クリニックを後にした。
自宅に帰るためにバスに乗った。窓から外の景色を眺めながら、次作の小説について考え始めた。タイトルは「地下室のボク」と決まっている。早く書き始めたいのだが、自伝的な私小説にするか、完全なフィクションにするかで迷っている。
慶応大学に進学したものの、周囲の環境に馴染めぬ上に、父親の死去をきっかけにして精神的に不安定になった大学生を主人公にしてみようか。
しばらくして女子高校生の集団が乗り込んできた。小林一郎が座っている席のすぐ近くに群れて、なにかしゃべり出した。
小林一郎は、ふと、ある作家、たしか車谷ナントカという作家が女子高校生を穢れたものとして忌み嫌っていたことを思い出した。すると、小林は女子高校生のほうを見てはいけない、という観念に取りつかれ、それが絶対のタブーであると信じ込んだ。
タブーと思えば思うほどに、女子高生の集団が気になる。手に汗がにじんでくる。女子高生のうちの一人が「見なよ、アイツ。意識してるみたいだよ。ブタみたいな顔してるくせに」と話しているのが小林一郎の耳に入る。
小林一郎は、自分の容姿を取り立てて可もなく不可もないレベルであると自覚している。女子高生が、かのような侮蔑的な言葉を発したのは、小林一郎の外見というよりは醸し出す雰囲気になにか不快を感じたためだろう。
小林は別に気になることもあった。高校時代にクラスメートの和泉というヤツが、小林の顔をまじまじと見て「おまえ、エレファントマンに似てるよな」といったことだ。小林は「エレファント・マン」を知らなかったので「ああ、そうかな」と流した。
あとで、ウィキで調べたら、先天性の畸形の男のことだった。小林は自己イメージと他者が抱く小林イメージに大きな溝があるのかもしれない、と思った。エレファントマンそっくりの顔の小林は、やはり屈折を抱えた10代を送るべきなのだという自己暗示にかかった。
「醜形恐怖」という言葉が浮かんだ。精神病理のことを書いた本に出ていた。小林一郎は、またひとつ詐病のネタを発見した。きょうから「醜形恐怖」を持病リストに加えよう。