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killer elite  作者: 石田徹男
イントロクイズ
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漆黒部屋

 小林一郎は早苗にねだられたプレゼントのレジを済ませた。


 浜崎あゆみは、まだ商品を物色している。「スタンド」が突っ立ったまま微動だにしないのが、なんとなく不気味だ。アダルトショップにいること自体が何かのプレイなのかもしれない。世間にはありとあらゆる変態的な性の嗜好がある。


 早苗にお土産を買い与えたことに満足し、小林一郎はドライブをきりあげ小菅の家に戻った。すでに小菅雅彦は仕事から帰ってきていて、美人のお姉さん・愛美も家にいた。


 小菅に家まで送ってもらうことになった。愛美から「また、遊びにきてね」といわれ、小林一郎は「はい」と返事をした。


 自宅に帰った小林一郎は、まず風呂に入った。外出から戻ったときの習慣だ。汚いもので体が穢れているので、風呂に入らねば気が済まない。火傷する寸前ぐらいの高温シャワーを「アチチチ」と叫びながら浴びる。快感。


 新しいスエットに着替え、地下室へ降りて行った。

 漆黒の闇だが、小林一郎はノブを迷うことなくつかみドアを開け、定位置であるソファに座った。


 さっきは漆黒の闇といったが、現代人はそうそうに出会えるしろものではない。ごくまれに夜中に停電があれば、体験できるかもしれない。どんな闇の中でも必ずわずかな光源があり、人の目はそれを敏感にとらえ「安堵」を得る。


 この地下室に光源はない。漆黒の闇の中では、見開いた眼の1センチ先にナイフがあっても気が付かない。


 実際、小林一郎は今、自分の手を鼻先にかざしてみているが、手の輪郭は一切見えない。目をつぶる。サイケデリックな幾何学模様がぐるぐる回り出す。


 眼を開けると漆黒。つぶるとサイコ。これはどんな仕組みなんだろう。網膜になんか関係があるのかな。小林は眼科医でもないし解剖学者でもないから結論など出るわけがない。


 きょうまでの出来事の一連の記憶を、目を開けたままなぞる。父の書斎で物思いにふけっているときに、小菅が迎えに来てくれて遊びに出掛け一泊し、早苗とドライブしたんだった、そういえば。早苗は小菅の従妹だったんだ、そういえば。夏休みで小菅の家に遊びに来ていたんだった、そういえば。早苗が一人で退屈だから、ドライブに連れ出してあげたんだ、そういえば。


 数秒経つと記憶に靄がかかり始める。


 小林は、なんとかして記憶を成り立たせるために「自分の部屋である地下室のイメージ描写」をしようと考えた。広さとか、置いてある調度品とか。やっぱり、あまり意味がないと思い直す。


 一階に上がると、夜ではなくて昼だった。親父もお袋も外出していて、家はがらんとしていた。


 小林は親父の書斎に入って、壁の本棚を物色した。500冊ほどの洋書が並んでいる。親父はしがないサラリーマンで、取るに足らないルーティーンをこなす毎日を送っている。洋書なんぞ読む必要は全くないのだから、純粋に趣味としての収集なんだろう。


 小林は、親父について考え出した。親父は小心なサラリーマンを絵に描いた人物だが、ときどきキレた。このまえはお袋が用意した夕食が乗ったダイニングテーブルを思い切りひっくり返した。

 

 派手なドメスティックバイオレンスには小林一郎も度肝を抜かれた。いろいろ理由を考えたが、煎じ詰めると、単に親父は腹が減っていて虫の居所が悪く、衝動的に行動したのだった。

 

 このドメスティック親父の最悪なところは、取り返しのつかないことをやってからメソメソ泣いたり、お袋に土下座をして許しを請うなど「悪人」としての徹底ぶりを欠いているところだ。どうせなら締めるところまでいけば、世間も「15分間の名声」を与えてくれるのに。


 結局のところ、親父はお袋にもなめられていた。どうやら離婚届に署名させられて、お袋の気が向いた時に親父はいつでも捨てられる運命だ。


小林一郎は親父の書斎にある安楽椅子に座り、書棚に並んだ本の背表紙を眺めた。本はいろいろな形とサイズがあるなどと、いまさら驚くにも値しない取りとめないことを思う。


 ひとつの本のタイトルが目に留まった。「The rings of saturn」-土星の環。作家の名前はW.G.Sebald。ゼーバルト、と読むのか。それともジーボルトか? 引っこ抜いてページをめくってみるが、何が書いてあるかさっぱりわからない。


 ところどころに、独特の雰囲気が漂う写真が載っている。寂しげな風景を写したものが多い。最近撮影されたものか、昔のものかが分からない。


 全く読めないので話にならない。小林一郎は元あった場所に戻す。


 1分後には小林一郎の脳内にはアダルトショップにいた「スタンド」と父が書いた「浜木綿」という日記帳のことしか残っていない。何で日記帳に「浜木綿」という名前がついているかは知らないが小林の頭にこびりついたのだからしょうがない。


 小林一郎は、記憶障害を患っている。症状は記憶のすべてではなく任意の部分が欠落するというものだ。


 記憶欠落にパターンはない。どれが小林一郎の脳に残り、どれが跡形もなく消えるかは科学では禁句の「神のみぞ知る」というしかない。


 家のどこかで電話が鳴った。これが携帯ならピカピカ光ったり、お好みの着信音が響いたりで大変にぎやかなのだが、残念ながらいまどき絶滅危惧種に指定されてもいいような黒電話。硬質な音だけが重厚な存在感で迫ってくる。じゃーん。ジリリーン、じりりーん


 電話を取ると中年の声。「高井戸・愛信クリニックの藤沢です。きのうが受診日の約束だったけど都合悪かったですか」「都合つくなら、今日来てください」


 「はーい、はい、今行きまーす」小林は小菅の訪問の時と寸分たがわぬ返事をした。。


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