きっついお告げ
神殿では、病気快癒や事業成功、大学合格を願う参拝者たちであふれていた。
もしかすると何人かは、文明の進歩や社会の平和、もしくは被災地復興などを祈っていたかもしれない。
小林は自分に文才が芽生えて、いい小説が書けるようになり、みんなに認められることをただひたすらに祈った。
芥川賞作家・平野啓一郎みたいに美しいデルモと結婚できる身分になれますようにと身もふたもない願い事をした。文才があれば、芥川賞が獲得できて美しい女と結婚できる、かもしれない。
平野とか阿部和重みたいに。
阿部の配偶者「川上未映子」をグーグルで検索して、そのルックスを矯めつがめつ眺める。いま「矯めつがめつ」と書いたが、その表現でよかったのかが気になり、小林一郎は、CASIOの電子辞書XD―LP9200で調べてみる。
8年ほど前に買ったツールだ。
「いろいろな向きから、よくよく見るさま」とある。
パソコン画面は平面だから、いろいろな角度から「川上未映子」は見れない。
だが、いっぱい並んでいる「川上未映子」の画像の中にいる川上は、いろいろなポーズや表情をしている。であるから、いろいろな向きから(撮影された「川上未映子」を)、よくよく(パソコン画面で)見るさま、と補助線を引いてやれば、言葉としては当たらずとも遠からずだ。
小林一郎は、もう「川上未映子」と書くのが嫌になってきた。
なぜかというと、川上はいいとして、みえこ、とひらがな入力した際に、一発で未映子と出てこないからだ。
未映子と表記するには、いちいち「未来」もしくは「未満」と打って来もしくは満を消し、続けて映子と入力しなければならないからだ。
もはや川上で十分だ。
画像を見ているうちに最初に立てた定義が怪しくなってくる。これは「美しい女」だろうか。小林は、美しい女の必要十分条件として、乳が大きいことを第一義に掲げている。川上はこの条件をある程度は満たしている。
ほかの点はどうか。容姿は偏差値的にいうと、上の下ぐらい。川上が書いた作品を一顧だにしたことがない小林は、川上をカメラ映りからのみ判断する。カメラ目線を決めた嫌味な才媛風と、悪意を持って描写することもできる。
小林が、なぜこんなどうでもいいことを書き連ねているかといえば、眠れないからだ。
心を病んでいいるのだ、小林は。
心を病む、というのは抽象的な表現だ。だれも心なんぞ見たことないだろう。社会生活に具体的な支障が出てはじめて「病んでいる」という称号が与えられる。
小林が心を病んでいるなどというのは、本当に「心を病んでいる」人たちに失礼だ。単に寝つきが悪い程度なのだが、完全主義者で心配性の小林は一応、心療内科「高井戸クリニック」へ行って受診したのだ、小林は。
おざなり、というかテンプレ式の問診で、不安神経症という病名をいただいた。だが、きょう高井戸クリニックに薬を取りに行くのを忘れて、まずいことに睡眠導入剤マイスリーを切らしてしまった。
それで眠れないのだ、小林は。大好物のマイスリーがないばっかりに。長い夜の鬱屈を、文才に恵まれた芥川賞作家にぶつけているのだ。
小林の文章の脈絡のなさ、論理の飛躍、こじつけ、独りよがり、エトセトラ。小林は明らかに自分が「病みつつある」という結論に達した。
小林は部屋から出て夜の街を彷徨ってみることにしようかな、と文学的なことを考え始めた。小林の部屋というのは地下室だ。親父が立てた瀟洒な一戸建ての物置用として、しつらえられた場所だ。
「光の家」神殿の参拝では、願い事をカミサマに向かって具体的に示す必要がある。
カミサマは実務的だ。事業成功を祈るなら事業計画書や損益表を提出しなければならないし、合格祈願ならば成績表、模試結果などが必要だ。
小林は芥川賞作家の栄誉を願っているのだから、書いた小説を提出してみた。
1時間ばかりすると、林真理子みたいな風貌の巫女が出てきてカミサマの具体的なお告げを小林に渡した。
のし袋に入った、お告げの文面は以下の通り。
―――正直、あらすじの時点で帰りたくなった。
なんとか読んでみたけど、これ他人は読んでも解らないと思う。
(中略)
セリフが薄くてキャラクターが生き生きしてないんで、会話文が単調になってる。
面白さを求めてるならもっとわかりやすいテーマがいるし、ホラーにするならエグさが欲しい。
小説にはなってるけど、いい小説ではない――――
小林はお告げが至極もっともだと思った。
身の程を弁えぬ芥川賞の夢より、もっと地に足を付けた荒唐無稽ファンタジーをコツコツ書くべきなのだ。
神殿での参拝を終えた小林一郎と小菅は1階に降りてきた。