拝啓、画面の向こうの君へ。
君の名前を、私は知らない。
本当の名前も。
顔も。
住んでいる場所も。
何歳なのかさえ。
たぶん、知らない。
それなのに。
あの頃の私にとって。
君は、誰よりも近くにいた。
*
最初の会話なんて、もう覚えていない。
たぶん。
『そのゲームやってる人いる?』
とか。
『フレンド募集』
とか。
そんな、本当にどうでもいい一言だったのだと思う。
そこから。
少しずつ会話が増えた。
『今日学校どうだった?』
『最悪』
『何があった』
『聞いてよ』
『どうぞ』
君は、いつも返事が短かった。
最初は、冷たい人なのかと思った。
けれど。
『今日、先生に怒られた』
『何した』
『何もしてない』
『絶対嘘』
『してないって!』
『怪しい』
そんなやり取りをしているうちに。
私は、君と話すのが当たり前になっていた。
学校から帰って。
スマホを開く。
通知が来ていれば嬉しくて。
来ていなければ。
少しだけ、残念だった。
『おはよ』
『早』
『まだ朝だからね』
『そういう意味じゃない』
『分かってる』
どうでもいい会話。
何の意味もない会話。
それなのに。
画面の向こうに君がいると思うだけで。
少しだけ。
世界が狭く感じた。
*
学校では。
誰にも言えないことがあった。
友達に言えば心配される。
家族に言えば怒られる。
だから。
誰にも言わなかった。
でも。
君には言えた。
『今日、ちょっと嫌なことあった』
送信。
数秒後。
『聞く』
それだけ。
たった二文字。
なのに。
なぜか、泣きそうになった。
『実はさ』
そこから。
私は、止まらなくなった。
今日あったこと。
嫌だったこと。
悔しかったこと。
誰にも言えなかったこと。
全部。
君は、何も言わずに聞いていた。
長い文章を送っても。
君は途中で消えなかった。
『そっか』
『うん』
『それは嫌だな』
『でしょ』
『うん』
それだけだった。
解決してくれるわけでもない。
特別な言葉をくれるわけでもない。
でも。
画面の向こうで。
誰かが私の言葉を読んでくれている。
それだけで。
私は、救われていた。
*
ある日。
君が言った。
『もし、いつか連絡取れなくなったらどうする』
『急になに』
『例えば』
『また探す』
『どうやって』
『分かんない』
『だよな』
『なんでそんなこと言うの?』
少し間があった。
そして。
『別に』
それだけ。
私は、それ以上聞かなかった。
聞く必要なんてないと思っていた。
明日も。
その次の日も。
きっと君はいる。
画面の向こうに。
当たり前のように。
*
けれど。
ある日。
君からの返信が来なくなった。
『ねぇ、聞いてよ』
送信。
既読はつかない。
まあ、忙しいのだろうと思った。
翌日。
『今日も学校疲れた』
送信。
既読はつかない。
一週間。
『大丈夫?』
一ヶ月。
『何かあった?』
三ヶ月。
『そろそろ返事してよ』
送信。
既読は。
つかない。
私は何度も画面を開いた。
君とのトーク画面。
最後のメッセージ。
『また明日』
君が送ってきた。
たった四文字。
それが。
君から届いた最後の言葉になった。
*
それから。
何年も経った。
スマホは何度も変わった。
学校も変わった。
友達も変わった。
昔ほど。
スマホばかり見ることもなくなった。
それでも。
君とのトーク画面だけは。
消せなかった。
理由は分からない。
もう返事なんて来ない。
君がどこにいるのかも分からない。
あのアカウントが。
まだ誰かに使われているのかさえ。
私は知らない。
それでも。
たまに。
本当にたまに。
私は、画面を開いた。
そして。
昔の会話を遡る。
『また先生に怒られた』
『何した』
『何もしてない』
『嘘』
『なんで信じてくれないの!?』
『怪しいから』
思わず笑ってしまう。
もう何年も前の会話なのに。
昨日のことみたいに。
君の言葉が残っていた。
*
ある夜。
私は、久しぶりに君とのトーク画面を開いた。
指が。
自然に文字を打ち始める。
送る相手なんて。
もういないかもしれないのに。
それでも。
私は書いた。
何度も消して。
書き直して。
そして。
最後に。
こう打った。
拝啓、画面の向こうの君へ。
元気ですか。
私は、少しだけ大人になりました。
君と話していた頃は。
毎日が長くて。
学校が世界の全部みたいで。
ちょっとしたことで泣いたり笑ったりしていました。
今思えば。
すごく狭い世界だったのかもしれません。
でも。
あの頃の私にとって。
画面の向こうにいた君は。
間違いなく。
一番近くにいた親友でした。
君の顔は知らない。
本当の名前も知らない。
声すら。
聞いたことがない。
それでも。
私が泣きそうだった夜。
私が嬉しかった日。
誰にも言えなかったことを抱えていた時。
いつも。
君は画面の向こうにいました。
ありがとう。
あの時。
私の話を聞いてくれて。
くだらない話で笑ってくれて。
ずっと。
そこにいてくれて。
最後に。
一つだけ。
聞いてもいい?
あの日。
『また明日』
って言ったよね。
あれは。
ちゃんと明日だった?
私は。
送信ボタンを押した。
返事が来るとは思っていなかった。
これで。
もう終わりにしようと思った。
君との会話も。
君を待つことも。
全部。
スマホを伏せる。
部屋の電気を消す。
そして。
ベッドに入った。
もう一度だけ。
スマホが震えた気がした。
気のせいだと思った。
でも。
なぜか。
私は画面を見た。
君とのトーク画面。
そこには。
返信はなかった。
ただ。
何年も。
一度も変わらなかった文字が。
たった今。
変わっていた。
既読。
私は。
しばらく。
画面を見つめた。
指が震えた。
何かを送ろうとして。
やめた。
名前も知らない。
顔も知らない。
今どこにいるのかも。
もう。
何も知らない。
それでも。
画面の向こうの君は。
確かに。
私の手紙を読んでくれた。
だから。
もう一度だけ。
私は笑った。
そして。
誰にも聞こえない声で。
「また明日」
と呟いた。
画面の向こうにいる。
名前も知らない。
私の親友へ。




