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拝啓、画面の向こうの君へ。

作者: 夜乃氷空
掲載日:2026/09/03

 君の名前を、私は知らない。


 本当の名前も。


 顔も。


 住んでいる場所も。


 何歳なのかさえ。


 たぶん、知らない。


 それなのに。


 あの頃の私にとって。


 君は、誰よりも近くにいた。


 *


 最初の会話なんて、もう覚えていない。


 たぶん。


『そのゲームやってる人いる?』


 とか。


『フレンド募集』


 とか。


 そんな、本当にどうでもいい一言だったのだと思う。


 そこから。


 少しずつ会話が増えた。


『今日学校どうだった?』


『最悪』


『何があった』


『聞いてよ』


『どうぞ』


 君は、いつも返事が短かった。


 最初は、冷たい人なのかと思った。


 けれど。


『今日、先生に怒られた』


『何した』


『何もしてない』


『絶対嘘』


『してないって!』


『怪しい』


 そんなやり取りをしているうちに。


 私は、君と話すのが当たり前になっていた。


 学校から帰って。


 スマホを開く。


 通知が来ていれば嬉しくて。


 来ていなければ。


 少しだけ、残念だった。


『おはよ』


『早』


『まだ朝だからね』


『そういう意味じゃない』


『分かってる』


 どうでもいい会話。


 何の意味もない会話。


 それなのに。


 画面の向こうに君がいると思うだけで。


 少しだけ。


 世界が狭く感じた。


 *


 学校では。


 誰にも言えないことがあった。


 友達に言えば心配される。


 家族に言えば怒られる。


 だから。


 誰にも言わなかった。


 でも。


 君には言えた。


『今日、ちょっと嫌なことあった』


 送信。


 数秒後。


『聞く』


 それだけ。


 たった二文字。


 なのに。


 なぜか、泣きそうになった。


『実はさ』


 そこから。


 私は、止まらなくなった。


 今日あったこと。


 嫌だったこと。


 悔しかったこと。


 誰にも言えなかったこと。


 全部。


 君は、何も言わずに聞いていた。


 長い文章を送っても。


 君は途中で消えなかった。


『そっか』


『うん』


『それは嫌だな』


『でしょ』


『うん』


 それだけだった。


 解決してくれるわけでもない。


 特別な言葉をくれるわけでもない。


 でも。


 画面の向こうで。


 誰かが私の言葉を読んでくれている。


 それだけで。


 私は、救われていた。


 *


 ある日。


 君が言った。


『もし、いつか連絡取れなくなったらどうする』


『急になに』


『例えば』


『また探す』


『どうやって』


『分かんない』


『だよな』


『なんでそんなこと言うの?』


 少し間があった。


 そして。


『別に』


 それだけ。


 私は、それ以上聞かなかった。


 聞く必要なんてないと思っていた。


 明日も。


 その次の日も。


 きっと君はいる。


 画面の向こうに。


 当たり前のように。


 *


 けれど。


 ある日。


 君からの返信が来なくなった。


『ねぇ、聞いてよ』


 送信。


 既読はつかない。


 まあ、忙しいのだろうと思った。


 翌日。


『今日も学校疲れた』


 送信。


 既読はつかない。


 一週間。


『大丈夫?』


 一ヶ月。


『何かあった?』


 三ヶ月。


『そろそろ返事してよ』


 送信。


 既読は。


 つかない。


 私は何度も画面を開いた。


 君とのトーク画面。


 最後のメッセージ。


『また明日』


 君が送ってきた。


 たった四文字。


 それが。


 君から届いた最後の言葉になった。


 *


 それから。


 何年も経った。


 スマホは何度も変わった。


 学校も変わった。


 友達も変わった。


 昔ほど。


 スマホばかり見ることもなくなった。


 それでも。


 君とのトーク画面だけは。


 消せなかった。


 理由は分からない。


 もう返事なんて来ない。


 君がどこにいるのかも分からない。


 あのアカウントが。


 まだ誰かに使われているのかさえ。


 私は知らない。


 それでも。


 たまに。


 本当にたまに。


 私は、画面を開いた。


 そして。


 昔の会話を遡る。


『また先生に怒られた』


『何した』


『何もしてない』


『嘘』


『なんで信じてくれないの!?』


『怪しいから』


 思わず笑ってしまう。


 もう何年も前の会話なのに。


 昨日のことみたいに。


 君の言葉が残っていた。


 *


 ある夜。


 私は、久しぶりに君とのトーク画面を開いた。


 指が。


 自然に文字を打ち始める。


 送る相手なんて。


 もういないかもしれないのに。


 それでも。


 私は書いた。


 何度も消して。


 書き直して。


 そして。


 最後に。


 こう打った。


 拝啓、画面の向こうの君へ。


 元気ですか。


 私は、少しだけ大人になりました。


 君と話していた頃は。


 毎日が長くて。


 学校が世界の全部みたいで。


 ちょっとしたことで泣いたり笑ったりしていました。


 今思えば。


 すごく狭い世界だったのかもしれません。


 でも。


 あの頃の私にとって。


 画面の向こうにいた君は。


 間違いなく。


 一番近くにいた親友でした。


 君の顔は知らない。


 本当の名前も知らない。


 声すら。


 聞いたことがない。


 それでも。


 私が泣きそうだった夜。


 私が嬉しかった日。


 誰にも言えなかったことを抱えていた時。


 いつも。


 君は画面の向こうにいました。


 ありがとう。


 あの時。


 私の話を聞いてくれて。


 くだらない話で笑ってくれて。


 ずっと。


 そこにいてくれて。


 最後に。


 一つだけ。


 聞いてもいい?


 あの日。


『また明日』


 って言ったよね。


 あれは。


 ちゃんと明日だった?


 私は。


 送信ボタンを押した。


 返事が来るとは思っていなかった。


 これで。


 もう終わりにしようと思った。


 君との会話も。


 君を待つことも。


 全部。


 スマホを伏せる。


 部屋の電気を消す。


 そして。


 ベッドに入った。


 もう一度だけ。


 スマホが震えた気がした。


 気のせいだと思った。


 でも。


 なぜか。


 私は画面を見た。


 君とのトーク画面。


 そこには。


 返信はなかった。


 ただ。


 何年も。


 一度も変わらなかった文字が。


 たった今。


 変わっていた。


 既読。


 私は。


 しばらく。


 画面を見つめた。


 指が震えた。


 何かを送ろうとして。


 やめた。


 名前も知らない。


 顔も知らない。


 今どこにいるのかも。


 もう。


 何も知らない。


 それでも。


 画面の向こうの君は。


 確かに。


 私の手紙を読んでくれた。


 だから。


 もう一度だけ。


 私は笑った。


 そして。


 誰にも聞こえない声で。


「また明日」


 と呟いた。


 画面の向こうにいる。


 名前も知らない。


 私の親友へ。

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