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戦死通知を届ける兵士の俺に、最も残酷な通知が届いた

作者: アポロ
掲載日:2026/04/11

魔王軍との戦争は何年も続いている。

そんな中で俺は生き残り続けていた。


生き残る、という言葉は便利だ。

本当は――

ただ運が良かっただけだ。

仲間が盾になって死んでくれたから、

俺は今こうして息をしている。


そんな俺に与えられた役目が、

「戦死者の家族に死を知らせること」

だった。


「お前は字が読めるだろう。

 口も達者だ。適任だよ」


上官はそう言ったが、

俺は知っている。

これは“誰もやりたがらない仕事”だ。


死んだ仲間の家族の前に立ち、

その人生を壊す言葉を口にする。

そんな役目を、

好き好んでやる奴はいない。


俺だって、やりたくなかった。


(なんで俺なんだよ……)


封筒を握りしめながら、

俺は村の道を歩いていた。


初めての家。

初めての“知らせ”。


足が重い。

喉が乾く。

胃が痛い。


家の前に立つと、

扉の向こうから子どもの笑い声が聞こえた。


胸が締めつけられた。


(……帰ろうか)


そう思った。

このまま封筒を破って、

何もなかったことにしてしまいたかった。


だが、

俺の足は勝手に扉を叩いていた。


コン、コン。


扉が開く。

出てきたのは、

白髪の混じった女性だった。


「……あら。兵士さん?」


優しい声だった。

俺は、喉が詰まった。


「息子は……無事ですか?」


その言葉で、

俺の心臓が止まった気がした。


俺は封筒を差し出した。

手が震えていた。


「……お母さん。

 息子さんは……」


言葉が続かない。

何百回も練習したはずなのに。


女性は封筒を受け取り、

ゆっくりと開いた。


紙を広げた瞬間、

彼女の表情が変わった。


声は出なかった。

涙もすぐには出なかった。


ただ、

理解が追いつかないまま、

世界が静かに崩れていくような顔だった。


「……そんな……

 だって……昨日、夢に……」


彼女は膝から崩れ落ちた。


俺は何もできなかった。

背中に手を置くこともできなかった。

慰めの言葉も出なかった。


ただ、

立ち尽くすしかなかった。


家の奥から、

小さな子どもが顔を出した。


「おばあちゃん?

 どうしたの?」


その声が、

俺の胸を刺した。


(……俺は、何をしてるんだ)


逃げ出したかった。

叫びたかった。

こんな役目、投げ出したかった。


でも、

俺はただ頭を下げて、

その家を後にした。


帰り道。

夕日が沈んでいく。


俺は歩きながら、

ずっと考えていた。


(俺が伝えなかったら……

 あの家族は、ずっと待ち続けるんだ)


息子の帰りを信じて、

毎日扉を見つめて、

季節が変わっても、

何年経っても、

帰らない息子を待ち続ける。


それは――

もっと残酷だ。


(……誰かが伝えなきゃいけないんだ)


嫌だ。

逃げたい。

でも、

必要な役目だ。


俺は空を見上げた。


夕日は赤く、

まるで血の色のようだった。


(……やるしかない)


そう呟いた時、

俺は初めて“伝える者”としての覚悟を

ほんの少しだけ持った。


嫌々だった役目が、

少しだけ“意味”を持ち始めた瞬間だった。



死を知らせる役目を始めてから、

どれくらいの家を回っただろう。


十か。

二十か。

もう数えるのをやめた。


最初の頃は、

家の前に立つだけで吐き気がした。

扉を叩く手が震え、

言葉が喉につかえて出てこなかった。


だが、

人は慣れる。


慣れたくなくても、

慣れてしまう。


「……息子さんは、最後まで立派に戦いました」


その言葉を、

俺は何度口にしただろう。


本当かどうかなんて、

もう分からない。


戦場で死ぬ時、

立派も何もない。

誰だって怖いし、

誰だって帰りたい。


でも、

家族にそれを伝える必要はない。


必要なのは――

“残された者が生きていける言葉” だ。


「苦しまなかった」

「一瞬だった」

「仲間に看取られた」


全部、嘘だ。

でも、必要な嘘だ。


俺はそれを覚えた。

覚えてしまった。


ある家では、

母親が俺の胸を叩きながら泣き叫んだ。


「なんで……なんであの子が……!

 どうしてあなたが生きてるの……!」


俺は何も言わなかった。

言えなかった。


別の家では、

父親が静かに頭を下げた。


「知らせてくれて……ありがとう。

 あの子は……誇りです」


その言葉が、

逆に胸を刺した。


誇りなんて、

戦場にはなかった。


でも、

父親はそう思いたいのだ。


俺はただ頷いた。


家に帰ると、

妻が夕飯を用意して待っていた。


「今日も……大変だった?」


俺は笑ってみせた。


「慣れたよ」


嘘だ。

慣れたくなんてなかった。


でも、

妻に心配をかけたくなかった。


息子はまだ幼く、

俺の仕事の意味を理解していなかった。


「お父さん、なんでそんな仕事してるの?」


無邪気な声。

俺は答えられなかった。


「……大事な仕事なんだよ」


そう言うと、

息子は首をかしげた。


「ふーん……よく分かんないや」


それでよかった。

分からなくていい。

分かってほしくない。


次の日も、

その次の日も、

俺は封筒を持って村々を回った。


泣き崩れる母親。

怒り狂う父親。

現実を受け入れられない妻。

幼い子ども。


そのすべてを見て、

俺は少しずつ感情を押し殺すようになった。


泣かれても、

怒鳴られても、

責められても、

俺は動じなくなった。


動じないように、

自分を固めていった。


(……俺が崩れたら、誰が伝えるんだ)


そう思うようになった。


役目は重い。

でも、必要だ。


誰かがやらなきゃいけない。


だから俺は、

黙々とこなした。


ある日、

帰り道でふと気づいた。


(……俺は、いつからこんな顔をするようになったんだ)


水面に映った自分の顔は、

疲れ切っていて、

何も感じていないようだった。


でも、

それでいいと思った。


感情なんて、

この仕事には邪魔だ。


俺は“伝える者”として、

今日もまた扉を叩く。


コン、コン。


その音が、

もう日常になっていた。



息子が十六になった頃、

俺の仕事は村でも知られるようになっていた。


「戦死の知らせを届ける兵士」

という肩書きは、

尊敬されるわけでも、

嫌われるわけでもない。


ただ――

“重い仕事をしている人”

という目で見られるようになった。


それが息子には、

どう映っていたのだろう。


ある日の夕食。

妻が煮物をよそいながら言った。


「今日ね、村の人が言ってたよ。

 あなたの仕事は大変だって。

 誇りに思うって」


俺は曖昧に笑った。


誇りなんて、

感じたことはない。


ただ、

必要だからやっているだけだ。


息子は箸を止め、

ぽつりと言った。


「……俺は、嫌だな」


その声は小さかったが、

はっきりと聞こえた。


「嫌って……何がだ?」

俺は聞き返した。


息子は俯いたまま言った。


「人の死を……

 伝えるだけの人生なんて……

 俺は絶対に嫌だ」


胸が痛んだ。


だが、

反論できなかった。


俺だって、

この仕事を選んだわけじゃない。


息子は続けた。


「親父は……

 いつも誰かの“終わり”を運んでるだけだろ。

 そんなの……生きてるって言えるのかよ」


その言葉は、

刃のように鋭かった。


妻が慌てて息子をなだめたが、

息子は席を立ち、

部屋に閉じこもった。


俺は何も言えなかった。


(……俺は、生きているのか?)


息子の言葉が、

頭の中で何度も反響した。


それから数日後。

息子は家を出た。


「自分の道を探す」

とだけ言い残して。


荷物は少なかった。

服と、

小さなナイフと、

母親が持たせた干し肉。


俺は止めなかった。


止められなかった。


息子の背中は、

思っていたよりも大きく、

そして遠かった。


妻は泣いた。


「どうして止めなかったの……

 あなたは……父親でしょう……?」


俺は答えられなかった。


(……俺は、父親として何をしてきた?)


息子がどんな夢を持っていたのか。

どんな友達がいたのか。

何を恐れ、

何を望んでいたのか。


何も知らなかった。


知ろうとしなかった。


俺はただ、

“伝える者”としての役目に縛られ、

家族のことを後回しにしてきた。


息子の部屋に入ると、

机の上に木彫りの人形が置かれていた。


幼い頃、

俺が作ってやったものだ。


息子はそれを持っていかなかった。


(……俺は、嫌われたんだな)


そう思った。



息子が家を出てから、

四年が経った。


その間、

一度も手紙は来なかった。


どこで何をしているのか、

生きているのか、

死んでいるのか。


俺は探さなかった。


探す勇気がなかった。


(……いつか帰ってくる)


そう自分に言い聞かせて、

現実から目をそらした。


妻は毎日、

息子の帰る道を見つめていた。


俺はその姿を見るたびに、

胸が痛んだ。


でも、

何もできなかった。


俺は今日も封筒を持ち、

誰かの家の扉を叩く。


コン、コン。


その音が、

息子の足音よりも

ずっと身近になっていた。


季節は何度も巡り、

村の景色は少しずつ変わっていったが、

俺の生活は変わらなかった。


朝起きて、

封筒を受け取り、

誰かの家の扉を叩く。


コン、コン。


その音は、

もう俺の一部になっていた。


息子の足音よりも、

妻の呼ぶ声よりも、

ずっと近くにあった。


その日も、

いつもと同じ朝だった。


軍務局からの使いが来て、

封筒を数通渡していった。


「今日の分だ。頼む」


俺は無言で頷き、

封筒を受け取った。


だが――

その中に、一通だけ

“見覚えのある苗字”があった。


俺の家の苗字だ。


胸がざわついた。


(……まさか)


震える手で封筒を裏返す。


宛名は――

妻の名前。


息が止まった。


(違う……違うだろ……

 こんなはず……)


だが、

逃げても意味がない。


俺は封を切った。


紙を広げた瞬間、

視界が揺れた。


そこには、

息子の名前が書かれていた。


戦死。


その二文字が、

紙の上で黒く、重く、

俺の心臓を押し潰した。


息子が戦場に立っていたことを、

俺は知らなかった。


いや――

知ろうとしなかった。


家を出た息子がどこで何をしているのか、

生きているのか、

死んでいるのか。


俺は一度も探さなかった。


探す勇気がなかった。


(……俺は、父親として何をしてきた?)


息子が何を思い、

何を恐れ、

何を求めていたのか。


俺は何も知らない。


知ろうとしなかった。


封筒を握る手が震え、

紙がくしゃりと音を立てた。


(……俺が……知らせるのか?

 妻に……息子の死を……)


何百回も他人に伝えてきた言葉が、

今度は自分の家に向けられる。


皮肉でもなく、

罰でもなく、

ただの現実として。


俺は膝から崩れ落ちた。


床に落ちた封筒が、

まるで血のように見えた。


家に帰ると、

妻は夕飯の支度をしていた。


「おかえり。

 今日も……大変だった?」


俺は答えられなかった。


妻は笑っていた。

その笑顔が、

胸に刺さった。


「ねえ、あなた。

 あの子……元気にしてるかな。

 いつか帰ってくるよね」


俺は封筒を握りしめた。


言葉が出ない。

喉が焼けるように痛い。


妻は不思議そうに首をかしげた。


「どうしたの……?」


俺は、

何百回も他人に向けて言ってきた言葉を、

妻に向けて言った。


「……苦しまなかった。

 一瞬だったよ」


妻の笑顔が、

ゆっくりと崩れていった。


声も出ず、

涙もすぐには出ず、

ただ理解が追いつかないまま、

世界が静かに壊れていく。


その姿を見て、

俺は思った。


(……俺は、本当に正しかったのか?)


誰かの家族を守るために、

必要な嘘をつき続けてきた。


その結果、

自分の家族を守れなかった。


俺は、

何をしてきたんだろう。


妻が崩れ落ちる音が、

家の中に響いた。


俺は動けなかった。


封筒が手から落ち、

床に散らばった。


息子の名前が、

俺を責めるように見えた。


(……俺が……言ったんだ)


何百回も他人に向けて言ってきた言葉。

「苦しまなかった」

「一瞬だった」

「立派に戦った」


その“必要な嘘”を、

今度は自分の妻に向けて言った。


その瞬間、

胸の奥で何かが壊れた。


妻は床に座り込み、

息子の名前を何度も呟いた。


「……どうして……

 どうしてあの子が……

 まだ二十歳になったばかりなのに……」


俺は答えられなかった。


答えられる言葉なんて、

どこにもなかった。


妻は震える声で続けた。


「あなた……

 あの子がどこにいるか……

 知ろうとしたこと……あった……?」


その問いは、

刃より鋭かった。


俺は息を呑んだ。


(……ない)


息子が家を出てから四年間、

俺は一度も探さなかった。


探す勇気がなかった。

向き合う勇気がなかった。


「……ごめん」

それしか言えなかった。


妻は首を振った。


「謝らないで……

 謝られたら……

 私……あなたを……

 恨んでしまう……」


その言葉が、

胸に深く沈んだ。


夜。

妻は息子の部屋にこもった。


俺は居間で一人、

封筒を見つめていた。


息子が何をしていたか。

息子の最期の場所。


どれも、

俺が知らなかったことばかりだ。


(……俺は、父親だったのか?)


息子が何を考えていたのか。

何を恐れ、

何を望んでいたのか。


俺は何一つ知らない。


知ろうとしなかった。


“伝える者”としての役目に縛られ、

家族を後回しにしてきた。


その結果が――

これだ。


深夜。

息子の部屋の扉が開いた。


妻が出てきた。

目は赤く、

声は枯れていた。


「……あの子……

 あなたに似てたのね」


俺は息を呑んだ。


妻は続けた。


「優しくて……

 不器用で……

 人のために動いて……

 自分のことは後回しで……

 でも……

 本当は弱くて……

 寂しがりで……」


その言葉は、

俺の胸に深く刺さった。


息子は――

俺に似ていた。


俺は知らなかった。

気づかなかった。


いや、

気づこうとしなかった。


妻は涙を拭い、

静かに言った。


「あなた……

 あの子のこと……

 本当に……

 何も知らなかったのね」


俺は頷くこともできなかった。


妻が寝室に戻った後、

俺は息子の部屋に入った。


埃をかぶった机。

壁に貼られた古い地図。

幼い頃に描いた家族の絵。


その絵の中で、

父親は笑っていた。


(……俺は……

 お前に何を残せたんだろうな)


答えは出なかった。


ただ、

胸の奥が静かに痛んだ。


俺は初めて、

“伝える者”ではなく、

“父親”として泣いた。


声を殺し、

誰にも聞こえないように。


涙は止まらなかった。


息子の名前を呼ぶ声が、

夜の家に溶けていった。

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