密着一日目
あるカフェで、一人の青年と待ち合わせました。白いシャツの上から黒いジャケットを羽織り、ジーンズを履いて席に座る彼は、とても素朴な印象を受けます。
西透馬さん、二十歳、独身。現在は清掃会社でアルバイトをしています。マンションやオフィスビル内の床を清掃するのが主な仕事で、シフトは週四日。
高校を卒業してからおよそ二年間、フリーターとして生きてきた西さんですが、現状に強い不満があるそうです。
西「今は実家暮らしなので、給料が安くて生活できないとかはありませんし、シフトに融通が効くから遊びにも行きやすいんですよね。最初の一年くらいは、この仕事をずっと続けて、自由な生き方をするのもありかなって思ってたんですけど……なんていうか、『僕って何なんだろう』みたいに思うことが増えて。僕は、死んだら何も残らない、何者でもない人間だなって」
仕事をして遊ぶ。それだけで満足できていた西さんですが、徐々に自分が何も成し遂げていない人間のように思え、不満を感じるようになったそう。
西「フリーターとか、清掃員とか、肩書きみたいなものは一応ありますよ。でも、どっちも日本だけで何十万、何百万人といて、僕はその一人に過ぎないわけで。こんな肩書きを名乗り続けても、僕という人間に興味を持って、生き方とかやったこととかを語り継いでくれる人は誰もいませんよね。こういう肩書きは社会的なカテゴリーであって、僕という個人を表すものではない。そうじゃなくて、僕を見てほしいんです。西透馬という人間を世の中の人たちに知ってほしい。そのためには、アルバイトで掃除をしているだけじゃダメだと思うんです」
西さんは、自分の名前が後世に残るようなことを成し遂げたいと考えているようです。しかし、今の生活、仕事を続けているだけでは達成できない。それが不満の原因となっています。
具体的に何をすれば、西さんが抱えているモヤモヤとした感情を解消できるのでしょうか。
西「いろいろありますけど、やっぱり小説を書いて本として出版することですかね。本の表紙には作者の名前が載るじゃないですか。だから僕が書いた本には『西透馬』って名前がばんっと印刷される。しかも小説って、百年以上前に書かれたものが今でも読まれていますよね。夏目漱石の『吾輩は猫である』とか。もちろん『名作』と呼ばれる作品にならないとですけど。……とにかく小説を書いて本として出版できれば、僕のことを知ってくれる人が増えると思うんです。僕が死んだ後も。で、僕は『小説家・西透馬』と、自信を持って名乗れるようになるんじゃないかなって」
西さんの頭の中には、壮大なプランがありました。ですが、小説を書いて本として出版するまでに超えなければならないハードルはたくさん。そもそも、西さんは小説を書いたことが一度もないとのこと。
西「小説自体は好きで、子供の頃からかなり読んできました。特にホラーが好きです。でも自分で書いたことは……ないんですよね。小説を読んできたので、基本的な書き方はわかってるつもりですけど、細かいテクニックとか、読者を惹きつけるストーリーを考えるコツとかは、理解できてないと思います。なので、プロのホラー作家さんに弟子入りしようと考えてます。プロの下で学ばせてもらおうかなと」
プロ作家に弟子入りすることで小説の書き方を身につけ、出版まで漕ぎ着けようというのが西さんの考えのようです。かつては、小説家志望者が有名な作家の弟子になるというケースがよくあったと聞きます。けれど、現代ではほとんどありません。西さんの計画は実現が難しいように思えますが、成功の見込みはあるのでしょうか。
西「正直、苦戦してます。実際にもうホラー作家さんに弟子にしてくださいって何度も伝えてるんですけど、門前払いというか、反応すらしてもらえない感じで。とりあえずイエスかノーか、何かしら答えがほしいので、今日もこれから先生のところに行こうと思ってます」
すでに西さんは、弟子入りしたい作家さんにアプローチを始めていました。どなたの弟子になろうとしているのでしょうか。
西「粗末田エリー先生です。本当に大ファンで、弟子になるなら粗末田先生しか考えられません。先生の発想はものすごく奇抜で、おどろおどろしいシーンでも澱みなく頭に入ってくる美しい文章を書かれるんです。先生が師匠になってくれれば、僕の名前が後の世に残るような傑作が書けると思ってます」
粗末田エリーさん。二○一六年に出版した『首締めネクタイ』で小説家としてデビュー。同作は発行部数二十五万部のベストセラーとなりました。他の著作として『腹裂きウエストパンツ』、『足首千切りソックス』『頭潰しピロー』『胸砕きビブス』などがあります。
粗末田さんの自宅は、このカフェからごく近い場所にあるとのこと。西さんが待ち合わせ場所としてこのカフェを指定したのは、その足で粗末田先生の自宅へ向かうためでした。
西「粗末田先生の個人情報って、これまでは全く世間に出てなかったんですけど、最近ネットに住所が載ってるのを見つけて。それを頼りにご自宅を特定して、何度か伺いました。ネット社会って怖いですよね」
そう語り、ホットコーヒーをすする西さん。目と口を三日月型に曲げて微笑みます。
すでに粗末田さんの自宅を訪問しているそうですが、弟子入りのためにどのようなことしたのか聞いてみました。
西「基本は手紙ですね。郵便ポストに弟子入り志願の手紙を入れてます。インターホンを押しても、いつも留守なんですよ。帰ってくるのを半日くらい待ってたこともあるんですけど、それも空振りで……。お忙しいみたいです。だから手紙を残したほうがご迷惑じゃないかなと思いまして。でも、手紙も読んでくれてないみたいなんですよね。いつまで経っても返事が来ないので、たぶん粗末田先生、気づかずにチラシとかと一緒に捨ちゃってるんじゃないかと思います」
残念ながら西さんのアプローチは失敗に終わっている様子。しかし、まだ諦める気はないそうです。
西「どうやったら僕の手紙に気づいてもらえるかなって、いろいろと考えて。今日は、ちょっと工夫してみます」
そう言い、席を立った西さん。粗末田さんの自宅へ向かいます。
歩いて五分ほどで到着。大きなマンションです。この一室に粗末田さんが住んでいます。オートロック式のマンションのため、入れるのはエントランスまで。西さんはいつも、エントランスの隅にある郵便ポストに粗末田さん宛の手紙を入れています。
西「部屋番号は合ってるはずです」
リュックの中から取り出した、チャック付きのビニールに入った白い封筒を、●●●号室の郵便ポストの中に入れた西さん。しかし、先ほど言っていた「工夫した」という点は、封筒をビニールに入れていること以外に見当たりません。何か意味があるのでしょうか。
西「これも一緒に入れておきたいんですけど、封筒が濡れてしまうのでビニールを使いました」
続けて西さんは、リュックから大きめのタッパーを取り出して、その中身をポストに流し込みました。小さくて黒い球体がいくつも付着したゼリー状の何か。一体何を入れたのでしょうか。
西「ウシガエルの卵です。これ、粗末田先生の『首締めネクタイ』のワンシーンと同じなんですよ。主人公が想いを寄せる先輩社員に自分の存在を知ってほしくて、先輩の家の郵便ポストにラブレターとウシガエルの卵を入れるんです。主人公の名前が牛山卵ちゃんだから、『ウシ』ガエルの『卵』。これをやれば粗末田先生も、ファンが手紙をくれたんだって気づいて、読んでくれると思います」
西さんは笑顔を浮かべ、満足そうです。この日はこれで、粗末田さんの自宅マンションを後にしました。西さんの作戦は成功し、返信をもらえるのでしょうか。




