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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

【短編】逃げ場のない、距離。

作者: 充電6%
掲載日:2026/01/26

 昼下がりのキャンパスは、ざわざわしていた。


 アイカは人混みの中で、いつも通り笑っていた。

 短く切った金髪が揺れて、耳元のピアスがきらりと光る。

 明るくて、ノリがよくて、声をかけやすい――そう見えるように、ちゃんと振る舞っている。


「アイカ、今日も元気だね〜」


「え〜、なにそれ!当たり前じゃん!」


 軽い調子で返す。

 こういうやり取りは、もう癖みたいなものだ。


 誰にも嫌われたくない。

 だから、笑う。声を張る。冗談を言う。


 それが出来ている限り、アイカは“大丈夫な人”でいられる。


「……あ」


 ふと、視線の先に人影を見つけて、アイカの声が一瞬だけ詰まった。


 ミフユだった。


 少し離れた場所を、静かに歩いている。

 さらさらとした茶色の長い髪。背筋の伸びた立ち姿。

 表情は相変わらず淡々としているのに、それだけで目を引く。


「あの人がミフユさん?」


 隣にいた女の子が、小声で聞いてくる。


「うん、そうだよ」


「やっぱり綺麗だよね……近寄りがたいけど」


 アイカは笑って頷いた。

 その言葉に、少しだけ誇らしさを感じてしまった自分に気づいて、胸がきゅっとする。


 ――ミフユは、私の。


 ……違う。

 その続きは、飲み込む。


「アイカって、ミフユさんと一緒に住んでるんだよね?」


 何気ない調子だった。

 だからこそ、心臓が跳ねる。


「う、うん。まあ、事情があってね」


「恋人……とかではないんだ?」


 一瞬、空気が止まった。


「ち、違うよ!」

 反射的に声が大きくなる。

「ただの同居人!本当に!」


 嘘はついていない。

 でも、全部を言っているわけでもない。


 「そうなの?でも、それってちょっと誤解されやすいんじゃない?」

「ほら、ミフユさんってさ、結構人気あるからさ〜」

「同居してるって聞いたら、周りは色々言うかもだし」

 

「え、でもさ」

 別の子が、何気ない調子で口を挟む。


「正直、同居してるって聞いたらさ」

「もう彼女みたいなもんだと思っちゃうよね」


 悪意はない。

 むしろ、軽い冗談のつもりなのだろう。


 アイカは、笑った。

 反射みたいに。


「はは、ないない!」

「ほんとに、そういうのじゃないから」


 自分で言っていて、胸の奥が少し冷えた。


「そっかあ……」

「でも、ミフユさん狙ってる子、結構いるよ?」


 知ってる。

 言われなくても。


 ミフユが一人で歩いているだけで、視線が集まることも。

 声をかけられているのを、遠くから見たことも。


 それでも。


「……まあ」

「それは、本人の自由だしね」


 声は軽かったはずなのに、胸の奥に小さな棘が残った。


 誰かがミフユを好きになるのは、当然だ。

 自分より可愛くて、優しくて、ちゃんとした人なんて、いくらでもいる。


 ――いつか、見限られるかもしれない。


 その考えが、いつも頭のどこかにある。


 気づくと、視線の先でミフユが立ち止まっていた。

 こちらを見ているかどうかは、分からない。


「……アイカ」


 低く、落ち着いた声。


 振り向いた瞬間、胸が少しだけ緩んだ。


「帰ろう。ごはん行こ」


 それだけ。

 理由も、説明もない。


 でも、その一言で十分だった。


「……うん」


 アイカは笑って頷いた。

 外向きの、いつもの笑顔で。


 その横で、ミフユの手が、さりげなくアイカの腰に添えられる。

 指先が、逃げ道を塞ぐみたいに添えられる。


 逃げないように。

 誰にも渡さないように。


 その意味にアイカは気づくこともなく、歩き出す。

 胸の奥に、不安を抱えたまま。


 部屋に戻ると、外のざわめきが嘘みたいに消えた。


 玄関のドアが閉まる音が、やけに大きく響く。

 靴を脱ぐ動作すら、アイカは少しぎこちない。

 

 部屋に着くなり、アイカは鞄を床に置いて、そのまま洗面所に向かった。

 

 ふと、視界に移ったリビングに目をやる。

 そこには二人分の生活の痕跡があった。

 揃いではないマグカップ。

 ソファに無造作に置かれた、アイカのパーカー。

 ミフユの本棚に、いつの間にか混ざっている漫画。


 誰かに説明しようとすると、途端に曖昧になる関係。


 それでも、ここには確かに居場所があった。


 アイカはそれを見るたび、

 安心と不安が、同時に胸に広がる。

 

 今はとにかく、ミフユに何か言われる前にシャワーを浴びたかった。

 今このまま同じ空間にいたら、きっと顔を見られない。


 服を脱ぎ、蛇口を捻る。

 勢いよく落ちてくる水音が、思考を塗り潰してくれる。


 熱めの湯が、肩に当たる。

 じん、とした痛みが走って、それが少しだけ心地よかった。


「……はあ」


 無意識に、息が漏れる。


 鏡は曇っていて、自分の顔はよく見えない。

 それが、ありがたかった。


 ――恋人じゃない。


 さっき言った言葉が、遅れて胸に突き刺さる。

 嘘じゃない。

 でも、言い切ってしまったことが、怖い。


 縛ってる、なんて言葉。

 自分が一番、そう思っていた。


 ミフユの時間を奪っているのは、自分だ。

 泣いて、甘えて、離れられずにいるのも、自分。


 なのに。


 シャワーの音に紛れて、喉がひくりと鳴った。


「……今日は、泣かない」

 

 何度も破ってきた約束を、もう一度だけ胸に置く。

 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。


 泣いたら、また迷惑をかける。

 泣いたら、また縋ってしまう。


 そう分かっているのに、胸の奥は熱を持ったままだ。


 髪から滴る水を拭いながら、アイカは何度も深呼吸をした。

 吸って、吐いて。


 大丈夫。

 まだ、大丈夫。


 そう言い聞かせて、シャワーを止めた。

 

 ――タオルで髪を拭きながら洗面所を出た、その瞬間。

「……アイカ」

 

 ミフユはアイカの視界に割り込むように顔を出し、無言で距離を詰める。

 声は低く、落ち着いている。

 

 大学の構内と変わらないはずなのに、ここでは、逃げ場がないほど近い。

 

 唇と唇が触れそうな距離、考える前に息を吸わされる。


「さっきのこと」


 その一言で、胸が締め付けられた。

 

「……聞いてた?」

 

 問いかける声は、笑いを作れなかった。


 少しの沈黙。

 ミフユは、視線を逸らさなかった。

 彼女は否定もしないし、肯定もしない。


「途中から」


 それだけ。


 アイカは、それ以上何も言えなくなった。

 喉の奥が、ひりつく。


「ごめん……」


 反射的に、そう口にしていた。


「恋人じゃないって言ったのも……」

「ミフユに迷惑かけたくなくて……」

「縛ってるって思われるの、嫌で……」


 言葉が、ばらばらに零れる。


「ミフユ、モテるし……」

「私なんか、その……」

「いつか、いなくなるかもしれないし……」


 最後の方は、声になっていなかった。


 息が、浅くなる。

 胸が苦しい。

 空気が足りない。


「……アイカ」


 名前を呼ばれた瞬間、膝が抜けた。


 そのまま、ミフユの胸に額がぶつかる。

 支えられる感覚。


 腰に回された腕が、しっかりと力を込めた。


「っ……は、は……」


 呼吸が追いつかない。

 涙が勝手に溢れる。


 ミフユは、何も言わない。


 ただ、アイカの腰を逃がさないように抱いて、

 もう片方の手で、頭をゆっくり撫でる。


 否定もしない。

 大丈夫とも言わない。


「……ほら」


 耳元で、低く囁かれる。


「私に、合わせて」

「ほら。私の、真似」


 吸って。

 吐いて。


 言葉は、それだけ。


 アイカは必死に真似をする。

 涙と一緒に、嗚咽が零れる。


「……っ、きら、われたかと……」


 震える声。


「幻滅、されたかなって……」

「もう、いらないのかなって……」


 ミフユの胸元に、顔を押し付けたまま。


 ミフユの鼓動は、驚くほど落ち着いていた。

 それが、余計に安心してしまう。


「……恋人じゃないって」


 ミフユが、ぽつりと言う。

 アイカの身体が、びくりと震えた。


「嘘じゃない」

 そこで、一拍置く。


「でも、間違いでもないよ」


 どちらとも取れる、曖昧な言葉。


 アイカは、顔を上げられない。

 上げたら、壊れてしまいそうだった。


「……私のそばにいるの、嫌?」


 小さな声で、尋ねる。


 ミフユは、少し考える素振りを見せてから、


「嫌だったら」

「こうしてない」


 淡々と答えた。


 それだけで、十分だった。


 アイカは、ミフユの服を掴む。

 子どもみたいに。


「……ごめんなさい」

「また、迷惑かけるかも……」


 ミフユの手が、少しだけ強く頭を撫でた。


「いいよ」


 短く。


 肯定でも、拒絶でもない。


「泣きたいときは」

「いつでも、おいで」


 条件付きの、優しさ。


 それを聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 同時に、怖くもなる。


 ――ここしか、居場所がなくなったらどうしよう。


 でも。


 それでも。


 この胸で泣けるなら、いい。


 アイカは、そう思ってしまった。


 ミフユは、腕の中で震える身体を感じながら、静かに息を吐く。


 可哀想だと思う。

 浅ましい、とも。


 それでも。

 この重さが愛おしかった。


 こうして縋ってくれる限り、

 泣いて、謝って、不安に怯えてくれる限り――


 手放すつもりは、なかった。


 頭を撫でる手は、優しいまま。

 抱きしめる腕も、緩めない。


 肯定は、しない。


 その代わり、今日も胸を貸す。


 また、ここに戻ってくると分かっているから。


 その安心と、歪んだ幸福を、

 ミフユは静かに噛み締めていた。

 

 

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