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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆1章

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9/12

桜と焔 (9)


「くそっ、どこまで走っても同じところを走らされてる! あーもう、うぜぇな虫!」

「うぅ、体中刺されていてぇ」

「うわーん、もう許して~!」


 どれだけ走り回ろうと、自力で霧の異空間から抜け出すことはできないだろう。追い払っても無限に虫は湧き続け、男たちの顔や手足はあっという間に赤く腫れ上がっていた。

 みっともない泣きっ面で喚いたところでもう遅い。


「こんな芸当するってこたぁ、あの女ぁ、あやかしだったのか! 隠れてねぇで出てこいや!?」


 大男だけはまだ威勢が残っているらしく、舌打ちしながら辺りに目を凝らし環を探していた。しかし明後日の方向を向いていて、こちらに背中を向けたがに股な姿に環は小さく吹き出した。

 他の二人に関しては地面に蹲ってひたすら耐えることに徹している。


「……ふふっ、無様なものね!」


 環が手を翳すとさらに虫の量が増えた。ムカデに蜂、加えて蜘蛛とミミズが男たちの全身を覆い尽くす勢いで湧いてくる。断末魔のような叫び声に、環の高らかな笑い声が重なった。


「あははっ! 所詮異能すら持っていない人間なんて、あやかしの前では手も足も出ないのよ!」


 後ろで手を組み、恍惚な笑みを浮かべながら環は男たちが苦しむ様を観察した。


 人間を騙したくないと思っていた環の面影はすっかり影を潜めていた。心優しい雰囲気とは裏腹な狡猾でしたたかな自信を表情に宿している。怒りを引き金に、妖狐本来の性分が優勢していた。

 もっと、苦しめばいい。怒りが胸の奥で燃えて勢いが増すばかりだ。


「弱いくせに、人間(自分)たちが強いと信じきってる。力もないくせに威張って、醜悪でしかない。本当に汚らわしいわ」


 冷ややかな目を男たちに向けた。同じ人間でもこうも違うのかと思うと反吐が出る。


「……さぁて。二度と醜態を晒さなくて済むように、精気でもいただこうかしら?」


 男たちの身体から、濃くはっきりとした明るさの精気の光が湧き出ていた。霧の中で存在感抜群に発光している光景は滑稽ですらある。

 多少の精気を吸えば、命までは奪わないが気力を落とすぐらいはできるだろう。

 そう思って環がそれに手を伸ばしたときだった。


 ――カーン……!


 聞き覚えのある音が頭に鳴り響き、たちまち目眩が起きた。


「あっ……」


 瞬間、我に返ったように環の表情から怒気が雲散する。

 脱力してふらついた環を、後ろからしっかりと抱きとめるぬくもりがあった。ぐにゃりと歪む視界の不快さに耐えきれずに顔をしかめる。

 環の耳と尻尾が消えて、空間を作り出していた幻術も解けた。霧が晴れたそこはただの静かな夜の境内だ。いきなり異空間から放り出された男たちはぽかんとした表情で固まっている。

 

 身体に力が入らない。それでも意識だけは失わないように唇を噛み、青ざめた顔で頭を押さえながら自分を支えている人物を窺った。

 見上げた環と相手の視線が交わる。若い男性が、探るように環の顔をじっと見つめていた。

 環はさっと目を伏せて、目眩を引き起こした先ほどの音の正体を探す。するとやはりそれは男性の手にあった。

 あやかしが嫌う音を出す特殊な振り鐘。これを扱えるのは――。

 

「あやかし、祓い……」

「ごめんね? 無理にでも止めないと、なんだか君が暴走しそうだったから」


 男性なぜか眉を下げながらそう言うと、手にしていたあやかし祓いの鐘を腰ベルトにぶら下げた。抱き抱えられていた環は地べたに寝かせられて、どう考えても不利な状況に焦る。


 どうしよう、身体に力が入らない……。

 空間を隔離する幻術を使ってたのに簡単に外から突破されている。しかも鐘を鳴らされるまで、気配すら感じさせなかった。


 このあやかし祓い、強い――。


 男性が右腕をつきだす。すると手のひらの上に蒼い火の玉が浮かび上がった。連鎖的に空中に同じ火の玉が現れ、暗闇の中で境内の社殿や桜の木を照らし出した。

 蒼く神秘的に揺らめく火の玉を右手に掲げながら男性がゆっくりと振り返る。

 黒い詰襟の軍服に深紅のケープコートを羽織っている長身な姿は、紛れもなくあやかし祓いの佇まいだった。緩く癖がある黒髪が夜風にさらりと流される。


 目眩のせいでろくに動けず横たわったままの環は、このままでは祓われると危機感を募らせた。あやかし祓いの男性を見上げながらどうにか身体を動かそうと試みた。

 しかしぐらりと視界が揺れて耳鳴りに顔を歪める。まずい、やられちゃう。

 

「そんな怯えた顔しないで。君を傷つけるようなことはしないよ」


 身構えてきつく目を瞑った環の耳に届いた、あやすような優しい声。恐る恐る確認した男性の顔には、声色に不似合いな胡散臭い笑みが貼りつけられている。


「大丈夫――子狐ちゃん、君のことは守るから」


 力強く言いきった男性の瞳が蒼く光る。男性が手にしている火の玉が映り込んだのかと思いきや、さっきまでは黒曜石みたいに暗かったはずの瞳が蒼い宝石みたいに輝いていた。

 瞳の煌めきに呼応するように火の玉が揺らぐ。

 その様が美しく、環はあやかし祓いの意図がわからないまま思わず見とれてしまっていた。


 守るって、一体どういう意味……。

 戸惑う環をよそに男性は背を向けて一歩前に進んだ。その目が注視しているのは、ぽかんと突っ立っている大男と腰が抜けたように地面に座っている取り巻きたちだ。幻術はとっくに解けているのに、まだ意識が朦朧としていたらしい。

 しかしあやかし祓いの足音でようやく正気を取り戻したのか、ハッとした顔で男性に詰め寄った。


「お、おまえ! その格好は軍のあやかし祓いのやつだよな!?」

「ええ、いかにも」

「だったら早くそいつを何とかしてくれぇ!

「変な術にかけられてとんでもねぇ目に遭ったんだ!」

「大量の虫に襲われて最悪の気分だぜ! 軍の(あん)ちゃん、さっさとその女を始末してくれ! そいつはあやかしだ!」

「へえ、あやかし」


 振り返ったあやかし祓いに見られてぎくりとする。今は耳も尻尾も出ていないけど、さっきまでの話しぶり的に確実に正体は見破られているだろう。


「僕には、人間のお嬢さんに見えますが」

「……!?」

「はあ!?」


 わざとらしく顎に手を当てて考える素振りを見せたあやかし祓いの口から飛び出してきたのは、耳を疑う内容だった。

 この人、どうしてそんな、人間だなんて嘘を……? “子狐ちゃん”って呼んできたのだから、妖狐だと気付いてそうなのに。

 環も男たちも訳がわからないと言いたげに目を見開いている。血の気が多そうな大男は今にも殴りかかりそうな勢いであやかし祓いに詰め寄った。


「何言ってんだてめぇ! あやかし祓いのくせにそんなこともわからねぇのか!」

「見てくれよこれ! 虫に刺されて腫れ……んな馬鹿な! どこも腫れてねぇだと!?」


 取り巻きの一人が自分の腕をあやかし祓いに見せようと突きつけたが、すぐに驚愕の声を上げた。それをきっかけに他の男たちも自分の身体を見下ろして触り始めた。

 捲れている着物の袖や袂から覗く腕や足は体毛に覆われて黒ずんでいるだけで、赤く腫れているわけでも皮膚が爛れているわけでもない。至って健常な肌には、どこにも虫に襲われた形跡がなかった。


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