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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆1章

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8/13

桜と焔 (8)


 相手が心を許し、隙さえできれば精気を奪い取れる妖狐ゆえの性なので当たり前の状態だったが、精気の光を目にするといつも複雑な気持ちがまとわりついた。

 あやかしよりも寿命が短い人間の精気をむやみやたらに奪うのは気が引ける。だから精気が見えても吸収してしまう前に環はさっさと立ち去るようにしていた。

 しかし共に働くとなるとどれだけそれを避けられるかもわからない。意図して精気に触れなくても、妖狐の環の身体は妖力を育もうと精気を欲して吸収しようとしてしまうから。


「優しくしてくれた人の命を脅かしてまで、妖力なんて強くなりたくないよ……」


 やりきれない感情に唇を噛む。

 悪意のある嘘でなくても、相手が信じてしまったらもうそれは騙したことになる。そうしてまで精気を得ることは、環が望むものではなかった。

 落ちこぼれでもかまわない。罪悪感を抱えて精気を吸うぐらいなら、ずっと、人間を騙せなくていい――。


「いやーっ! 誰か助けてぇ!」


 境内の社の正面側から突然聞こえてきた甲高い悲鳴に、環は驚いて我に返った。社の裏手に座り込んでいた環は、様子を窺うために慎重に顔を覗かせる。


「なに、あれ……」


 目に飛び込んできた光景に環は動揺した。

 一人の女性が地面に仰向けで組伏せられている。両側から二人の強面の男が暴れる女性の腕を押さえていて、さらにもう一人いる一際身体が大きい男が馬乗り状態になっていた。その男の体毛に覆われた骨太い手が、抵抗しながら叫ぶ女性の口を強引に塞ぐ。


「うっせぇ!  静かにしやがれ! 死にてぇのか!」

「ん~~!」

「お利口にしてたら帰してやるからな~」

「そうそう! 大人しく俺らと遊ぼうぜ~」

「っ、いやぁ! やめて!」


 顔をぶんぶんと振って大男の手の隙間から叫ぶ女性。恐怖に染まった瞳からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれていた。

 そんな姿に愉悦を感じているのか、男たちはせせら笑いながら、必死の抵抗で暴れる女性の着物に手をかける。

 

 状況を理解して奥歯を噛んだ環は、社の影から飛び出した。

 馬乗りになっている男の背後から体当たりすると、思っていたよりも勢いよく転がってくれた。突如出てきた環に驚いて固まっている残りの男たちの薄汚れた手を女性から引き剥がして、急いで女性を立ち上がらせる。


「大丈夫ですか!?」

「え、あ……は、はい」


 涙と土埃でぐしゃぐしゃになった顔の女性が、状況を理解できていないようなぽかんとした表情で環を見る。頷いてはいるが、反射的にといった感じだ。

 さっと女性の全身を確認して怪我はしていないと判断した環が乱れていた彼女の着物の襟元を直すと、気まずそうに俯いてしまった。


「っ、なんだてめぇは!?」


 起き上がった男が環に向かって凄む。取り巻きのように残りの二人も怒気を顕にした顔で並ぶ。

 環も負けず劣らずの目を吊り上げた怖い顔で男たちを睨んだ。


 ――人間ほど極悪非道な生き物はいない。

 こんなときに限って、父から教えられた言葉に納得できてしまうのが悔しい。嫌でもそう思わされる。

 自分の中で何かがぷつりと切れた音がした。動き出した歯車は止まらない。

 体の奥から怒りが――妖力に変わって湧き出てくる。


 男たちから目を離さないまま女性に言い放った。


「……走って、逃げてください」

「え?」

「いいから早く逃げて!」

「は、はい!」


 走り出した足音を背後で確認する。素直に言うことを聞いてくれて環は内心ほっとした。


「あっ、てめぇ!」

「逃がすかよ!」


 すぐに取り巻きの強面二人組が逃げる女性に気付いて追いかけようとしたけれど、両手を広げて男たちの前に立ち塞がった。怒りから威圧感をまとった環に進路を塞がれて、男二人は押し退けることさえできずに尻込みする。

 そんな強気な態度の環を見て大男が興味深げに眉を上げた。


「嬢ちゃん、いい度胸してんなぁ」


 大男は口角を上げながらぐいっと距離を詰めてくると、環の顎を乱暴に掴んで上向かせた。


「ほう? こえー顔してるけど、よく見りゃあかわいい顔してんじゃん」

「気安く触らないで」


 温度が低い声で言いながら手をはねのける。汚らわしい。


「おー、怖い怖い。なかなか肝が据わった高飛車なこと。……でもなぁ! いつまでも調子のってんじゃねぇぞこのくそアマ!」

「……っ!」


 不気味な笑みが張り付いた大男に首を掴まれて地面から足が離れた。ぎゅっと喉が絞まり、息ができない苦しさから逃れようと足をばたつかせてもがく。

 威勢がよかった環があっさりと大男の腕一本で吊り上げられている姿を、残りの男たちはニタニタと笑って見上げていた。


「俺たちのお遊びを邪魔してくれたんだ。ちゃーんとおまえさんが責任取ってくれるよなぁ?」


 大男は興奮しているのか鼻息が荒い。口角を上げた男が首を絞めているのとは逆の手を環の胸元に伸ばしてきた。しかしそれが到達する前に環の手が太い腕を掴む。

 環は首を絞めている方の男の手にも片手を添えて、余裕を見せつけるように口角を上げた。


「んあ?」


 環の不敵な笑みに大男が気が付く。

 その直後、突然どこかから現れたムカデが大男の手の甲を這った。腕から指先まで、大量のムカデが毛深い肌の上でわさわさと縦横無尽に動き回る。


「うお!? なんじゃこりゃ気持ちわりぃ!!」


 環を解放して慌てて手を払う。しかし大男が再度自分の手に目を向けたときには何もいなかった。焦った様子で地面も確認するがムカデはどこにもいない。

 辺りは白い濃霧に包まれていて、大男はムカデだけではなく周りに誰の姿もないことに気付いたようだ。きょろきょろと慌てた様子で目線を彷徨わせて、環と仲間の姿を霧の中から見出だそうとしている。


「は? おい、おまえらどこに――」


 大男の耳元でブンっと蜂が羽ばたいた。咄嗟に耳を覆いながら手を振り回す大男に、次から次へと大量の蜂が襲いかかる。


「ちょ、なんだよこれ!? どこから湧いてきやがる!」


 霧の中でもがく大男。そのそばでは仲間たちも虫に襲われて喚きながら逃げ回っているが、お互いの目にその姿は一切映っていなかった。近くにいるのに声も届いていない。


 白い濃霧自体が、環の幻術によって作り出された空間だった。そこに(おび)き寄せられ迷いこんだ男たちには在りもしないものが見えている。それぞれの視点では、周りに誰もいない中一人きりで虫の奇襲を受けて暴れもがいているだろう。


 環のくすくすと笑う声だけが男たちの耳にも届く。境内で喚いている男たちから距離をとり、霧の向こう側で環は満足そうに笑って眺めていた。

 その姿はほぼ人間だが、狐の耳と尻尾が顕現している。悲鳴が上がるたびに機嫌よく尻尾が揺れた。もちろんその姿も、男たちには見えていない。


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