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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆1章

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7/12

桜と焔 (7)


「よかった。受け身し損ねたからひやひやしたよ。でも、君が無事ならよかった」


 そう言いながら少年は後ろ手に自身の背中を擦っているので、環は申し訳なく思った。彼にとって自分は、身体を痛めてまで助けるべき存在だったのだろうか。

 恩を感じているのに借りを作ったような居心地の悪さがあり、しゅんと尻尾が地面に垂れる。なぜか少年の眉も下がった。


「……鐘の音、嫌だったよね。目眩とか大丈夫かな」


 それはもう大丈夫。くぅんと鼻を鳴らす。


「そっか、大丈夫そうか。……あの音、僕も嫌いなんだよね。鳴らす練習をしていただけで、君の前ではもう鳴らさないから安心して」

「……?」


 ため息混じりに呟かれた言葉の意味が一瞬わからなかった。見上げると、少年は自嘲するみたいな歪な笑みを口元に携えていた。漆黒の瞳がゆらりと揺らいだ気がする。


 あの鐘の音は、人間もそんなに不快に感じる音なのだろうか。あやかしに対して効果があるのは身を以て体験したのでわかるけど、まさか扱う側の人間ですら嫌がる音だったとは……。

 そんなの、下手すると自滅するだろう。あやかし祓いの鐘はとんでもない道具のようだ。


 環としても二度と聞きたくない音だったので、鳴らさないという少年の言葉には安堵する。この少年の言葉には嘘の気配がなかった。


「でもここにいたら危ないから、早く自分のお(うち)へお帰り。()()()は君が遊べる場所じゃないよ」


 気遣うような言葉なのに、少年の顔からすっと笑みが隠れる。些細な表情の変化だけで、有無を言わせない圧を感じ取った。

 目に見えないけれど、確かに二人の間に線が引かれた。いや、もともとあったそれが浮き彫りになっただけだろう。自分たちはあやかしとあやかし祓いだと再認識しただけに過ぎない。


 ……そのくせ、変な人だ。

 妖狐だと気付いてるはずなのに身体を張ってまで助けてくれたし、今だって見逃そうとしてくれているのだから。


『――いいか。絶対に人間に心を許すな。こちらがあいつらを騙してやるのだ』


 凄んだ顔の父が脳裏を過り、瞬く間に思考を支配してくる。

 妖力を操る鍛練をする際に、父が子どもたちの前で必ず口にする決まり文句だ。その信念のもとに人間を欺ける妖術を使えるようになれと、いつも厳しく父から指導されている。


 あまりにもしつこく言い聞かされてきたので環にとってはそれが当たり前だし、それが正しいとか正しくないと疑う余地もなかった。

 人間より優位な立場になるのが、妖狐としての誉。父上はそう言っていたけれど……。


 環はぎゅっと目を瞑って父の顔を頭の中から追い出す。そして今も自分の頭を撫でている少年の手に頬擦りした。


 ――ありがとう。

 環なりの感謝で、精一杯な人間への歩み寄りの気持ちだった。


 環の気持ちが通じたのかはわからないけど、少年はそっと手を離して微笑んだ。それが別れの合図となり、環も茂みへ駆け込む。

 そのまま振り返らず妖狐の里に向かって走り続けた。信じたとおり、逃げる環を追いかけてくる気配はなかった。



 ◆ ◆ ◆



 桜の木を見上げながら物思いにふけていた環は、後頭部の桜の花びらの髪留めに添えていた手を下ろした。


 ここであの男の子と出会ってから、人間の姿に化けるときは桜の髪留め(これ)をつけるようになった。

 なんだか、桜が咲いていたあの日の思い出を忘れたくなくて……。ううん、忘れちゃいけないような気がしたから。


 人間にも、優しい人がいる――そう思うと、心の奥がざわざわとうるさくなる。あの少年との出会いが、生まれながらに教え込まれていた人間の印象を滲ませていた。


 妖狐の里では、人間ほど極悪非道な生き物はいないとずっと教えられてきた。

 かつてはあやかしと呼ばれる妖力を持った生き物たちも人間も共生していたのに、大きな争いを起こしてあやかしたちの住処(すみか)を奪った憎くて仕方ない(かたき)

 大戦を機に異能持ちの人間を集結させてあやかし祓い隊まで成し、今も生き残りのあやかしたちを見つけ出して祓うことを厭わない。どこまでもあやかしを滅ぼそうとするほど無慈悲で醜悪。


 あやかしたちにとっては目の敵で、本当なら少年に見つかったときに環の命は終わったも同然だった。相手はまだ少年といえども、あやかし祓いの鐘を鳴らせる異能持ちの人間だったのだから。


「……でも、助けてくれたんだよね。あやかしだって見破られていたのに」


 相手がまだ年若かったから気まぐれで助けてくれただけ、まぐれで命拾いしただけ……。そう自分に言い聞かせて、父上に言われるままに妖狐として一人前に人間を騙せる力をつけようと思ったりもした。

 だけど実際に人間の町に紛れ込むようになって人間たちの様子を見ていると、人間とあやかしなんて、姿形が異なる以外は実はそんなに変わらないのではって思うこともあった。


 何せ、かつては共生していたのだ。

 大戦後にあやかしたちの多くは人間が寄り付かない迷い岳などに住処を移したが、暮らしぶりに関してはほぼ相違がない。


 同じように食べるし、同じように寝るし、同じように働く。自分たちと同じように生活を営んでいるせいか、里の大人たちが話す人間像とは上手く結びつかないようなちぐはぐな感じがしてしまう。

 

「……なんて、こんな考えだからいつまでも父上たちに怒られるのよね」


 昨晩の夕食時の記憶が甦り、項垂れてため息をついた。

 そもそも、あやかし祓いが存在していている時点で人間はあやかしを悪とみなしている。あやかしを助けてくれる人間がいても稀有であり、人間たちの総意はそちらなのだろう。


 甘く見ているといつこちらがやられるかわからない。共生時代が終わっている今は、そういう危険を孕んだ状態だ。


 人間たちから精気を奪い、妖力を高め、異能持ちのあやかし祓いとも対抗できる妖狐になれ――。

 散々大人たちから言われてきたそれも、生きていくためであり身を守るためだと理解できる。


「でも人間から精気を吸うのは抵抗あるし……」


 小さく唸って頭を抱え込んだ。

 妖力が今のまま増えずに尻尾1本でも生きていける。あやかし祓いと出くわさずにいれば平穏に過ごせるはずだから。


 しかし人間を騙せず精気も吸わない落ちこぼれの妖狐でいれば、いずれは九条家からは見放され勘当されるだろう。

 家から追放ともなれば九条家の面子を重んずる父が妖狐の里にいることを許してくれるとも思えない。そんな最悪の結果を見据えて独り立ちするための資金を蓄えたいが、それはそれで環にとっては厄介な問題がついてくる。


 妖狐の里で働き口を探せないとなれば、人間の店で働かせてもらわねばならない。

 だけど人間のお店で働かせてもらって関わりを持つとなると何かしら嘘をつかなきゃいけなくなる。そうすると騙したことになって精気を吸いかねないし……。


 きのこを買い取ってくれたうどん屋店主から精気の光が滲み出ていた姿が脳裏にちらつく。今日環からきのこと山菜を買い取ってくれた人間たちは、皆が同じように精気を滲ませていた。


 環は変化の術しか使っていないし、自らの姿を偽っている点以外では嘘らしい嘘はついていない。それでもあれだけ簡単に、精気は滲み出るのだ。


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