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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆1章

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5/12

桜と焔 (5)


「あと何回、これを繰り返せばいいのかな……」


 妖力を増やせなくても、せめて里を出て一人で暮らせるほど立派に稼いだら父上に許しをもらえるだろうか。そんな淡い期待を胸にちまちまと小銭を稼ぐ日々を過ごしているが、まだまだ先が長そうだ。


 もちろん家族が望んでいるのは金銭ではなく、それを上手く奪取できる妖狐としての実力なのだろうけど――。


 さわさわと柔らかな風が吹き、俯く環の頬を優しく撫でた。顔を上げると、社のそばの満開の桜の大木の枝が夜風で揺れていた。花吹雪が環を包み込む。

 膝の上にはらはらと落ちてきた花びらを掴んで桜の木を見上げると、環の胸の内で今でも色褪せていない思い出と重なって見えた。


 ――人間を騙したくない。

 思い出に刻まれた自分の信念が揺らがないことを確かめるように、環は後頭部の桜の髪留めに触れた。



 ◆ ◆ ◆



 環は10年前にも、この人間の里の神社に来たことがあった。


 その日、社に寄り添う桜の大木は晴天に映える淡い色の可愛らしい花をたくさん咲かせていて、枝が揺れるたびに花びらが境内にはらはらと舞った。


 枝の揺れに合わせて、幹の根元にいる子狐姿の環が右往左往した。環の視線の先の細い枝の上には子狐姿の零と弥助、それに美和と珠里もいて、不安定な足場を気にすることもなく跳び回って遊んでいる。


 兄姉たちの楽しげな笑い声とは裏腹に、木の下でおろおろする環は震えた声を絞り出した。


「兄さま姉さま、もう帰りましょう! 人間に見つかってしまいます……!」

「大丈夫よぉ、こんな町の外れに来る人間なんてそうそういないわよ」

「環はほんとに臆病者ね~」


 美和と珠里が環を見下ろしてくすくすと笑う。


「で、でも……。子狐だけでこんな人間の町に来ているのが父上や母上にばれたら……」

「大丈夫だって。ばれやしねぇよ。父上たちなら出かけてるぜ」

「環、今さらごたごたうるさいぞ。俺たちが遊びに行くと知って勝手についてきたのはおまえだろう?」

「……っ、それは、みんなが心配で」


 弥助は環を小馬鹿にしたように歯を剥き出して笑っていた。零のつり上がった冷ややかな目は環を射抜くように鋭く、逃げるように目を逸らしてしまう。


 大人たちにつれられて妖狐の里を出たことはあるけど、まだ変化の術も安定しない子狐である環と兄姉たちは一人で人間に接触することは禁止されていた。万が一に備えて、人間が滅多に寄りつかないとされる迷い岳ですら子狐だけでの行動は御法度だ。


 だから、言いつけを破って遊びに行く兄さまたちが心配で、止めたい一心でここまでずるずるとついてきてしまったけれど……。


 顔を青くしている環を余所に、皆は子狐だけでの秘密の体験に興奮しているのか、目を輝かせながら笑っていてとても楽しそうだった。

 蚊帳の外な環は耳を垂れ下げて、せめて人間がここに来ないことを願いながら辺りを窺って兄姉たちを見守るしかない。

 

 自分は、ただの邪魔者なのだろうか。だけど……。

 環はぐっと歯を噛み締めて意を決すると、勢いをつけて一気に桜の幹を駆け上がった。兄たちがいる枝へ、重なる桜の花をがさがさと分け入って辿り着く。


「やっぱり、こんなの危ないです! 人間に見つからないうちに、もう帰りましょう」

「もうっ、しつこいわね!」

「帰りたきゃ一人で帰れよ!」


 珠里と弥助が顔をしかめて環の身体を小突いた。環は枝をしっかりと踏んでふらつくのを堪えると、めげずにその場に留まる。

 説得を諦めない環に、美和は呆れたように息を吐いた。


「環なんて放っておきましょう。それよりみんな、せっかくだから化けて商店街の方にも行ってみない?」

「そうだな。ここまで俺たちだけで来れたんだ。最後に人間にいたずらでもしてやるか」


 美和の提案に舌なめずりしながら頷く零は完全に乗り気だ。環は焦りを募らせる。

 零はやろうと思ったことは必ずやる性格なのだ。そして長男の言うことなら、皆は喜んでお供するだろう。


「そんなの危ないっ……!」


 ――カーン……!


 環の叫びに近い制止の声と、不気味な音が辺りに響いたのはほぼ同時だった。甲高い、鐘のような音だ。


 音は頭の中を暴れ回るように反響し、唐突な目眩に環は吐き気を催す。息をするのがやっとだった。同じ症状に見舞われているのか、顔色の悪い兄姉たちはふらついて枝から落ちそうになっている。


「ややっ、やっべぇぞ、あやかし祓いの鐘だ!」


 枝にしがみついて爪を立てた弥助が狼狽えながら叫ぶ。


 カーン、カーンと。規則的に鳴りながら音が先ほどより大きくなり、迫ってくるただならぬ気配に環は身震いした。


 これが、あやかし祓いの……。父上たちから、あやかしが嫌う音を鳴らす人間たちのことは聞いたことがある。

 初めて本物の音を聞いたけど、なに、これ……。


 カーン、カーンの響きに合わせてズキンズキンと頭が痛み、環の顔がしかむ。美和と珠里は狐姿の短い前足で懸命に耳を塞ごうとしている。零と弥助も苦悶の表情を浮かべているが、零は環たちより鐘の音の影響が少ないのか、まだ冷静さを保てているようだ。


「……まずいな、山に向かってきてる。経路的にここも通るかもしれない」

「えぇ! まずいじゃないそれ!」


 目を細めて音の動向を探っていた零が漏らした言葉に、美和は思いきり目を見開いた。珠里の瞳にたちまち大粒の涙が浮かぶ。


「うわーん、怖いよ~!」

「泣くなうるさい!」

「うるさいのはこの変な音でしょ!?」

「ちょっと珠里と弥助! こんなときに喧嘩しないでちょうだい!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てながら揉みくちゃの取っ組み合いを始める珠里と弥助を美和が仲介しようとするが、逆に殴られた美和まで参戦する始末になっていた。


 鐘の音は鳴り止んでいないのにもうそんなに動けている兄姉たちが、環は不思議でしょうがなかった。

 環はぐるぐると回る視界の中で目を開けているのも一苦労で、荒い呼吸をしながらどうにか落ち着こうと試みる。


「ちっ、予定変更だ! 境内の裏から帰るぞ!」


 さすがに身の安全が第一と零は判断したらしい。騒ぐ弟妹(ていまい)たちにぴしゃりと言い放つと、いの一番に枝を下りた。

 零の言うことには従う3人は置いていかれるのは困るとでも言いたげな焦った様子で、すぐに喧嘩をやめて零のあとを追う。


 枝から次々に飛び降りた兄姉たちは、そのままさっさと境内の社の奥の茂みへ姿をくらました。全身が震えて動けない環のことなど、誰も気に留めずに。


「やだっ……待ってよ……」


 か細い声で助けを求めるが、無情にも誰も戻ってきてなどくれない。むしろ4人の妖力の気配が遠ざかるのを感じてしまい、枝に取り残された環の胸は締め付けられた。


 ど、どうしよう……。早く逃げなきゃ。だけど頭が痛いし、脚が震えて……。


 平常時なら気にならないのに、枝から見下ろした地面がやけに遠く感じた。脚を踏み出そうとするが、震えるだけでびくとも前進してくれない。


 カーンとさらに音が大きくなる。何かが境内に入る気配に、環はぎゅっと目を瞑った。


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