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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆1章

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2/12

桜と焔 (2)


 里の入口からもよく見える二階建ての大きな屋敷が環の生家だ。

 嫌でも目に入るほど主張が強い橙色の玄関幕は、現存する妖狐の中で最も格式高い家であることを誇示したい環の父の指示で年中掛けっぱなしである。簡単に風に靡かないほど分厚い布でできた玄関幕には、九条家の白い家紋が描かれている。


 ――九本の尾を持つ九尾。


 妖力が強く妖術にも長けた妖狐が多く産まれる九条家では、妖狐として強さの象徴である尾の数が9本になる者が多いのだとか。家紋はそれに由来すると聞いている。九条家の始まりの妖狐が九尾だったという諸説もあり、父にとっては九尾の妖狐にまつわるほど妖力が高い家系である自負がとにかく重要なのだ。堂々と掲げられている家紋を見るたびにそう思い知らされて気が重くなる。


 胃がきりきりと痛み、尾骨から生えている1本だけの尻尾がしゅんと力なく垂れた。


「ただいま戻りました」


 格子ガラスの玄関引き戸を開けてすぐ、三和土(たたき)にいつもより履き物が多く並んでいることに気付いた。一番大きいのが父の草履、その隣の小振りな草履が母の物、さらにその隣に二足ぴったりと並ぶ黒い編み上げブーツは環の姉の美和(みわ)珠里(しゅり)の物だ。今日はそれらに加えて、母とは反対側の父の隣に革靴が二足増えている。


 (れい)兄さまと弥助(やすけ)兄さま、帰ってきてるんだ……。


 自分が脱いだ草履を珠里の隣にそっと並べていた環の耳に談笑する声が届く。大広間の方から聞こえてくる楽しげな両親の笑い声が響けば響くほど、商売のために自立して家を出ている兄たちの帰省を喜んでいる様子がここにいても伝わってきた。

 ぼろぼろの薬草が入った竹籠を持つ手に力が入る。環はそれを自室に置きに行ったあと、一応身だしなみに乱れがないかを確認してから大広間へと向かった。土汚れはちゃんと消しておいたから大丈夫なはず。


 座敷になっている大広間では、環以外の家族全員がすでに夕食の席に着いていた。

 上座には、体が大きくて威圧感のある父が太さも毛並みも立派な9本の尾を畳の上に広げてどっしりと構えている。


「はっはっは! 零、弥助、おまえらももっと飲め飲め!」


 お膳のそばにはすでに飲み干してあるらしい酒壺が数本倒れている。上戸の父は顔を真っ赤に染めながら、非常に上機嫌な様子で兄たちのお猪口に新たにお酒を注いでいた。

 父の左右に座っている零と弥助は、満更でもない様子でお酌を受けて(あお)っている。


「ありがとうございます、父上」

「父上、今日はやけにいい酒を用意してくれてるな」


 二人は揃いの7本の尻尾をゆらりとご満悦な様子で揺らす。普段は凛とした顔であまり表情を崩さない零の口元が綻んでいた。弥助はお酒と肴を豪快に流し込んで満足そうに笑い、父にそっくりな彫りが深い顔を同じように赤く火照らせている。


「零と弥助しか我の晩酌の相手は務まらんからのう。今日は帰郷の報せを聞いていたから、うんといいものを仕入れておいたぞ。遠慮せずにたーんと飲め! 今夜は飲み明かしに付き合ってもらうぞ!」

「あらあら旦那さま、嬉しいのはわかりますが飲みすぎはいけませんよ。それと、あまりこの子たちに無理させないでくださいね。この子たちは明日も仕事に行くのですから」


 細身だけど美しさのある8本の尻尾を携えている幽玄な雰囲気の母が、懸念するように兄たちを見てから父をやんわりと諭す。兄たちはまだそこまで派手に飲んでいる様子はないが父は相当出来上がっているようなので、母としてはどちらかというとそちらを諌めたいようだ。


 しなやかな4本の尾を持つ美和は、見慣れたやりとりを眺めながら悠然と食事を口に運んでいた。一方で珠里は箸がほとんど進んでおらず、2本の尾をゆらゆらと動かして何だかそわそわして見える。

 そんな珠里の隣、この部屋での下座にあたる位置には誰も座っていない座蒲団があった。環の席である。すでにお膳は配膳されていたので、環は歓談の邪魔にならないように静かに席に着いた。


 あやかしは妖力で序列が決まっているので、環がまだ居なくても家長の父の権限で夕食は用意されるし、父が食べ終わればお開きとなり、次第にお膳は下げられる。妖力が低い者は格上に合わせて行動するのが基本で、たとえ流れに乗れずに痛い目に合おうともすべて自己責任とみなされる。


 だから遅れて帰宅した環を憂慮する者はこの場にいない。入室した際に見定めされるような視線だけはさりげなく向けられたが、環にとって家族のその目に晒されるのはもはや当たり前で、今はできるだけ夕食を食べ進めることが最優先だ。

 今夜の晩酌は普段よりは長引きそうな気配はあるけど、食べ損ねないためには遅れを取り戻さないと……。

 手を合わせてお箸を持つ。お膳には稲荷寿司や油揚げと山菜の煮物、油揚げがたんまりと入った味噌汁が並ぶ。最初に口をつけた味噌汁はすっかり冷めきっていたけど、油揚げの旨味は環の胃に優しく染み渡るような安心感があった。


「……それで、零と弥助よ。今日帰ってきたということは、例の人間どもを上手く欺いてきたのか?」


 期待を込めて目を爛々とさせている父の言葉に、環の身体が強張る。兄たちはたちまち誇らしげな顔になり、環以外がそれに食いつくように箸を止めた。


「もちろんですよ、父上。当初の予定通り、滞りなく商売してきました」


 零はかけている眼鏡を押し上げながら口角を上げる。そして指を鳴らすと、ぽんと薄煙とともに風呂敷包みが現れた。零はその包みを丁寧に開き、中身を父に見えるようにして差し出す。

 父の顔がわかりやすく悪い顔になった。包みの中身――百枚は越えるであろう整列していた小判を両腕で雑に抱え込む。恍惚とした笑みが、環の目には卑しく映った。


「おおっ!! これはまた見事な量ではないか! たまらんなっ!」

「喜んでいただけたようで何よりです」

「父上、報酬はそれて終わりじゃねぇぜ!」


 零と同様に弥助が指を鳴らすと、また同じ大きさの風呂敷包みが現れる。父がごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。弥助が自慢げに笑って開いた包みの中身はもちろん、さっきと同じ量があるように見える小判だ。


「なんと! まだこんなにも奴らから搾り取れたのか!」

「ああ。あの人間、俺と零兄さんのことをすっかり信用してたからな。最後にはこっちから仕掛けなくても金を出す始末さ」

「見事に騙されて滑稽でしたよ」

「まさに狐につままれた顔だったな!」


 兄たちは意地の悪い笑みを浮かべて互いを称えるように視線を交わしている。息子二人の働きに父は感心するように頷き、「偉いぞおまえら! やっぱり今日は朝まで祝い酒だ!」と兄たちの盃に溢れるほどの酒を注いでご満悦な笑い声を上げた。


 母も姉たちも喜色満面でさらに兄たちの話を聞こうと身を乗り出す勢いだったが、環は聞くことを拒否するように家族の会話を意識から遠ざけた。

 この場の空気に馴染めないせいか、食べ進めていた好物の稲荷寿司ですら途端に喉を通りにくくなる。


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