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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆2章

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あやかし祓いの目的 (5)


 寧々子が環の背中をぽんと軽く押して部屋を出るように促す。

 廊下には等間隔に扉が並んでいた。環がいた客室と同じような木目調の扉には植物の蔦のような模様が彫られている。

 それらの前を通り過ぎて階段を下り、また長い廊下を歩いた。途中で玄関ホールの前を通りかかったのでここが1階らしい。

 寧々子曰く颯が一人で暮らしている邸宅らしいが、客室らしき部屋も多くて一人では持て余しそうな広さに感じた。


 先ほど環が目覚めた部屋も廊下も全体的に内観は洋装な雰囲気で、座敷ばかりの九条家の屋敷とは随分と雰囲気が異なっている。環は先導する寧々子について歩きながら、興味深げにちらちらと壁飾りや見慣れぬ電灯を見ていた。


 妖狐の里では和輪国の伝統的な和装を模した建物ばかりだが、近年の人間の里は国外との貿易が盛んな影響で物珍しい洋装が流通してきている。

 それは建造物だけでなく人間たちの装いにも現れ、人間の真似をして袴姿になるときに環は草履を履いているが、姉たちは巷で流行りの編み上げブーツに合わせて変化している。


 確かあやかし祓い隊の格好が詰襟の軍服にケープコートと固定されたのも、ここ数年の間だったように思う。

 今まで環は特にこだわりもなく慣れているというだけで和装に変化していたが、先ほどまで借りていたワンピースの寝間着の着心地のよさを思い返し、洋装も悪くないかもしれないとぼんやりと思った。今度、変化できるか試してみよう。


 そんなことを考えながらふと、廊下の硝子窓の向こうの庭に目を向けた。綺麗に芝刈りされた広い芝生を囲うように垣根が広がっていて、この大きな屋敷がもう一棟は建ちそうな土地の面積が窺える。

 やっぱり一人で住むには広すぎるように思うけど……。垣根の外の様子が少しでも見えないかと顔を動かしたとき、空が歪んで見えた気がして環はハッと息を呑んだ。


「何か、気になるものでもありましたか?」


 ちょうど立ち止まって振り返った寧々子にそう問われた。


「あ、えっと……。外を見たら、結界が張られてるなと思って」

「ああ、颯様の結界ですね。この邸宅は人里からは少し離れているのでそうそう普通の人には見つからないのですが、念のために常時張られているのですよ」

「常時? この規模の結界を一人で?」

「はい」


 寧々子はさらりと説明してくれるが、環からすると驚愕の事実だった。

 妖狐の里よりは範囲は狭いとはいえ、常時結界を張るにしては広すぎる。しかもそれを一人で保とうとするのならなおさらだ。


 妖狐の里では妖力が豊富な高位の妖狐たち――九条家の者や里長の一族――が交代で結界に妖力を流し込み補充することで、里を人目から隠す帳を維持している。両親や兄姉たちももちろんそれには日頃から貢献していて、環も九条家のお役目として微力ではあるが結界維持の儀に参列した経験があった。

 環が使ったのは本当に微量な妖力だ。それでも結界の安定を目的に一定量の妖力を込めるのにはなかなかの集中力が必要で苦労した覚えがある。一時的にまやかしの異空間を作り出す方がまだ楽と思えてしまうほどに。


 そんな、あやかしでも数人がかりで行うのが一般的な常時の結界張りを、颯はたった一人でこなしているらしい。

 もはや驚きを通り越して戸惑いになる。


 環は空に広がる帳に目を凝らした。結界の境目はこちら側から歪んで見えるが、外側からはきっと何もないように見えているに違いない。

 客室の扉にだけ張られた結界とは比べ物にならない規模をたった一人で持続させるなんて、環が思っている以上に颯は人間の中でも手練れの異能持ちなのだろう。


「安心してください。あの結界は外からの侵入を制限しているだけで、内側からは簡単に通れます。もちろんあやかしの私たちも、すぐに出ることができますよ」


 結界の質量を見極めようと目を凝らしていたら、寧々子にそう諭された。あやかしである環をここに監禁するためのものではないと教えてくれているようだが、環はすっかりその考えが抜けていたので眉を下げて微笑む。


「教えてくれてありがとうございます。そうですよね、あれは確実に、寧々子さんを匿うためのものだってわかります」


 環の言葉に肯定するように寧々子は頷く。


「はい。ですから環様も、この邸宅にいる間は気張らず楽にしてお過ごしください。先ほども説明しましたがここに住んでいるのは颯様だけですし、来客も颯様が結界を通るのに制限していない方々に限られますから」


 言いながら寧々子は立ち止まっていた先の扉を手で示した。


「さあ、ダイニングに着きましたよ。どうぞお入りください」

「ありがとうございます」


 寧々子がダイニングの扉を開けた。ぺこりとしながら環は中に入る。

 ダイニングチェアに座って新聞を読んでいた颯が、おずおずと入ってきた環に気付いてにこりと微笑みながら紙面を畳んだ。

 寧々子がそれに気付いて受け取りに行く。新聞ラックに片付けるとそのままキッチンの方に消えてしまい、一人残されてしまった環は落ち着かない様子で視線を彷徨わせた。


 朝日の柔らかな光だけでも十分明るいダイニングの中央には6人は座れそうな木肌が滑らかなダイニングテーブルがあり、颯はその片側の真ん中に座していた。

 突っ立ったままの環に、颯は自分の向かいの席を手で示す。


「さあ、遠慮せずに座りなよ」

「は、はい。ありがとうございます」


 いつもの実家の癖で下座に座ろうと思っていたが、颯が促してくれたのでありがたくそこに座ることにした。

 深紅の座面のダイニングチェアはふかふかしていて、ダイニングテーブルの縁はよく見ると細やかな飾り彫りが施されていた。


 言われるがままに大人しく座った環の行動が意外だったのか、颯が一瞬目を見開く。


「あれ、随分素直に言うこと聞いてくれるようになったね。また、帰りますって言われるのも覚悟していたんだけど……。どうやら、寧々子さんから何かしら僕の話でも聞いて、警戒心を解いてくれたって感じかな」

「……そう、です。ご厚意のようなので、ありがたく受け取ろうかと思いまして」

「ははっ、本当に君は正直だね」


 何が面白いのかわからないが、颯は楽しげに表情を綻ばせながら手元にあった珈琲カップに口をつけた。

 ……変な人。あなたを警戒していたと明かしているのに、むしろそれを楽しんでいるような様子だ。


 そんな颯を改めてまじまじと見る。

 目鼻立ちが整った涼しげな顔なので、目を伏せて珈琲カップの中を覗いているだけでも洗練された雰囲気を醸し出していた。

 歳は人間の姿の環とも近そうでまだ若そうだが、昨日の異能の扱いこなし方や常時結界を張れる実力を鑑みるとあやかし祓いとしてはかなり手練れだとわかる。

 気配を消すのも上手いし、そりゃあ大火の厄災戦中から今でも寧々子さんを一人で匿ってきたのも納得できる……あれ?


 不意に、違和感が脳裏を過った。


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