桜と焔 (11)
ずっと人間から精気を奪うことを避けてきたのに、あのときは躊躇いもなく精気の光に触れようとしていた。懲らしめる……そんな大義名分を振りかざして自分がしようとしていたことが、環は今になって恐ろしく感じた。
歯止めが効かなかった自分自身が一番厄介だ。
「――だから、私こそ止めてくれてありがとうございます。おかげで、必要以上に傷つけずに済みました」
ぺこりと頭を下げる。彼があやかし祓いの鐘を鳴らしてくれたから、すんでのところで精気を奪わずに済んだ。男たちに腹を立てていても、精気を吸ってしまったらあとから心残りができていたに違いない。
だから止めてくれたのはいい判断だったと感謝した。そもそも鐘を鳴らしたことを詫びる必要すらないと思う。
「ふはっ、そうくるか」
お礼を伝えただけなのに、あやかし祓いは小さく吹き出した。笑われた理由がちっともわからずにきょとんとする。
「あの、何か……?」
「君、正直者だね。嘘を生業にしてる妖狐に思えないよ」
気が抜けたように微笑む男性に、環は戸惑いを隠せずに尋ねた。
「あ、あの! あなたはどうして私を助けてくれたんですか? 妖狐だって気付いてたのに人間だなんて嘘をついてまで。幻術だって全部見破ってたのに、どうして……?」
男たちに囲まれていたときから見ていたのなら、幻術を使う瞬間も見ていたはず。濃霧の異空間を作り出すところも耳と尻尾が出ている姿もはっきりと目にしていただろう。
早々に妖狐だと断定できていたのならいくらでも隙を見て祓うことも可能だったと思うけど……。
『妖狐だったとしたら、捕まえて拷問すれば他の妖狐が潜伏しているところを吐かせることもできる』
助けられた理由を考えていた環の脳裏に、今朝の出来事が甦った。あやかし祓いの人間たちが確かそう言いながら山中を探索していたのだ。
目の前の男性もあやかし祓い。つまり――。
「あっ! 私を生け捕りにして、拷問するつもりね!?」
青ざめながら後ずさる。しかし身体はまだ鐘の音のせいで本調子ではないので、地べたに座りながら微かにしか動けなかった。
もぞもぞとしか後ずされていない環を見てあやかし祓いが再び吹き出した。
「ははっ! そんなわけないよ。……まあ、他のあやかし祓いに見つかったらそうならないとも言えないけどね」
にこにこ笑いながら恐ろしいことを言われて、環は自身の身体を抱き締めながら身震いする。想像したら気分が悪くなった。
「……じゃあ、あなたはどうして助けてくれたの?」
「んー、なんでだろうね?」
「え?」
「気まぐれだと思ってくれたらいいよ」
眉を下げながら彼はへらりと笑う。明らかに誤魔化すような笑みで、はぐらかされたことにもやもやした。
環の不服そうな目を無視してあやかし祓いは立ち上がると、伸びて気絶したままの男たちに近寄った。全員を後ろ手にして手錠をかけると、鳥居の向こうに目を遣る。
環もつられるようにそっちに意識を向けると、まだ遠くではあるが気配が近付いてくるのを感じた。
「……おっ、僕の仲間がこっちに向かって来てるみたいだね」
「え、それは困る!」
さっきの彼の言葉を思い返して青ざめる。さすがに捕まるのは嫌だ。
「大丈夫。ちゃんと策はあるから」
「きゃっ!」
男性が環に近付いて屈んだかと思ったら、背中と膝裏に手を差し込まれた。そのまま横抱き状態で立ち上がられて、急な浮遊感に焦って咄嗟に男性の首に腕を回す。思いの外密着してしまい、すぐそばに眉目秀麗な顔があってどぎまぎした。
「あの、離してください! 私逃げなきゃ……!」
「一人で逃げられるの? 結構強めに鐘鳴らしちゃったから、まだ頭くらくらしてるでしょう?」
「そ、それは」
図星なので言い返せない。正直、一人で立つのもままならないだろう。どうやら彼は、環が無理矢理にでも自分の腕から下りて逃げようとしない理由を見透かしているようだった。
「僕に任せてよ、上手く誤魔化してあげるから」
男性がふわりと笑った。綻んだ笑顔はどことなく幼くも見える。
それに気を取られていると、こつんと額同士を合わせられた。瞬間、微かに優しくて甘い香りが鼻腔をくすぐった。どこか懐かしさを覚えるそれに気が緩む。全身をぬくもりで包まれるような不思議な感じがしたと思ったら、たちまち唐突な眠気に襲われた。
「あ、まっ……て」
催眠術だと気付いたときにはもう遅い。嫌でも瞼が下りてきてしまう。
狭まる視界の向こうで、男性が微笑みながら環を見つめていた。
「おやすみ、子狐ちゃん」
眠気に抗えずにとうとう目を閉じてしまうと、あっという間に環は眠りの世界へ誘われてしまった。
これにて1章は終わりです。ここまでお読みいただきありがとうございます!引き続き頑張って執筆するので応援よろしくお願いします!




