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トコノウタヒ  作者: しゅう


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第40章 シト

そこには、大岩の肌を割り、その胎内から這い出したかのような、二つの掌に収まるほどの美しい石像があった。

大岩と繋がったままのその姿は、人でもなく、神でもない。ただ、宇宙の理をそのまま形にしたような、圧倒的な調和を湛えていた。


タクは荒い息を吐きながら、誇らしげに、しかし畏れを抱いたような目で自らの傑作を見つめていた。彼の節くれ立った指は石の粉で白く汚れ、爪の間からは幾筋もの血が滲んでいたが、その痛みすら今は、遠い世界の出来事のように感じられているようだった。

タクは震える手で、石像の表面に残ったわずかな粉を、慈しむように息で吹き飛ばした。舞い上がる白い粒が、昼下がりの陽光に透けて、まるで祝福の雪のように石像の周りを舞う。

やり遂げたという達成感の向こう側で、タクはふと我に返り、今まで握りしめていた石器の重みを掌に感じた。何日も、あるいは何年も共にあったかのように手に馴染んでいたその道具は、今やその役目を終え、ただの冷たい石に戻ろうとしていた。タクの指から力が抜け、使い込まれた石器がカラン、と乾いた音を立てて地面に落ちた。それは職人が、自らの技を超えた存在に降伏した瞬間でもあった。


だが、シトだけは気づいていた。

石像の胸の真ん中、全てが収束すべき一点に、まだ小さな、しかし決定的な空洞が残されていることに。そこが埋まらぬ限り、この形はまだ「物」の域を出ない。魂が宿るための最後の扉が、まだ閉ざされたままなのだ。


(……これだ。私がずっと持っていたもの)

シトは震える手で、懐から一欠片の黒曜石を取り出した。

それはかつて、この場所で拾い、いつか「あるべき場所」に戻すと誓った聖なる欠片。


「私」の意識が、シトの指先に重なる。

「私」が誤って倒し、無機質に砕け散ったあの瞬間の絶望。それが今、シトの温かな鼓動と混ざり合い、静かな歓喜へと昇華されていく。

(ありがとう、シト。君がいたから、俺はここまで来られた)

心の中で静かに、万感の想いを込めて呟いた。その一言が、数千年の時を繋ぎ止めていた最後の結び目となった。


パチリ、と。

シトが空洞へと黒曜石を差し込んだ瞬間、この世の何よりも清らかで、透き通った音が響いた。

それは石がはまる音というよりも、世界が本来の形を取り戻したときに鳴る、宇宙の産声のようだった。

石像の芯から、淡い銀色の光が波紋のように広がっていく。その光は大岩の深部まで浸透し、タクが削り残した微細な岩肌を、内側から優しく、しかし抗いがたい力で押し広げていった。

 

音もなく、石像は大岩から剥離した。

まるで熟した果実が自らの重みで枝を離れるように。あるいは、長い冬を越えた芽が、固い土を割って光の中へと躍り出るように。

シトは、その三十センチほどの重厚な「命」を、赤子を抱くように両手で受け止めた。掌に伝わる石の温度は、驚くほど熱く、生き物の鼓動のように一定のリズムで脈打っている。

「……ありがとう。いにしえの使い様」

シトは顔を上げ、空を見つめた。その瞳には、すでにここにはいない、しかし確かに自分と共に歩んだ「誰か」への深い敬愛が満ちていた。

彼女にとって、内側にいた「私」は、はるか遠い始元の世界から、崩れかけた理を正しにやってきた高貴な魂だった。未来から来たことなど、彼女は知る由もない。ただ、大切な教えを運んできた聖なる風のような存在として、彼女の心に「声」として刻まれたのだ。


「私」の意識は、シトの身体からゆっくりと浮き上がり、白く霞む空へと溶け始めていく。

意識が離れるにつれ、シトの身体にはこれまで感じたことのない、底知れない軽さと、それと同時に胸を締め付けるような切ない寂寥感が押し寄せていた。二つの魂が混ざり合っていた濃密な時間が終わり、再び彼女は「一人」の巫女に戻る。しかし、彼女の魂の深淵には、もう消えることのない「いにしえの声」が根を下ろしていた。

高度が上がるにつれ、大岩の前に佇むシトの小さな背中と、その腕の中で誇らしく輝く石像が遠ざかっていく。

ふと、石像が産み出された後の大岩の表面に目が留まった。

そこには、石像がかつてそこにあったことを示す、滑らかで深い窪みが残されていた。それは傷跡ではなく、まるで誰かが大切に守り続けてきた「ゆりかご」の跡のように見えた。数千年の後、この跡を見た者が、ここから何かが産まれたことを思い出すための聖なる記憶の刻印。

傍らで、成し遂げた仕事の大きさに気づき、呆然と跪くタク。

さらに遠くには、夕餉の準備を始める集落の煙。

笑い合う子供たちの声。

森を抜ける風の音。

それらすべてが、一つの大きな「歌」となって、「私」の魂を包み込んでいく。

縄文の深い緑が、まばゆい光の中にゆっくりと飲み込まれていった。

最後に見たのは、シトが石像を掲げ、夕日に向かって静かに祈る姿だった。

読んでいただきありがとうございます。

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