表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トコノウタヒ  作者: しゅう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/41

第39章 シト

朝の祈りが終わった。

大岩に重なった影がゆっくりと離れ、集落の人々がそれぞれの生活へと戻っていく。狩人は弓を点検しながら森へ、女たちは赤子を背負い、土器を抱えて水場へ。

いつもと変わらぬ、そのままの光景だ。

だが、シトだけはそこに立ち尽くしていた。内側に宿る「私」の意識が、今日なさねばならないことを静かに、しかし熱く告げている。


シトは人混みを分け、集落の端にあるタクの住居へと向かった。

タクはちょうど、今日使う黒曜石の槍の刃を確かめているところだった。彼は無口だが、その指先は石の性質を知り尽くしており、彼が打つ石器は不思議と壊れず、獲物の皮を吸い付くように切り裂く。

「タク、大岩に来てほしい。あの中に眠る『形』を、今日、現さねばならない」

シトの声は穏やかだったが、その瞳には、昨日までの彼女にはなかった「未来の記憶」を持つ者の、強固な意志が宿っていた。タクは一瞬、その視線にたじろいだが、すぐに彼女の背後にある、目に見えない大きな何かを感じ取り、使い込まれた道具袋を抱えて立ち上がった。


再び戻った大岩の前。

シトは傍らにあった枝を拾うと、大岩の足元の地面を平らに均し、そこへ迷いのない手つきで図を描き始めた。

それは、シトが聴いている「声」の抽象的な響きと、彼女の中にいる「私」が現代の記憶から取り出した「図」が融合した、奇妙な図像だった。

 

円が重なり、放射状に線が伸びる。岩のどの位置に衝撃を与え、どの層までを剥離させれば、中心にある「本来の形」に辿り着けるのか。現代の「私」と縄文の聖なる文様が、土の上に一つの「正解」として描き出されていく。


「……ここを、この角度で打つ。そうすれば、岩は内側から開く」

シトの指が示す場所は、一見すると何の変哲もない、硬い岩肌だった。

だがタクは、地面の図と大岩を交互に見つめるうち、その図が岩の微細な亀裂や「脈」を完璧に捉えていることに気づき、戦慄した。職人が一生をかけても辿り着けないかもしれない石の深淵が、そこには晒されていたからだ。


「わかった。やってみよう」

タクがどっしりと腰を据え、最初の一打を放つ。

「カンッ!」

澄み渡る音が、静かな聖域に作業の始まりを告げた。

シトは少し離れた場所に座り込み、膝を抱えてその様子を見守った。

岩が打たれるたびに、火花が飛び、白い石の粉が霧のように舞う。彼女の目には、タクの打撃が単なる破壊ではなく、大岩の中に閉じ込められていた「魂」を呼び覚ましているように見えていた。

 

一人の少女が、新しい命が生まれるのをじっと待つような、その純粋で無垢な眼差し。

一方で、彼女の思考の深淵にいる「私」は、タクの所作に圧倒されていた。

石を打つ前の深い呼吸。打った瞬間に伝わる振動を掌で確かめ、次の打点を決めるまでの静寂。それは現代の精密機械でも不可能と思える、石との「命の対話」だった。

(そうだ、タク……。俺が壊してしまった過去が、今、君の手で新しく生まれていく……)


陽光が真上から照りつけ、森の緑が最も濃くなる頃、タクの作業は限界に近い集中力の中にあった。

彼の褐色の肌は汗で光り、飛び散る石の粉で白く汚れながらも、その手元に迷いはない。もはや、地面に描かれた図を見る必要さえなかった。削り出されていく「形」そのものが、次に打つべき場所をタクに教えていた。

(……見えてきた)

「私」は、シトの目を通じてその光景を見つめていた。

硬い大岩の肌が剥がれ落ちるたびに、中から滑らかな、有機的な曲線が露わになっていく。それは、現代の博物館で「遺物」として冷たく置かれていたあの石像とは違う。今、まさに大地から産まれようとしている、熱を持った生命の形だ。

その時、シトの懐にある黒曜石の欠片が、タクの打撃音に共鳴するように、かすかな震えを始めた。

 

シトは導かれるように立ち上がり、欠片を握りしめた。

タクが最後の一撃を、石像の「胸」にあたる部分へ振り下ろす。

「カンッ!!」

これまでで最も高く、澄んだ音が周囲の森に波紋のように広がった。

その瞬間、シトの視界に、逆流する記憶の渦が溢れ出した。



自分が石像を壊してしまったあの忌まわしい瞬間。砕け散る石の破片。

 


それらの映像が、今、目の前で逆再生されていく。

砕けた欠片が吸い寄せられるように一つの塊に戻り、タクの叩く聖なるリズムにかき消される。壊したはずのものが、壊される前の「起源」において、今まさに完成しようとしている。


「シト……見てくれ。これが、お前の望んだ姿か?」

タクが息を切らしながら一歩引いた。

そこには、大岩と一体化したまま、半分だけその身を現した美しい石像があった。

人でもなく、神でもない。だが、見る者すべてに「生命の理」を想起させる、圧倒的な調和の塊。

シトは震える手で、その石像のまだ粗い表面をなぞった。

 

(ああ、そうだ。この形だ。私が……俺が、守らなければならなかったのは)

シトの喜びと、「私」の深い安堵。二つの感情が溶け合い、大岩の前に光となって満ちていく。

しかし、完成を目前にしたその時、シトは気づいてしまった。

石像の「核」となる部分、最も集中すべきその一点に、まだ小さな、しかし決定的な空洞が残っていることに。

読んでいただきありがとうございます。

下の★~★★★★★で評価してもらえると勉強になります。

感想などいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ