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トコノウタヒ  作者: しゅう


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第38章 シト

ここはどこだ?

小屋……か?

「私」の意識がシトの魂の深淵に根を下ろした。

眠っているはずのシトの意識を通じて、暗闇が単なる「黒」ではなく、無数の粒子のゆらぎとして感じられる。世界の見え方は一変した。

この者は「シト」と呼ばれている。なぜ「私」はそう思うのか?分かるのか?

(シト、聞こえるか?……驚かないでくれ。私は君を奪いに来たのではない。君の中に迷い込んだんだ。)

シトは、心の内側から響くその声に、怯えるどころか深い慈しみを感じていた。彼女にとって「自分ではない者の声」は、常に大岩や風を通じて届くカム(潜象)からの贈り物だったからだ。

(……あなたは、あの岩の守り手……。壊れてしまった『形』を惜しんで、私の元へ戻ってきてくださったのですね)

彼女の純粋すぎる誤解に、「私」は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。

だが、その痛みをかき消すように、「私」の内部からの囁きが激流となって押し寄せてくる。


住居を揺らす夜風の音。

それは今まで、シトには「心地よいざわめき」として聞こえていた。

しかし、転移した「私」の知識が彼女の聴覚と共鳴した瞬間、その音は意味を持った「声」へと変換されたのだ。



「カタカムナヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ」


(現世に生きているが違う世界がそこにある事を知りなさい 生命の元は変化変遷し進んでいる 悟りを得た者よ 世界は個々の現象となり保たれている 全ての現象は世界から独立してほとばしる)



風の音が、数の概念を超えた「発生と変遷」の理を歌っている。

「私」は読み解こうと努力する必要さえなかった。シトが捉える生きた響き(振動)が、「私」の脳内で瞬時に言葉として結実する。

(そうか……。シト、君がいつも聴いていたのは、ただの音じゃない。この世界がどうやって生まれ、どうやって巡っているかという、宇宙の設計図そのものだったんだ)

「私」の驚きが、そのままシトの歓喜へと伝播する。

二人の意識は、一つの体の中で重なり合いながら、次第にその境界を溶け合わせ、より深い「理解」へと沈んでいった。


どれほどの時間が経っただろうか。

溶け合った二人の意識は、静かに瞼を押し上げた。

見えるのは、さっきまでシトが一人で見ていたのと同じ、住居の天井だ。しかし、そこに漂う空気の震えまでが、「私」には視覚的な情報として流れ込んでくる。

(……動けるか?)

「私」が念じると、シトの身体がしなやかに起き上がった。

自分の意思で動かしているようでいて、筋肉の動きにはシトの持つ野生の記憶が色濃く反映されている。羽のように軽い。現代の重たい身体とは、生命の「密度」がまるで違っていた。


音を立てぬよう、二人は外へ出た。

夜の冷気が、火照った皮膚に心地よい。

向かう先は、あの巨大な岩だ。

月光の下で、大岩はまるで巨大な生き物のように静かに呼吸をしていた。


シトの手が、岩肌の特定の場所に導かれるように伸びる。そこは、昼間彼女が黒曜石の欠片を当てていた、あの場所だった。

(ここだ……。俺が壊してしまったのは、この場所から生まれるはずだった『未来』だ)

「私」が心の中で呟くと、シトの指先から、言葉にならない熱い何かが大岩へと流れ込んだ。

岩の表面に刻まれたカタカムナの図象が、月光を反射して、銀色の糸のように輝き始める。

(直すのではない。これは、再び世に現す儀式なのだ)

シトの確信に満ちた声が、「私」の罪悪感を洗い流していく。

二人は大岩の前に座り込み、共鳴する魂のままに、静かな「声」を紡ぎ始めた。

読んでいただきありがとうございます。

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