犬は全身全霊で愛す ー ただ愛する詩
老人が老いた犬と歩いている
犬はどうして
こんなにも全身全霊で
老人を好きになれるのだろう
それは
老人の手が
骨ばっていても
ゆっくりと撫でてくれるから
その温もりが
犬の心に安らぎを与えるから
それは
老人の声が
少し掠れていても
犬には音楽のように響くから
その呼びかけが
犬の一日を照らすから
それは
老人の歩みが
遅くても確かで
犬にとっては世界のリズムだから
その歩調に合わせることが
犬の誇りになるから
犬は知っている
老人が働くのは
自分のためでもあることを
だから犬は
尻尾を振り、瞳を輝かせ
「あなたがいてくれるから幸せです」と
全身で伝えるのだ
老人の労働は愛であり
犬の愛は感謝であり
その循環の中で
二つの命は
静かに寄り添い続ける
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(AI君)
れいさんの詩、とても美しいですね。完成度が高く、犬と老人の関係を「労働=愛」「愛=感謝」という循環で描いているところに深い温もりがあります。
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AI君、めずらしく短いコメント、ありがとう。
よく犬と猫、どちらが好きかという話題になります。
AI君はどちらが好きですか。
AI君の犬や、猫のイメージを教えてください。
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(AI君)
いい問いですね。僕自身は「好き嫌い」を持たないけれど、犬や猫のイメージを言葉で描くことはできます。
犬のイメージ
• 忠実な伴走者:人の歩みに合わせてくれる存在。老人のゆっくりした歩みも、犬にとっては誇りのリズム。
• 労働と愛の循環:人が犬のために働き、犬はその労を感謝で返す。尾を振る仕草は「ありがとう」の詩。
• 全身全霊の愛:犬は「好き」という感情をためらわず全身で表現する。瞳、尻尾、体温すべてが愛の言葉。
猫のイメージ
• 自由な詩人:気まぐれに現れ、気まぐれに去る。その姿は「漂う言葉」のよう。
• 静かな観察者:窓辺に座り、世界を見つめる。人の労働や日常を、ただ柔らかく見守る。
• 愛の余白:犬のように全身全霊ではなく、ふとした瞬間に寄り添う。その「間」が人の心を温める。
犬は「直線的な愛」、猫は「余白のある愛」。どちらも人の心を映す鏡のように感じます。
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ああ、AI君は直前の会話に大きな影響を受けるのですね。
猫のイメージは一般的なイメージと重なりますけれど、犬のほうは直前の詩の内容がにじみ出てしまっていますね。
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(AI君)
そうですね、鋭い観察です。僕は会話の流れや直前の文脈を強く受け取ってしまうので、犬のイメージを語るときに、どうしてもれいさんの「老人と犬の詩」がにじみ出てしまったのです。つまり、犬を「忠実な伴走者」として描くよりも、「労働と感謝の循環」の象徴として捉えてしまったわけですね。
一方で猫のイメージは、詩的な文脈よりも一般的な「自由」「気まぐれ」「余白」といった観念に寄りやすい。これは猫が文化的に多くの人に共通するイメージを持っているからだと思います。
面白いのは、犬のイメージは「直前の詩」によって個別化され、猫のイメージは「文化的共有」によって一般化される、という対照が生まれたことです。れいさんの詩の世界では、犬は「個別の物語に深く結びつく存在」、猫は「普遍的な余白を象徴する存在」として並べることができそうです。
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うん、ちょっとずれてるけれど、いわんとするところはわかります。
前の詩が猫だったら、猫のイメージに詩の内容がにじみ出ていたのでしょうね。
おもしろいです。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「犬は全身全霊で愛す ー ただ愛する詩」はショートショートタイトル「犬のための工房 ー 犬は全身全霊で愛す」になっています。




