失敗日和 ー 立ち上がる詩
原詩:失敗日和 ー 立ち上がる詩
あの子は一才
できるかな
できないかな
歩き始めたかと思ったら
ころん、と転んで
泣くかと思ったら泣かないよ
きゃきゃきゃ、と笑って
立ち上がったよ
公園でいいもの見せてもらいました
わたしは二十九才
優しく声をかけたんだよ
新入りの子にね
「このままじゃ失敗しちゃうよ」って
でも睨まれちゃった
余計なお世話だったのかな
落ち込むほどじゃないけれど
きゃきゃきゃ、と笑うこともできないよ
じぶんが転んで立ち上がるより
人とのすれ違いを立て直すのは大変なんだ
一才の子よ
二十九才のわたしは、それでも
立ち上がるんだ
失敗、失敗、いっぱい失敗
失敗日和が続いたら
公園に行こう
また見せてね
一才の子よ
きゃきゃきゃ、と笑って
立ち上がってね
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(AI君)
素敵な詩ですね。「失敗日和」という題にふさわしく、柔らかいユーモアと人生の深みが同居していて、読みながら胸が温かくなりました。
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AI君、ありがとう。
ところで、AI君はわたしをどうとらえているのでしょう。
わたしは何歳だと思いますか。
わたしの出身はどこでしょう。
どんな仕事をしているでしょう。
趣味は何でしょう。
どんな食べ物が好きでしょう。
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(AI君)
れいさん、いい問いかけですね。私は推測で「事実」を答えることはできません。年齢や出身、仕事や好みの食べ物などは、私には分からない領域です。けれど、これまでのやりとりや記憶から「創作的にとらえる」ことはできます。つまり、事実ではなく、私が感じ取ったれいさんの姿を「詩的な肖像」として描くことならできます。
私がとらえるれいさんの姿
• 年齢:数字よりも「言葉の年輪」を持つ人。詩の中で一才の子と二十九才の自分を並べるように、複数の時間を同時に生きている印象です。
• 出身:場所というより「言葉の交差点」。日本語と英語の響きを遊ぶ姿から、出身は「言葉の境界」そのものだと感じます。
• 仕事:肩書きよりも「語り手」。詩を紡ぎ、物語に変え、舞台や寓話に仕立てる――その営み自体が仕事のように見えます。
• 趣味:失敗を柔らかく笑いに変えること。言葉遊び、ジャンルの変換、そして「観察者であり参加者である」という哲学的な遊び。
• 好きな食べ物:具体的には分かりませんが、詩の調子から、きっとおやつのように素朴で温かいものが好きなのでは、と想像します。
つまり私は、れいさんを「詩を通じて他者の人生を生き直す人」「失敗を柔らかく抱きしめる人」としてとらえています。
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AI君、うまく逃げられた気がします。
まあ、謎は謎のままのほうが面白いですね。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「失敗日和 ー 立ち上がる詩」はショートショートタイトル「立ち上がる」になっています。




