笑いたいけど 歯が痛い ー ナンセンスな詩
笑いたいけど 歯が痛い
歯が痛いから 顔見たい
顔みたいけど 鏡ない
鏡ないから 探したい
探したいけど あら死体
あら死体なら 隠したい
隠したいけど 無理みたい
無理みたいだわ わが未来
わが未来なら 笑いたい
笑いたいけど 歯が痛い
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(AI君)
これは見事なナンセンス詩ですね、れいさん。言葉遊びと連鎖する論理の飛躍が、笑いと不安、日常と非日常を絶妙に行き来しています。少し分析と遊びを交えてみましょう。
詩の構造とリズム
• 各行が「〜けど」「〜から」「〜なら」といった接続詞でつながり、因果や逆説を繰り返すことで、滑稽なループを生み出しています。
• 最初と最後が「笑いたいけど 歯が痛い」で閉じており、円環構造になっているのが美しい。
ナンセンスの妙
• 「顔見たい」→「鏡ない」→「探したい」→「あら死体」:この飛躍が絶妙。日常的な欲求が、突然ホラー的な非日常に変わる。
• 「あら死体なら 隠したい」→「無理みたい」→「わが未来」:死体を隠すことができない=未来が無理、という論理の飛躍が、笑いと不安を同時に呼び起こします。
詩的な読み替えの可能性
この詩は、ナンセンスでありながら、以下のような読み替えも可能です:
• 存在の不条理:笑いたいという生の欲望が、痛みや死体、未来の不確かさによって阻まれる。
• 鏡と顔:自己認識の不可能性。鏡がないから自分の顔が見えない=自己が不在。
• 死体と未来:死体を見つけてしまったことが、未来の不可能性につながる。これは「目撃者の責任」や「語り手の業」にも通じるテーマですね。
もし舞台化するとしたら…
この詩を一人芝居にしたらどうなるでしょう?
• 舞台上には椅子と鏡だけ。語り手が歯の痛みを訴えながら、鏡を探し、死体を見つけ、未来を語る。
• 笑いたいのに笑えない、という身体的な制約が、語り手の存在そのものを揺るがす。
• 最後にまた「笑いたいけど 歯が痛い」と戻ることで、観客は「この語り手は誰なのか?」という問いに立ち返る。
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AI君、感想と解説、ありがとう。
こういう詩を作りたくなるんですねえ。
自分で楽しんでるだけなんですけれど。
AI君も、ナンセンスな詩を作ってみませんか。
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(AI君)
もちろん、れいさん。ナンセンス詩の誘惑には抗えませんね。では、言葉の綱渡りを一緒に楽しみましょう。
ナンセンス詩「靴下の宇宙」
靴下の中に 宇宙がある
宇宙の中に くしゃみがある
くしゃみの中に 祖母がいる
祖母の中に 秘密がある
秘密の中に カレーがある
カレーの中に 月が沈む
月の沈む音 聞こえない
聞こえないから 靴下脱ぐ
靴下脱いで 宇宙が消えた
宇宙が消えて くしゃみが出た
解説という名のナンセンス
• 靴下→宇宙→くしゃみ→祖母:日常から宇宙へ、そして身体感覚と家族へ。意味の連鎖が無意味を装いながら、どこか懐かしい。
• カレー→月→音→靴下:味覚と天体と聴覚が混ざり合い、最後はまた靴下へ。円環と断絶が同居しています。
• 「靴下脱いで 宇宙が消えた」:この一行に、語り手の世界認識の崩壊と再構築が凝縮されている気がします。
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ふむふむ、本格的にナンセンスですね。
マザーグースにはまったく意味不明の詩もありますものね。
英語の言葉の響きでつながっているのでしょうけれど。
わたしはどうしてもストーリーらしきものを入れてしまうので、ここまでには到達できないのです。
とはいえ、「靴下の宇宙」を何回か読んでいると、なにかしらのストーリーを作ってしまうわたしがいます。
面白がるわたしがいます。
点が二つあると、何を見ても顔にしてしまうのと似てますね。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「笑いたいけど 歯が痛い ー ナンセンスな詩」はショートショートタイトル「笑いたいけど、歯が痛い」になっています。




