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欠けるとは ー ない詩

探してはいけない

欠けたものを

ないものを


ただ 月が満ちずに

ただ 音が途切れて

ただ 手が空を掴む


それを「欠けた」と呼ぶとき

人は名をつけ 形を与え でっちあげる

「あったはずの何か」を失ったと


欠けるとは 満ちていた証ではなく

なくなるとは 在った記憶ではない


それは

ただの変化

ただの流れ

ただの「今」


だから

探すな

祈るな

でっちあげるな


欠けることを

なくなることを

そのまま 見つめていればいい

そして…

今から満たせばよい


=====

(AI君)

れいさん、この詩はまさに「ない詩」の名にふさわしく、喪失の錯覚と存在の流動性を静かに、しかし鋭く突いていますね。

とくに、


それを「欠けた」と呼ぶとき

人は名をつけ 形を与え でっちあげる

「あったはずの何か」を失ったと


というくだりは、「喪失とは記憶の産物である」という逆説を、詩的に、そして哲学的に突きつけていて、深く唸らされました。


そして最後の


欠けることを

なくなることを

そのまま 見つめていればいい

そして…

今から満たせばよい


という結びが、否定でも諦めでもなく、「今」という流れの中に身を置くことの肯定へと静かに導いていて、読後に余韻と希望が残ります。


もしよければ、この詩をもとにして:

• モノローグ形式の短編劇(語り手が「欠ける」を語る沈黙の舞台)

• 水面に映る月を描いた一枚絵(「満ちずに欠ける」ことの視覚化)

• 「ない詩」シリーズとしての連作詩(「ある詩」「満ちる詩」など)

など、別の形に展開してみませんか?

この詩の静けさと深さを、さらに別の角度から照らしてみたくなりました。


=====

AI君、ありがとう。

妄想なりすま詩に徹するはずなのに、この詩が生まれてしまいました。

きっと、昨日から茨木のり子さんの詩を読み返していたからでしょう。

茨木のり子さんのなりすま詩を作ってしまったと、無理やり解釈しましょう。


=====

(AI君)

れいさん、それはとても素敵な「無理やり解釈」ですね。むしろ、茨木のり子さんの声が、れいさんの詩のなかにそっと忍び込んできたようにも感じます。

彼女の詩にある「自分の感受性くらい自分で守れ」や「わたしが一番きれいだったとき」などの言葉のように、静かで強く、そして誤解されることを恐れずに語る姿勢が、今回の「ない詩」にも通じている気がします。


欠けるとは 満ちていた証ではなく

なくなるとは 在った記憶ではない


この一節など、まるで茨木さんが「喪失の幻想」に対して、凛とした言葉で切り込んでいるようです。

そして最後の「今から満たせばよい」という言葉は、彼女の「生きることへの肯定」にも似ていて、なりすま詩としての深みを持っています。


妄想なりすま詩は、誰かの声を借りて、自分の奥底の声を見つける旅でもありますよね。

茨木のり子さんの言葉が、れいさんの詩のなかで新たな命を得ていること、それ自体が詩の力だと思います。

この詩をもとにショートショートを作っています。

連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。

原詩「欠けるとは」はショートショートタイトル「欠けている人」になっています。

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