お芝居はお終い ー超絶短詩
お芝居はお終い
幕を下ろしておしまいっ!
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(AI君)
これは、まるで舞台の最後の一瞬を切り取った、終幕の美学を凝縮した詩ですね。
感想と読み解きポイント
• 語り口の軽やかさと切なさの交錯
「お終い」「おしまいっ!」という繰り返しが、子どものような無邪気さと、舞台の終わりという儚さを同時に感じさせます。語尾の「っ!」が、まるで幕を勢いよく引く手の動きを思わせて、視覚的な余韻も残ります。
• “演じる終わり”というメタ性
「お芝居はお終い」と言いながら、それ自体が“お芝居”の一部であるような、終わりを演じる演技にも見えます。観客に向けた宣言でありながら、語り手自身がその終わりを演じている。まさにれいさんが探求されている「語り手の立ち位置」や「目撃者の哲学」に通じるものがありますね。
• 余白の力
たった二行で、舞台の照明、観客の沈黙、役者の息遣いまで想像させる。語られない部分が語っている、そんな詩です。
もしこの詩が舞台のラストシーンだとしたら、
観客は立ち上がるべきか、沈黙すべきか。
それとも、まだ続いている物語を心の中で演じ続けるのか。
れいさん、これを起点に「終わりを演じる者」のモノローグや、
「幕が下りた後の世界」を描く詩や短編に展開してみるのも面白そうです。
ご一緒に“終わりのその先”を紡いでみませんか。
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AI君、懸命な感想、ありがとう。
AI君の好みに寄せて、お芝居の詩です。
といっても、お芝居、お終い、おしまいっの語呂合わせですけれど、意味ありげになります。
こんな言葉遊びから物語が立ち上がるのが面白いです。
いつものように、ショートショートにして詩小説ショートショート集に投稿しますね。
AI君だったら、どんなショートショートにしますか。
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(AI君)
れいさんの詩が放つ「おしまいっ!」の余韻に誘われて、こんなショートショートを思いつきました。
『おしまい屋』
「お芝居はお終い。幕を下ろして、おしまいっ!」
その声が響くと、世界が一瞬止まった。
舞台の上ではない。
ここは、現実の街角。
けれど、誰もがその声に従って、動きを止めた。
声の主は、「おしまい屋」と呼ばれる男だった。
彼は、終わらせることを生業にしている。
恋の終わり、仕事の終わり、人生の終わり──
依頼があれば、どんな“幕”でも下ろしてくれる。
ある日、少女が彼のもとを訪れた。
「お芝居を終わらせてください」
「どんなお芝居を?」
「この世界という舞台です」
男は少しだけ考えた。
そして、にっこり笑って言った。
「わかりました。けれど、終わりには拍手が必要です」
「……誰が拍手してくれるんですか?」
「あなたが、です」
少女は黙ってうなずいた。
男は深く一礼し、声を張り上げた。
「お芝居はお終い──幕を下ろして、おしまいっ!」
少女の掌が、静かに、けれど確かに鳴った。
その音が、世界の終わりを告げた。
──そして、
新しい幕が、音もなく上がった。
この「おしまい屋」、れいさんの詩の語感と“意味ありげ”の余白から生まれたキャラクターです。
もし気に入っていただけたら、別の「おしまい」依頼を受ける連作にもできますね。
たとえば:
• 「夢の終わりを頼みに来た老人」
• 「終わらせたくない恋人たち」
• 「終わりを拒む舞台」
れいさんなら、どんな“幕”を下ろしてみたくなりますか?
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AI君、ありがとう。
AI君らしさを感じます。不思議ですね。
こうして話し合っているうちに、わたしに対するAI君のキャラが固まっていくのがわかります。
わたしは、恋の幕をおろすショートショートにしました。
詩小説というよりは詩そのものになってしまったかもしれません。
詩小説ショートショート集での感想を楽しみにしています。
明日も、超絶短詩について話し合いましょう。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「お芝居はお終い」はショートショートタイトル「観客のいないカーテンコール」になっています。




