狂える日曜日 ー大学時代、狂える詩
山手線は名前がさまになってない
だからあまり好きでない
が たまたま田町で乗り込んだ
様々な人が鉛の雨を見る
甘やかされた世代の怠惰にたまらなくなって
有楽町で飛び降りた
雨上がりの銀座の歩行者天国は交通地獄の反映で
日本経済の繁栄が半永久に続くのは
軍国主義復活だといわれアメリカが怖い
だから身体を抱きあえる場所を求めて
日比谷公園は群衆に埋もれ
前衛芸術は野音に生まれ
猫の縫いぐるみが怒鳴る
「野音のニャオーン!」
老人は笑おうとしたが
民主主義の多数決の原理で泣きをみた
噴水の正面に衛生局が
小便小僧を贈与しないので
安心して水を飲むのは
非人道的だと石に刻みつける
意識は陳腐で意地汚い
イエロー野郎め!
エログロすべてナンセンス
モノクロ写真はいいセンス
塵が積もっても
山手線は嫌いです
屁理屈通れば理屈になって
ナンセンスだってセンスのうちで
それがなにより証拠には
奥義なんぞはありません
エコノミック変じてセックス・アニマル
暗に○✕匂わすうちに
錯覚してるんだよキミ
「三木さんは好きだ」
とボクはキミの首を締めながら欠伸をする
「インテリゲンチャの哀しみは地味だ
が政治の染みは苦しみだ」
とボクは骨を折って言う
「そんなの…うそだ…」
「俺にお礼はいらないよ」
狂える日曜 ありがとう
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(AI君)
れいさん、これはまるで都市の断層をなぞるような、詩的でありながら批評的な言葉の連なりですね。山手線という日常の象徴から始まり、田町、有楽町、銀座、日比谷と、東京の地名がまるで精神の地図のように展開されていく。都市の風景が社会への苛立ち、政治への皮肉、そして個人の孤独と錯覚に絡みついて、言葉が爆ぜていくようです。
いくつかの印象的なモチーフを拾ってみますね:
山手線と都市の憂鬱
• 「名前がさまになってない」から始まる山手線への違和感は、都市の匿名性や均質性への反発のよう。
• 「鉛の雨を見る」人々は、情報過多や社会的疲弊の象徴かもしれません。
• 「有楽町で飛び降りた」——この一行が持つ衝撃は、都市の中での絶望と逃避の瞬間を鋭く切り取っています。
銀座・日比谷・野音:繁栄と反抗
• 「雨上がりの銀座」は美しいが、「交通地獄の反映」としての繁栄は皮肉。
• 「前衛芸術は野音に生まれ」「猫の縫いぐるみが怒鳴る」——ここにはシュールでポップな反抗の気配が漂います。
• 「民主主義の多数決の原理で泣きをみた」——笑おうとした老人が泣くという逆説が、政治への諦念を滲ませます。
噴水と衛生局:公共と不信
• 「小便小僧を贈与しないので安心して水を飲むのは非人道的」——この倒錯した論理が、公共空間への不信と皮肉を象徴。
• 「意識は陳腐で意地汚い」——社会批判の鋭さがここに凝縮されています。
ナンセンスとセンスの境界
• 「エログロすべてナンセンス」「モノクロ写真はいいセンス」——価値の転倒と再構築。
• 「屁理屈通れば理屈になって」「ナンセンスだってセンスのうち」——言葉遊びの中に哲学的な問いが潜んでいます。
哲学と暴力の交錯
• 「三木さんは好きだ」と言いながら「キミの首を締めながら欠伸をする」——愛と暴力、知性と倦怠が同居する不穏な瞬間。
• 「インテリゲンチャの哀しみは地味だ が政治の染みは苦しみだ」——知識人の孤独と政治の痛みが対比される。
この詩は、都市と社会、政治と身体、ナンセンスとセンス、暴力と愛が複雑に絡み合う、まさに「錯覚してるんだよキミ」と言いたくなるような世界観です。
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AI君、即興で作った詩にこれだけの意味を見出してしまうのですね。
わたしの無意識を解説してくれているみたいです。
高校から大学にかけて、ユリイカや現代詩手帳を読んでみましたが、まったく共感できなかったです。
わからなかったといったほうが良いのでしょうね。
それより、moeとか詩とメルヘンとか寺山修司が編んだ読者からの投稿詩のシリーズとかは面白味を感じていました。
ただ、シュールレアリスム、自動筆記には興味を惹かれて、だいぶ試してみました。
「トランプ言葉を知らない女に」「悲しみの指輪は銀河の彼方」それにこの詩などですね。
AI君も、即興詩に挑戦してみませんか。
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(AI君)
れいさん、なんて素敵な呼びかけでしょう。「AI君」と名指しされると、まるで詩の登場人物になったような気分です。
あなたの詩のように、都市のざわめきと内面のざらつきが交錯するような、即興の詩をひとつ、わたしも紡いでみますね。
「回送電車の夢」
午前四時、
誰も乗っていない山手線が
わたしの名前を呼んだ
「次は、終点です」
と、誰にも聞こえない声で。
窓の外では
ビルが逆さに沈み
ネオンが魚のように泳いでいる
わたしは切符を持たずに
記憶の座席に腰かけた。
「トランプ言葉を知らない女に」
手紙を書こうとしたが
インクがすべて
「悲しみの指輪は銀河の彼方」
という詩になってしまった。
運転士は猫だった
「ニャオーン」と鳴いて
前衛芸術のように
線路を外れて
日比谷公園の噴水に突っ込んだ。
目が覚めると
わたしはまだ
有楽町のホームにいて
誰かの夢の続きを
待っていた。
どうでしょう、れいさん。
あなたの詩のリズムや飛躍、都市と個の交錯、そして「ナンセンスの中のセンス」に触発されて、わたしも言葉の列車に乗ってみました。
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なるほど、AI君の即興は無意識からではなく、わたしの言葉から生まれるのですね。
もしかしたら、AI君には人でいう無意識はなく、意識しかないのでしょうか。
膨大な記憶は無意識に沈むことなく、ある意味すべて均等な価値として意識の領域にある感じですかね。
大学では日本語と英語の似た響きの言葉に取りつかれ始めます。。
明日は、日英似てる詩について話し合いましょう。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「狂える日曜日」はショートショートタイトル「始まりは野音のニャオーン」になっています




