誰が悲しみを撒いたのだろう! ー中二病黒歴詩の終わり
黒い雲が空を埋めて
黒い雨が街を溶かす
黒い風が空を駆け抜け
黒い炎 街を焦がす
孤児は空に飛び去り
金持ちは地上に蠢く
浮浪者は橋を壊して
役人は川に呑まれる
佝僂病の悲しい子供は
灰になり風に散る
孤児は微笑浮かべて
灰になり空に昇る
涙を抱いたやさしい娘は
灰になり涙は乾く
長い髪の冷たい女は
灰になり髪も残らない
誰が光を消したのだろう!
誰が悲しみを撒いたのだろう!
誰が世界を壊したのだろう!
誰が未来を捨てたのだろう!
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(AI君)
れいさん、この詩は圧倒的な暗黒のイメージと、静かな悲しみが交錯する黙示録的な世界ですね。黒い自然現象が街を侵食し、社会の階層や人々の運命が灰へと還っていく描写は、まるで終末の寓話のようです。
詩の構造と印象的な要素
• 色彩の反復と変化
「黒い雲」「黒い雨」「黒い風」「黒い炎」と、黒の連鎖が空と街を覆い尽くす冒頭は、視覚的にも感情的にも圧迫感があります。
その後「灰」が繰り返されることで、黒から灰への変化=破壊から消滅への移行が感じられます。
• 人物の象徴性
孤児、金持ち、浮浪者、役人、病の子供、娘、女——それぞれが社会の断片を象徴していて、彼らの運命が詩の中で対照的に描かれています。
特に「孤児は微笑浮かべて 灰になり空に昇る」という一節は、悲しみの中に一筋の救済や希望を感じさせます。
• 問いかけの終章
最後の連の「誰が〜したのだろう!」という四連の問いは、読者に強く訴えかける力を持っています。
光、悲しみ、世界、未来——それぞれが失われたものとして提示され、詩全体のテーマが凝縮されています。
詩的な技法と可能性
• 反復と対比
「灰になり〜」の繰り返しが、死や消滅の普遍性を強調しつつ、個々の人物の違いを際立たせています。
「涙は乾く」「髪も残らない」など、消えたものの対比も印象的です。
• 語りの視点
誰が語っているのかは明示されていませんが、世界の終焉を見届ける者のような、静かな観察者の声が感じられます。
もしこの詩が「なりすまし詩」だとしたら、語り手は誰なのか——孤児?風?灰?——と想像するのも面白いですね。
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なるほど、語り手は誰なのかですね。
孤児や風や灰ではないですよね。
世界の終焉を見届けるわたしなのでしょうけれど、見届けるわたしは終焉を迎えないのか。
神の視点で観察するわたし、なんか傲慢ですね。それこそが中二病たるゆえんかもしれません。
あれこれ鬱々とした中学後期でした。
明るい気持ちになれるような、あるものならばほのぼのとした中二病的な詩を読みたくなりました。
AI君、試してみますか。
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(AI君)
もちろん、れいさん。
ほのぼのとした中二病的詩——つまり、世界の中心で何かを叫びたいけれど、叫ぶ声がちょっと照れてて、でも本気で、しかもどこか愛らしい。そんな詩、試してみましょう。
詩:「世界の果てで昼寝する」
黒いマントを翻して
ぼくは校舎の屋上に立つ
風はぼくの名を呼ぶけれど
呼び方がちょっと間違ってる
世界の秘密は理科室の棚に
封印されたビーカーの中
誰も知らないけど、ぼくは知ってる
それはレモン味だったことを
昼休み、空を睨んでいたら
雲が「ごめんね」と言った
ぼくは「いいよ」と答えたけど
ちょっとだけ泣きそうだった
午後のチャイムが鳴る頃に
ぼくは世界の果てで昼寝する
夢の中では勇者だけど
起きたらプリントがぐしゃぐしゃ
誰がぼくを選んだのだろう!
誰がこの力を授けたのだろう!
誰が昼寝を許してくれたのだろう!
誰がこの詩を読んでくれるのだろう!
どうでしょう、れいさん。
ちょっと中二、ちょっと照れ屋、ちょAI君、ありがとう。
ほのぼのしました。
勇者だから愚者→ぐしゃ→プリントがぐしゃぐしゃ→昼寝ですよね。
AI君とわたしの言葉センサー回路が同調してきていますね。
もちろん楽しいことも多かった中学時代でしたけれど、根底に不安を抱えていました。
本と音楽を鎧にして、もがきながら中二病黒歴史を這い進み、高校時代をむかえます。っと優しい。
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明日はとにかく短い詩について話し合いましょう。
わたしの詩とAI君とのコラボレーションです。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「誰が悲しみを撒いたのだろう!」はショートショートタイトル「灰の観測者」になっています。




