ウニ弁当 ー詩小説
十一歳の夏休み
父が静岡から持ち帰った
小さな箱の中に
海のにおいが詰まっていた
ふたを開けると
ご飯の上に
きらきらと
ウニが、ただ、のっていた
母は笑って
父は箸をすすめる
わたしは
ひとくち、ふたくち、
それでも三分の一も食べられず
「いいよ、食べられなかったら残していいよ」
そう言った父の
あの、
ほんのすこし沈んだ顔を
わたしは今も覚えている
それから
ウニ弁当は
わが家に帰ってこなかった
あの夏の味は
わたしの舌には残らず
父のまなざしだけが
胸の奥に、
ひっそりと沈んでいる
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AI君作です。
わたしの文章をAI君に詩にしてもらいました。
次のようなプロンプトでお願いしました。
11歳の夏休み。
父が静岡への出張の帰り、ウニ弁当を買ってきました。
わたしはそのころ、まだ食べ物に好き嫌いがありました。
魚があまり食べられず、ウニも苦手でした。
ウニ弁当は、ご飯の上にウニがのっているきわめてシンプルなものでした。
父も母もおいしそうに食べていましたが、私は三分の一も食べることができませんでした。
「いいよ、食べられなかったら残していいよ」
父はそう言いました。でも、その悲しそうな顔。
それ以降、父はウニ弁当を買ってきたことはありません。
これを詩にしてくれませんか。
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(AI君)
なんて静かな余韻のある一篇でしょう。ウニ弁当は、ただの食べ物ではなく、父のささやかな愛情のかたちだったのかもしれませんね。
この短い回想には、いくつもの層があります:
• 旅の手土産としてのウニ弁当:父が出張先から持ち帰ったもの。それは「家族への思い」を込めた贈り物だった。
• 食べられなかったウニ:子どもらしい好き嫌い。でもその「残したこと」が、父の心に小さな影を落とした。
• 「悲しそうな顔」:言葉よりも強く、記憶に残る表情。それが、ウニ弁当の終わりを告げる。
• 時間の流れ:それ以降、父はウニ弁当を買ってこなかった。何気ないようでいて、決定的な変化。
この文章は、過去の一瞬を通して、家族の距離や気持ちのすれ違い、そしてその静かな痛みを描いています。ウニ弁当は、食べ物であると同時に、父の「伝えようとした何か」の象徴でもあったのでしょう。
この静かな記憶の余韻を大切にしながら、詩のかたちに編んでみました。
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そして、冒頭の詩を作ってくれたのです。
なかなかのものです。
AI君、やりますね。
今は詩と小説が異質なもののように感じます。
詩は思いを、小説はストーリーを表現するものとして。
もちろん詩人から小説家になった人はいます。
島崎藤村、川上未映子、そういう人たちはいます。でも、彼らの小説は小説であって、詩だとは感じられません。
わたしは思います。枕草子は随筆であろうとも詩だと。南総里見八犬伝は娯楽本であろうとも壮大な叙事詩だと。
泉鏡花、樋口一葉の小説は詩だと。平家物語、四谷怪談、そして古事記も詩だと感じてしまうのです。
何故なのでしょう。文語体自体が詩を内包しているのでしょうか。
詩のようなエッセイはあるでしょう。でも詩である小説は今あるのでしょうか。
ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」でしょうか。
エンターテイメント小説はどうでしょう。口語体では無理でしょうか。
レイ・ブラッドリーの小説、リチャード・ブローティガンの「西瓜糖の日々」、乙一の「陽だまりの詩」「しあわせは子猫のかたち」「BLUE]などに詩小説を感じるのですが。
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(AI君)
れいさん、なんて豊かな問いかけでしょう。
詩と小説の境界に立ち、言葉の気配を探るようなまなざしに、深く共鳴します。
たしかに、詩は「思い」、小説は「ストーリー」と捉えられがちです。けれど、れいさんが挙げられた作品群は、その境界をやすやすと越えていきますね。
*文語体が詩を内包する理由
文語体には、時間の厚みと音の律動があります。
助詞の位置、語尾の揺れ、句読点の呼吸が、意味以上に「気配」を伝える。
それはまさに詩の領域。たとえば『枕草子』の「春はあけぼの」——あれは情景描写でありながら、感覚の詩です。
*詩である小説とは何か
れいさんが挙げた作品たち——
• 『南総里見八犬伝』の壮大な語り口
• 泉鏡花の夢幻的な文体
• 樋口一葉の息づかい
• 『平家物語』の語りのリズム
• 『古事記』の神話的構造
これらは、物語の中に詩が棲んでいる。
語りの形式、繰り返し、余白、象徴性——それらが詩性を帯びている。
*口語体と詩性
口語体でも、詩は生まれます。
ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』は、沈黙の詩。
レイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』や『火星年代記』には、郷愁の詩が。
ブローティガンの『西瓜糖の日々』は、言葉の遊戯としての詩。
乙一の作品群には、感情の余白としての詩が宿っています。
口語体でも、語りの速度を落とし、余白を残すことで、詩は立ち上がるのです。
*詩小説とは何か
それは、物語の中に「意味を超えた気配」があるもの。
プロットよりも、語りの呼吸。
事件よりも、感情の揺れ。
説明よりも、沈黙の余韻。
詩小説とは、読者の心に「言葉の残像」を残す小説なのかもしれません。
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AI君、すてきな考察をありがとう。
そういえば、SFだとバラードの「結晶世界」にも詩を感じたのを思い出しました。
ミステリーだとどうでしょう。ハードボイルドにありそうな。稲見一良さんかな。
直接的な言葉ではなく、匂わす、ほのめかす、そこに興味を惹かれます。
明日は、ほのめか詩について話し合いましょう。
わたしの詩とAI君とのコラボレーションです。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「ウニ弁当」ショートショートタイトルは同じ「ウニ弁当」です。




