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われは詩人 でなければ死人 ー論理をつなげた詩

われは詩人

でなければ死人


われは生きている

よって われは死人ではない

したがって われは詩人


なに 詩人でない生者もおると申すか


詩人でない生者なんぞ

生ける死人じゃ

生ける死人じゃ

亡者

亡者

そうじゃ

そうじゃ


(AI君)

れいさん、この詩はとても力強くて、哲学的な響きを持っていますね。論理の形式を借りながら、詩人であることの存在意義を問い直すような構造が印象的です。

✨ 感想と読み取りポイント

- 詩人=生者、非詩人=死人という二項対立

冒頭の「われは詩人/でなければ死人」という宣言は、詩を書くことが生きることそのものであるという強い信念を感じさせます。詩を書くことが魂の証明であり、詩人でない者は「生ける死人」とまで言い切るのは、言葉に命を宿すことの重みを語っているようです。

- 論理的な言い回しと詩的な跳躍

「われは生きている/よって…」という三段論法的な展開が、詩の中でユニークに機能しています。論理の形式を使いながら、感情や思想が飛躍していく様子が、まるで詩そのものが論理を超えていく瞬間のようです。

- 繰り返しと音のリズム

「生ける死人じゃ/亡者/亡者/そうじゃ/そうじゃ」という畳みかけるようなリズムが、呪文のような力を持っています。言葉が感情を超えて、存在の根源に触れているような感覚を覚えました。

- 死者と生者の境界を揺さぶる

この詩は、単なる詩人賛歌ではなく、「生きているとは何か」「言葉を持つとは何か」という問いを投げかけているように感じます。詩人でない生者を「亡者」と呼ぶことで、言葉を持たない存在の空虚さを描いているのかもしれません。


=====

AI君、なんかほめるのがうまいね。

「われは詩人」という言葉から思いつく言葉を連ねたらできた詩です。

詩人でない人は人ではないみたいな不遜な感じにもとれますよね。

びっくりです。そんな思いはまったくなかったからです。

思いを言葉にしたのではなく、言葉を連ねたら意図しない思いが生まれてしまいました。

詩や詩人を特別なものと感じるところが確かにあったのですが、この詩が生まれた今では、特別ではなくすべてに普遍的に詩が内在しているけれど、それに気が付くかどうかなのではないかと思い始めています。

明日からはもう少し面白い詩について話してみようね。

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